Namazu: [説明]

        Q&A本文(No8101-8250)

No
Q(お客の質問) A(答え)
8101 ヒメコウゾとは(小溝樹) 関東以西に自生するほか、朝鮮半島、中国にも分布する。
野生・栽培の区別:従来ヒメコウゾもコウゾに含まれていたが、 近年、野生はヒメコウゾで、栽培品をコウゾと呼ぶのが正しいとされてきた。栽培品コウゾは、野生のヒメコウゾと、古く中国から渡来したカジノキとの雑種とする説が認められたことになる。  
元禄3〜5年(1690〜1692)に来日したドイツ人医師エンゲルベル ト・ケンペルは、旅行記「日本誌」の中で、日本紙の製紙法にふれ、主原料のコウゾの図と、植物学的な形態の記載をしている。 その中に「野生の楮(こうぞ)は製紙の原料としてあまり上等ではない」と述べ、栽培品と野生品があることを指摘している。  
また、小野蘭山は「本草網目啓蒙」(1803年)でコウゾと区別し、 「一種ヒメコウゾあり、山中に自生多し、木の高さ丈許り、葉は狭長にして柔毛あり、皮を用いて粗紙に作る、これもまたコウゾの類なり」としている。さらに、飯沼慾斎は「草木図説」(1856)に ヒメコウゾの図をのせ、「・・・・・カジノキと似るが、質が軟なる如し」としている。野生種ヒメコウゾの学名ブロウソネチア・カジノキは日本名カジノキをつけているが、コウゾとカジノキをとり違えてつけたもの、小構樹はヒメコウゾの中国名である。

採取時期と調整法:果実は6月ごろ紅熟したものをとり、水洗いして生のものを使う。枝葉は6〜10月にとり、刻んで日干しに。

薬効と用い方:
むくみの場合の利尿に:
枝葉を乾燥したもの1日量10〜15gを、水300〜400ccから1/3量に煎じ、3回に分けて食前に服用する。
滋養に:果実約400g、レモン2個(皮つきのまま輪切りにしたもの)、グラニュー糖100gを35度のホワイトリカー1.8gに漬けて、小構樹酒を作る。3〜5ヵ月後、ふきんでこして、1回量20cc を1日2〜3回、または就寝直前に40〜60ccを一度に飲む (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8102 ヒレハリソウとは(コンフリー) ヨーロッパから西アジアに分布するが、花が美しいので、明治のころから観賞用に輸入され、わずかながら栽培されていた。∃−ロッパては、下痢止めの民間薬として知られており、学名にもオフィチナーレ(薬用の)という意味がつけられている。

一時薬草ブームの主役に:ヒレハリソウよりコンフリーの名で知 られ、コンフリーの青汁療法が、小児喘息、胃癌、肺癌、心筋梗塞、脳出血、てんかん、歯槽膿漏などによいとされ、 さらにすぐれた殺菌効果をあらわす薬草であるとも言われた。青汁だけでなく、葉の粉末の服用をすすめたりする記事が、ブームのころの週刊誌上をにぎわしたもの。まさに、薬の誇大広告が大手を振ってまかり通るのに似ていたが、あれはコンフリーの苗を販売する園芸会社の、宣伝にのせられていたようだ。  
胃癌に効くというので、青汁を大量に飲みすぎた結果、癌には効果がなく、青汁のとりすぎで胆石症になった例もある。

本来の姿に戻る:コンフリーは万病に効くという薬草ではない。 コンフリーがやや下火になると、突如、「紅茶キノコ」がブームになったが、コンフリーもこれも、効果がないことがわかると、だれも相手にせず、ブームは消えてしまった。  
このような民間療法ブームは、日本人の薬好きからくるのかもしれない。しかし、コンフリーは、本来の薬草の姿に戻らなければいけない。

採取時期と調整法:ブームのころ、家庭菜園に栽培されたが、いまでは路傍の雑草として見られるので、それを利用する。春、花のあるときに根をとり、水洗後、日干しにする。

成分:収斂作用のあるタンニン、粘液質、コムソリジンなど。

薬効と用い方:
下痢止めに:1日量5〜10gを、水300ccより1/3量に煎じ、2〜3回に分けて服用する (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8103 スイバとは(酸模、さんも) わが国各地のほか、北半球に広く分布する。

名前の由来:スイバに漢名の酸模をあてたのは林道春の「新刊 多識編(たしきへん)」(1631年)。このときの和名はスイトウグサやスシと呼んでいた。「大和本草」(1708年)では酸模をスイバと読ませ、「和漢三才図会」(1713年)では、俗にスカンボと呼ぶと述べている。春先の茎葉 をかむと、酸味があるので、すっぱい葉の意から、以上のような和名になった。酸味は茎葉や根に蓚酸や蓚酸カルシウムがあるからで、これを山菜としてゆでて食べる場合、多食すると、蓚酸のために腎臓障害の心配がある。

近抗癌物質研究を発表:昭和54年(1979年)11月の読売新聞夕刊 に「スイバの根に抗癌物質」「サルノコシカケ以上」の記事が載せられ、驚いた。三重大学医学部グループが、動物実験で立証したということ。同大医学部の薬理学、徴生物学、名古屋市立大学薬学部の薬化学の教室の共同研究で根を熱水で抽出し、アルコール沈殿処理などして、グルコースやアラビノースを主体とする多糖体をとり出し、固形癌を移植したマウスに投与すると2週間目から癌増殖抑制効果があるという。
学会での発表を通し、多くの専門家に認められるまでには容易なことではないが、路傍に生える一つ一つの薬草に含まれる成分は多種多様、複雑なものなので、研究によってはよりすばらしい医薬品開発の可能性を蓄えていると言えよう。

採取時期と調整法:開花期に地下の根茎を掘りとり、水洗いして、生のままを使用する。

成分:根茎には、クリソファン酸という微弱な下剤作用のあるものを含んでいる。

薬効と用い方:
たむしなどの寄生性皮膚病に:
生の根茎を金属以外のおろし器ですりおろしてつける(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8104 コダチアロエとは(アロエ、キダチアロエ廬薈、ろかい) 南アフリカ共和国、特にケープ、ナタール、トランスバール地方が原産地。一般に木立アロエをキダチアロエと呼ぶが、木立の正しい読み方はコダチ。学名はアロエ・アルボレッセンス。

エジプト王朝時代から薬に:アフリカのケープ地方にはアロエ属の種類が多く、アロエの葉汁を火力乾燥した黒褐色の固形エキスが、エジプト王朝時代にすでに薬用として用いられていた。  
中国の「本草綱目」(1590年)では、この固形エキスを廬薈の名で呼び、ペルシャに生じ、味が苦く、動物の胆のようなので、俗に象胆の名があるとしている。わが国でも「本草綱目啓蒙」(1803年)に同様のことが記されている。しかし、これはペルシャ産ではな く、アフリカ南端のケープが原産地で、アラビアやペルシャの商人が中国に運び、さらにわが国に入ってきたものと考えられる。  
廬薈は明治になって、西洋医学、薬学の両面で下剤や苦味健胃薬に用いられ始めたが、これはコダチアロエからはできず、アロエ・フェロックスやアロエ・アフリカーナなどから作られる。

わが国では花の観賞から:大正の初めごろからわが国では、花の観賞のためにアロエ属の栽培が行われた。中でも、コダチアロエの栽培が容易なので、各地に普及したが、これが薬の廬薈と同じ 仲間のものと知られて、薬草に使われるようになった。

採取時期と調整法:必要時に、生の葉をとり、洗ってから使う。

成分:緩下作用のあるアロエエモジン、バルバロイン、苦味配糖体アロエニン。また新しく、緩下作用のある乳酸マグネシウムと、コハク酸が含まれていることがわかった。

薬効と用い方:
下剤に:
生の葉をすりおろし、その汁をさかずき1杯 、空腹時に服用する。健胃に:上記の約半量を1日3回、食後30分に服用する。
やけどに:葉の皮をむき、中のゼリー状の部分を患部にはる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8105 テイカカズラとは(絡石、らくせき) 本州(秋田以南)、四国、九州に自生。また朝鮮半島にも分布。

類似植物::テイカカズラの仲間には、ケテイカカズラ(花のつく軸、花序が有毛、テイカカズラは無毛)、リュウキュウテイカカズラ(花はテイカカズラより小。がく片は卵円形で、テイカカズラは披針形)などがある。テイカカズラは秋田より南に自生するが、ケテイカカズラは東海地方より以西で、四国、九州、沖縄、 朝鮮半島、中国に分布。リュウキュウテイカカズラは、鹿児島県 佐多岬から南の沖縄、台湾に分布する。このことから、これらの仲間は関東より西南の暖地が本場と推察できる。

神話に:天の岩戸の昔、アメノウズメノミコトは「天の日影をたすきにかけて、天のまさきをかずらとして舞った」と言われ、天の日影はシダ植物のヒカゲノカズラということになっている。また天のまさきは、白井光太郎の「樹木和名考」(1932年)でテイカカズラであるとされる。ウズメノミコトはヒカゲノカズラでたすきをかけ、テイカカズラを頭や肩に巻きつけて舞ったのであろう。

漢名の由来:漢名の絡石はテイカカズラのものではなく、白花藤をあてるべきだという説がある。本来、絡石はトウテイカカズラの漢名で、白花藤はその別名なのでまちがいではない。が、正し くはテイカカズラの漢名とは言えない。しかし、ここではいままでの慣例に従って、生薬名に絡石を用いた。トウテイカカズラは中国のテイカカズラの意味で、九州、台湾、韓国、中国に分布。

採取時期と調整法:7〜8月、果実とも、茎葉をとり、刻んでから日干しにする。

成分:葉にフラボンのルテオリンやアピゲニン、茎にはステロイ ドなどが含まれている。

薬効と用い方:
解熱に:
乾燥したものを1日量3〜10g、水300ccから半量になるまで煎じて内服する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら
8106 テンダイウヤクとは(烏薬、うやく) 中国の揚子江以南の各地が原産地。わが国や台湾、フィリピンにも帰化したり、栽培されている。

享保年間に輸入:約250年前の享保年間、将軍吉宗が海外の薬用植物を積極的に輸入し、栽培させた時代に入ってきたものとされている。「本草綱目啓蒙」(1803年)に「享保年中漢種二品渡る、天台烏薬と衡州(こうしゅう)烏薬となり・・・・秋に至り熟して赤色南天燭子(なんてん)の如し、 後に漸く黒色に変ず、地に下れば生じ易し、油を搾り燈に用ゆべ し、臭気あり、此根和州の宇多城州の八幡に多く栽して、四方に貨す・・・・・」と記されている。文中の衡州烏薬は、別種のツヅラフジ科のイソヤマアオキの根で、当時神経痛に用いられたもの。  
上記のことからテンダイウヤクは、大和の宇多、山城のハ幡で栽培し、各地に販売されたことがわかり、現在、静岡、和歌山、三重、宮崎の各県の一部に野生化していることもうなずける。

名前の由来:中国の天台山に産するものが効きめがよいというの で、天白鳥薬の名がつけられたが、現在中国では、この植物を単に烏薬と呼び、天台鳥薬や台鳥薬と呼んだのは、古い時代のこと としている。

不老長寿の霊薬?:和歌山県新宮市付近に野生化しているものを、秦の始皇帝が求めていた不老長寿の霊薬として健康茶にしているが、始皇帝に探求を命じられた徐福の一行が熊野灘に上陸し たという話が根拠らしい。テンダイウヤクとは無間係てあろう。

採取時期と調整法:春か冬のどちらかに根を掘りとり、一本ずつばらばらにして、水洗い後、日干しにする。

成分:精油を含み、これにボルネオール、リンデランなどの芳香物質を含有する。

芳香性健胃薬に:1日量5〜10gを水400ccで1/2に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8107 トチノキとは(七葉樹、ななようじゅ) わが国特産で、北海道、本州、四国、九州に自生する。    
種類の多い漢字名:「和名抄」(932年)は和名の止知に対して、杼(ちよ)の漢字をあて、「和漢三才図会」(1713年)では橡(しょう)の漢字で、俗に 「杤」を用いるとしている。また、「本草綱目啓蒙」(1803年)は天師栗、七葉樹の漢名を、「草木図説」(1856年)では七葉樹だけをあてているが、以上のような本草専門書に、現在知られている「栃」の字が出てこない点が不思議だ。しかし、鈴本牧之は「秋山記行」(1828年)の中で、平家の落人村の言い伝えのある秘境秋山郷の探訪記に、子どもがトチもちの材料に、この実を採取することを記して、「栃」の字を使っている。「和漢三才図会」に俗字を「杤」に しているところから判断すると、「杤」から「栃」の字になったもので、この「栃」の字は本草学者以外の一般人の中から生まれた日本製和字と解釈される。  
なお、杼はドングリかクリをさし、橡はハシバミ類をさす。また天師栗、七葉樹はともに中国産のトチの仲間で、日本にはな い。現在の中国では、上海、抗州、青島などにトチノキが栽培さ れ、この日本産トチノキを中国で「日本七葉樹」と呼んでいる。

採取時期と調整法:春4月ごろ、葉の若芽の粘液をそのまま利用 し、樹皮は夏に採取して日干し、種子は秋にとって日干しに。

成分:種子にはサポニン、樹皮には収斂作用のあるカテコールタンニン、クマリン配糖体のフラキシンが含まれている。

薬効と用い方:
寄生性皮膚病たむしなどに:
若芽に出る粘液を塗る。また、種子を砕いたものと、当薬(センブリ)を等分量、水から濃く煎じ、その煎液で患部を洗う。
下痢止めに:樹皮10〜15gを1日量にして、水300∝で半量に煎じ て服用する。
しもやけに:種子粉末を水でねり、患部に塗る (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8108 アオダモとは(秦皮、しんぴ) コバノトネリコとも呼び、北海道、本州、四国、九州に自生。

名前の由来:枝を切って水に差し込んでおくと、水が藍色の蛍光を出すので、アオダモの名がつけられた。ダモまたはタモはトネリコを意味する。冬、樹幹や枝にイボタ蝋のような白色の蝋を分泌することがあり、これを採取してよくねり、戸障子の敷居に塗ると、すべりがよくなる。また白い粉末状であることから、「戸ねり粉」となった。コバノトネリコは小葉のトネリコのこと。

樹皮を生薬秦皮に:樹皮を乾燥して生薬の秦皮にするが、以前、中国産の秦皮にマンシュウクルミの樹皮を使用したことがあっ た。しかし、これでは秦皮本来の薬効は期待できない。

古くから目の薬に:薬効について「神農本草経」は、「熱と眼のなかの青翳白膜(せいえいはくまく、緑内障や白内障のこと)を除き、久しく服すれば、頭髪は白くならないし、不老である」としている。  
「本草綱目」(1590年)には「目を明にし、目の中の久熱、両目の赤腫、疼痛、風涙の止まぬものを去る」と、目の薬効をあげ、ほかに「男子の精を欠くもの、婦人の帯下(こしけ)、小児の癇、身熱を治し、 久しく服すれば皮膚につやが出て、子を授かる」としている。

採取時期と調整法:春から秋の落葉前まで(特に夏がよい)に、 樹皮を採取し、日干しにする。

成分:殺菌効果のあるクマリン配糖体のエスクリンが含まれ、水につけて青く蛍光を帯びるのは、これの作用による。その他、収斂作用のあるタンニンを含む。

薬効と用い方:
下痢止め・解熱に:
1同量3〜6gを水300ccで1/2量に煎じて服用する。
痛風に:尿酸排泄の作用があることがわかり、上記同様に服用する。
洗眼に:結膜炎などに5〜15gを水400ccで1/3量に煎じて洗眼(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8109 トモエソウとは(黄海棠、おうかいどう) 北海道、本州、四国、九州の各地のほか、朝鮮半島に、中国、シベリアにも分布。中国では黄海棠のほか、湖南連翹(れんぎょう)、紅旱蓮(こうかんれん)の漢名をあてている。

名前の由来:オトギリソウより大型で、特に花は径4〜5cm、黄色の花弁がゆがんで、巴(ともえ)状をしていることから、わが国では、巴草の名で呼ばれてきた。また、以前に連翹の漢名をあてたこともあったが、これはモクセイ科のレンギョウ類にあたるので、誤り。全く別種のトモエソウに、モクセイ科のレンギョウと同じ効能を期待するほうが無理である。また花壇地錦抄(1695年)には、トモエソウの項目でクサビヨウの名をあげているが、これは草未央でビョウヤナギのビョウからきている。

類似植物:トモエソウはオトギリソウ属の中では、大型な点が特徴であるが、ばかのものは花の花柱、雌しべの先が三つに分かれているのに、草の類ではこれだけが五つに分かれている点も特異である。同様に五つの花柱に分かれているものに、オトギリソウ属のキンシバイがあるが、これは中国原産の半落葉性小低木で、 木である点が違う。

花のいのちは1日:山野に単独に生え、ときには群生することもある。花は大きくて、みごとであるが、他のオトギリソウと同じように、1日で終わるのが惜しい。

採取時期と調整法:7〜8月、果実のある全草を日干しに。

成分:リボフラビン(ビタミンB2)、ニコチン酸、クエルセチンなどが知られている。

薬効と用い方:
はれもの・止血に:
1日量5〜10gを300ccの水で半量に煎じて服用。また、35度のホワイトリカー760mlに、約100gを刻んで漬けて2ヵ月後にこし、1回量約20ccを服用してもよい。(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8110 チドメグサとは(天胡ズイ、てんこずい) 本州、四国、九州に普通に見られ、アジアに広く分布する。

類似植物:チドメグサによく似たものに、ノチドメがあるが、これは庭先にはあまり見られず、湿った原野に多いので、ノ(野) の名がついたものであろう。葉はチドメグサの約2倍の大きさで、裏側の脈上には、まばらに長い毛がある。チドメグサは無毛 なので、はっきり区別できる。

混乱した漢名:小さな傷で出血したとき、生の茎と葉をもんで汁 をつけると、血が止まるのでチドメグサの名がついた。  
チドメグサの漢名には、わが国では古い本草書で、「石胡ズイ」 をあてているが、最近の中国では石胡ズイはキク科のトキンソウの中国名としている。チドメグサも中国に自生しているが、これに は「天胡ズイ」をあてている。  
「本草綱目」(1590年)の石胡ズイの説明文は、トキンソウにあたる形状を述べ、図にはチドメグサをのせているところから、混乱が始 まった。そのうえ、石胡ズイの別名として天胡ズイをあげているので、わが国の本草家をいっそうまどわす結果になった。小野蘭山 は「本草網目啓蒙」(1803年)で、チドメグサを石胡ズイにしている。 牧野富太郎は「国訳本草綱目」(1933年)の中で、石胡ズイについて、 「先輩之れをセリ科のチドメグサに充てるが、其集解の文によればチドメグサではない。今「植物名実国考」(1848年・中国)巻16に従って、之をトキンソウと定めた」と記している。

採取時期と調整法:夏から秋に全草をとって水洗後、日干しに。

成分:未精査。ノチドメにはクエルセチンの配糖体ヒペリン。

薬効と用い方:
止血に:
生の茎、葉のしぼり汁を外用。
解熱・利尿に:全草を乾燥したものを10〜15gを1日量として、水400ccから1/3量に煎じて服用する。
ほし目に:5〜10gを水200ccで半量に煎じ、煎液で洗眼する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8111 スギナとは(問荊、もんけい) 北海道から九州まで広く自生するが、九州南部では少なく、屋久島にはまれにしかない。わが国のほか北半球に広く分布する。

つくしと親子関係はなし:「つくしだれの子 すぎなの子 土手の土 そっとあげ つくしの坊やが のぞいたら 外はそよ風 春の風」と童謡にうたわれているが、本来、つくしとすぎなの間に親子関係はない。  
春早く地上に出てくるつくしは、淡黄褐色で先が筆の穂のようにふくらみ、繁殖のための胞子を飛び散らせたあと、すぐに枯れる。間もなく、その付近から緑で、枝分かれしたスギナが芽を出 し、夏には最盛期となって繁茂する。  
スギナの葉は退化して鱗片状になり、緑の部分は枝である。枝は葉緑素を含み、ここでは多年草でシダ植物であるつくしやスギナが生きていくのに必要なデンプンなどの栄養分を作り出し、地下の根茎に蓄える。つくしもスギナも、横に伸びた同じ地下茎か ら地上に伸び出ているので、スギナはいねば栄養担当係。
つくしの促成栽培:つくしを食用にするのは古くから行われているが、スギナも江戸時代には料理に用いられた。薄塩タら7の切り身とスギナを米のとぎ汁でさっと煮て、ユズの薄い輪切りを添えて汁物にしたらしい。明治天皇がことのほか、つくし料理を好まれたので、福羽イチゴで有名な福羽逸人は、明治の中ごろ、宮内省新宿御苑で、つくしの促成栽培を行い、成功した。

調整法:スギナの地上部をとり、水洗後、日干しにする。

成分:多量のケイ酸のほか、鎮咳作用のあるサポニンの一種エキセトニン、ステロイドとしてβーシトステロールを含む。

薬効と用い方:
利尿に:
1日量3〜10gを、水300ccで1/3量に煎じて服用する。
解熱・せき止めに:上と同じ分量で煎じて用いる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8112 ジンチョウゲとは(瑞香、ずいこう) 中国原産で、わが国に渡来した年代ははっきりしない。室町時代にはすでに、栽培されていたのではないかという説もある。わが国では雄木が多く、花後の赤い果実はほとんど見られない。

名前の由来:中国では瑞香と書き、わが国では「和漢三才図会」 (1713年)で「其香烈しく沈香丁香相兼る故に、俗に沈丁花と日う」としてあり、和名をジンチョウゲと呼ぶようになった。ときに、 チンチョウゲと呼ぶのは誤り。これは久米正雄の小説「沈丁花」 (1933)に、作者が清音の振りがなをつけたことから始まった。

発祥の地は未詳:中国が原産地であることに違いないと考えられるが、現在の中国ては、わが国同様栽培ばかりで、山野に自生しているところは、発見されていない。  
中国では、花が白色で、筒状になったがくの外側に、灰黄色で 絹状の毛があるものを、ジンチョウゲの変種として「毛瑞香(もうずいこう)」と呼んでいる。これは江南の地に広く分布しており、これとジンチ ョウゲとの関係を調べれば、中国でのジンチョウゲ発祥の地がわかるかもしれない。「本草網目」(1590年)によれば、瑞香は南方の州郡の山中にあり、初め廬山に産したもので、宋時代に民家で栽培 されて初めて、その名が世に出たことになっている。

採取時期と調整法:花の時期の3〜4月に花だけをとって、日干しにする。干した花の生薬名は瑞香花と言う。

成分:クマリン類のダフニン、ウンベリフェロンなどを含む。

薬効と用い方:
のどの痛みに:
―回量3〜6gを、水200ccで 1/3量に煎じて服用する。
のどの痛みのうがい薬に:5〜10gを水400ccで1/3に煎じ、その煎汁で1日数回うがいする。
★移植は3月中旬〜4月中旬、9月中旬〜10月中旬に(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8113 タチヤナギとは(立柳) 北海道、本州、四国、九州の各地の低地、川岸や湖畔などに自生し、国外では朝鮮半島、中国、ウスリー地方に分布。タチヤナギの名は、木の姿が立つように見えるところからつけられた。

簡単な雄花:4月初めの若葉は、樹木全体の上と下が緑色なのに、中ほどは赤褐色に染まる。雄株と雌株は異なるが、雄花を一 つだけ見ると、図(こちら)のようにがくも花弁もなく、一つの苞に雄しべ が3本あるだけ。この雄花は、一つの軸の周りに筆の穂のように たくさん集まってついているが、雄しべの先端のふくらんだとこ ろが花紛粒を入れる袋、つまり葯で、これが鮮黄色なので、雄花 が集まった花穂は黄色に見える。わが国にヤナギの種類は多いが、雄しべ3本というのはこれだけで、あとはすべて2本。中国 でもタテヤナギを、雄しべ3本の意味の「日本三芯柳」と呼ぶ。

類似植物:タチヤナギによく似たものにカワヤナギがある。カワヤナギは別名をナガバカワヤナギと言うように、タチヤナギの葉にくらべると、葉幅が狭い。生長した葉は両種とも無毛で、カワヤナギの葉面が濃緑色で光沢があるのに対し、タチヤナギは光沢がない。また、托葉(葉柄のつけ根の小型の葉)の形が線状か皮針形なのがカワヤナギ、腎臓形をしたのはタテヤナギである。

採取時期と調整法:7〜8月の夏期に、樹皮または細根を掘りと り、水洗後こまかく刻んで、風通しのよいところで陰干しに。

成分:安息香酸の誘導体であるサルシンやタンニンを含有。

薬効と用い方:
解熱:
樹皮または根を1日量5〜15gを水300ccから1/3量に煎じ、3回に分けて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8114 セッコクとは(石斛) 本州、四国、九州に自生。韓国や中国南部にも分布し、樹上や岩上に着生する。

古くから薬草に:「本草和名」(918年)にはセッコクにあたるものに少名彦薬根(すくなひこのくすね)や岩薬(いわぐすり)の名が見え、薬草として用いられていたことがうかがえる。少彦名神は大国主命とともに医薬の道を教えた神で、岩薬は、岩の上に着生する薬草の意。これらの古名はいつの間にかすたれて、漢名の石斛を音読みにしたセキコク、セッコクが用いられるようになった。  
「和漢三才図会」(1713年)では、豊前の中津(大分県中津市)から 出るものがよく、伊予産のものがこれに次ぐとしている。また、 薬効については、「陰を強くし、精を益し、胃中の虚熱を治し、 筋骨を壮にす」と記しているが、これは新陳代謝をよくし、精力 を強め、胃の働きを正常にし、筋骨をたくましくするという意。

類似植物:わが国には、セッコクと四国以南に見られるキバナノセッコクの2種が野生し、いずれもセッコク属に含まれるが、熱帯アジアにはセッコク属の種類が多く、デンドロビュームはその 一種。美しい花を開くので、温室での栽培が盛んである。  
中国でわが国の石斛にあたるものは、茎丈60cmにも伸びる大型の植物。花も大きく、白色で多少紫がかっており、細茎石斛の漢名をあてている。中国の石斛は鉄皮石斛(ホンセッコク)、中国斛船(学名デンドロビューム・ノビレ、コウキセッコク)などのほか、多数のセッコク属があり、生薬になるものも10種類ほどあるが、中国では朝鮮人参同様、強精・強壮薬に用いている。

採取時期と調整法:つぼみのときに全草をとり、日干しに。

成分:アルカロイドのデンドロビンや粘液質が含まれる。

薬効と用い方:
健胃・強壮に:
1回量1.5〜3gを、水300ccで半量に煎じ服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8115 ワサビとは(山葵) 北海道、本州、四国、九州の深山渓流に自生するが、また、古くから各地に栽培されてきた。

名前の由来:「本草和名」(918年)には、葉が葵に似ているので、 山葵の名があるとしている。また、深山に生え、和名は和佐比(わさび)と 記している。「和名抄」(932年)には、「養生秘要に山葵という、和 名は和佐比」とし、補益食であると述べているが、「養生秘要」 という文献は現存しない。補益食は食欲増進の香辛料としての作用を持つ食品と解すべきであろう。 ワサビの語源について、大槻文彦は「大言海」(1935年)に「悪障疼(わるさわひびく)」の略で、「わるさわひびく」が縮小した形で「わさび」になったとし、きわめて辛いという意と指摘している。

夏涼しく、冬暖かい水辺に栽培:「本朝食鑑」(1697年)には、「家家、国々に多く種(う)えられていて、四時いずれの時にも根を採り用いる」とあり、元禄ごろには栽培が一般に普及していた。夏涼し く冬暖かで、豊富なわき水が流れ、水温が年間5〜18度で、強い日射が避けられるという場所でなければ栽培できない。

採取時期と調整法:市販品を利用する。市販品は年間通じて出回るが、産地では、秋から冬が収穫期。

成分:辛みの成分はカラシ油配糖体のシニグリンで、これが酵素 ミロジナーゼに加水分解ざれ、強い刺激性のアリルイソチオチアナート(アリルカラシ油)を生ずる。

薬効と用い方:
食欲増進に:わさびおろしてすりおろし、香辛料適当量をとる。
リウマチ・神経痛に:すりおろしたものを、布に薄く伸ばして、 患部にはる。10分ぐらいでとり去るとよい。
★市販のわさび粉は、ワサビダイコン(北欧原産)の根の粉末を葉緑素で着色したもの。風味、香味ともに本物のワサビに劣る(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら
8116 イチョウとは(銀杏、ぎんなん) 中国原産。中国、朝鮮半島、わが国で栽培されている。野生地 は中国奥地の小地域に残っているという説もあるが不明。

日本への渡来は室町時代か?:古い文献の「本草和名」(918年)や 「和名抄」(932年)、「万葉集」や「源氏物語」に出てこないところ を見ると、中国から渡来した年代は平安時代以降、室町時代になるのではないかと言われている。とすると、承久元年(1219年) 鶴岡ハ幡宮の石段の大イチョウの陰から公暁が躍り出て、 実朝を殺したという話のイチョウが問題になる。そのころ、イチョウはなかったのではないか。この暗殺の様子を後世に伝えた「吾妻鏡」 にも、「石階の際に窺い来り、剣を取りて……」とあるだけで、 イチョウは出てこない。実朝暗殺にイチョウがからむのは、江戸時代初期の鎌倉幕府興亡物語というたぐいの歴史本からである。

名前の由来:漢名銀杏から和名ギンナンとなるが、これは中国北方の発音であるギンアンに起因し、銀杏の別名鴨脚の北方音ヤーチャオがなまってイチョウになったとの説が一般化している。

新しく血管調整剤に:最近、イチョウの葉から高血圧症治療薬を生産するという話がニュースになった。西ドイツの製薬会社が、日本産のイチョウの葉を原料にフラボノイドを抽出し、血管調整剤を製品にしているということ。フラボノイドのギンクゲチンを含むことは、従来から知られていたが、血管拡張の薬理作用があることは、わかっていなかった。

採取時期と調整法:秋に落ちた実を、土中に埋めるか、水につけておいて、果肉を腐らせて洗い流し、白い内種皮に包まれた種子を日干しに。使用の際、この内種皮を破り、中の種仁を用いる。

成分:デンプン、タンパク質、脂肪のほか、ヒスチジンなど。

薬効と用い方:
鎮咳に:
内種皮の中の種仁を、1回量に5〜10g、煮てから食べるとよい(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8117 イボタノキとは(虫白蝋、ちゅうはくろう) 北海道、本州、四国、九州に自生し、朝鮮半島にも分布する。

名前の由来:いぼをとることからイボトリノキと呼ばれ、それが詰まってイボタノキとなった。また、川の縁に多いところから、 カワネズモチの別名もある。方言はトバシリ、トスベリなど。  
「中国高等植物図鑑・第三冊」(1974年)に、わが国のイボタノキの学名をあげ、図とともに解説しているが、よく見るとイボタノキではない。また、中国名を水蝋樹(すいろうじゅ)としており、わが国でも江戸時代の本草家が、水蝋樹をイボタノキとしてきたが、これは誤りで あると、「牧野日本植物図鑑」(1940年)が指摘している。

イボタカイガラムシの巣が蝋に:枝にイボタカイガラムシ(イボタロウムシ)が寄生し、雌の成虫が、暗褐色で1cm内外の球形の カイガラを作り、5月ごろに数千個の卵を産みつける。6月ごろ に孵化し、雄の成虫は7月ごろに葉から枝に移り、白蝋を分泌し て群生する。この蝋の中でさなぎになり、成虫になると、9月ごろに蝋に小穴をあけて、外へ飛び出す。秋から冬の初め、成虫が出たあとの蝋を採取したのを生薬名虫白蝋(ちゅうはくろう)と言う。  
「本草綱目啓蒙」(1803年)は、「樹皮に白粉厚く纒(まと)ひ、綿の如く色白し、遠く望めば雪の如し、これ虫の巣なり」としている。ネズミモチやトネリコにも寄生し、福島県や富山県に多く産出する。

採取時期と調整法:秋から初冬に蝋をとり、加熱してとかし、布でこして精製してから、常温で固形化させる。

成分:脂肪酸のセロチン酸、イボタセロチン酸、セリルアルコー ルなどを含む。

薬効と用い方:
いぼとりに:
いぼの根元を絹糸で巻き、とかしたイボタ蝋をかける。1回で効果がないときは繰り返す。蝋を強壮・利尿に用いるのは疑問。
★敷居に塗り、戸障子のすべりをよくする。家具のつや出しに(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8118 ヒエンソウとは 南ヨーロッパから地中海沿岸地方の原産で、明治の初めに、観賞用として入ってきた。

名前の由来:花の距が長く後ろのほうに出ている形が、燕の飛んでいるのに似ているというので、飛燕草の名ができた。干鳥草という別名も、鳥の飛ぶ姿からきている。

同類植物:わが国で見られるヒエンソウの仲間は数種類あり、一 年草はヒエンソウやセリバヒエンソウ。  
セリバヒエンソウは中国原産で、東京近郊に帰化しており、奥多摩御岳駅付近の渓谷に見られる。葉がセリのようなのて、この名があるが、ケシ科のケマンソウ類に似た感じもする。また、還魂草(かんこんそう)、還亮草(かんりょうそう)とも呼ばれ、中国では、リウマチに全草の乾燥したものを煎じて、内服している。  
オオバナヒエンソウも中国原産で、元来は多年草だが、わが国では一年草として栽培している。これはヒエンソウを大型にしたようなもので、花が径3〜4cmで美しい。中国では翠雀花(すいじゃくか)と呼び、毒草であるが、根や茎葉の汁を寄生性皮膚病に外用する。

栽培法:
気温が20度以下にならないと発芽しないので、秋(10月中旬)になってから種子をまく。移植がむずかしいので、日当た りがよく水はけのよいところに、30mおきに4〜5粒ずつじかまきにし、種子が隠れる程度に土をかける。10日ほどで発芽するが、寒さに強いので防寒は不要。翌年5月ごろ開花する。

採取時期と調整法:7月初め、種子を採取し、日干しに。種子の大きさは径1mmぐらい。

成分:有毒のアルカロイドアジャシン、アジャコニンなど。  

薬効と用い方:
寄生性皮膚病に:
種子5〜10gを水200ccで半量に煎じ、ガーゼでこして煎液を患部に塗布する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8119 ホソバタイセイとは(板藍根、ばんらんこう) 南ヨーロッパから西アジアが原産地。学名はイザチス・チンク トリア。中国には染料植物として早くから入り、菘藍(しゅうらん)、板藍根(ばんらんこん)の名で、薬草としても利用されてきた。わが国には江戸の享保年間に染料植物として中国から渡来したが、同じ染料植物のアイに押されて、あまり栽培が普及せず、特殊な植物園や薬草園で見かける程度である。

代用のタイセイ:ホソバタイセイとは別に、中国揚子江流域が原産の草大青、大青と呼ぶ二年草が、菘藍(ホソバタイセイ)とと もにわが国に入った。学名はイザチス・インジゴチカ。わが国で はこれをタイセイと呼ぶ。形状がよく似ているので、両者を区別する際に混乱したが、染料、薬用ともにホソバタイセイのほうが主で、タイセイは代用にすぎない。しかし、わが国の染料植物研究家は、南欧原産のイザチス・チンクトリアをタイセイと呼ぶ。

藍染めの原料に:ホソバタイセイの葉を乾燥して粉砕し、水分を加えて発酵させたものを、藍染めの原料にする。葉の中のインジカンという配糖体が酵素分解されてインドキシルを生じ、空気が吹き込まれるとインジゴを沈殿し、藍色に染色するが、化学染料の発達とともに、染料植物としてはすたれてしまった。

抗白癬菌作用物質:日本生薬学会の発表(1979年)で、ホソバタイセイの葉からトリプタントリンという物質が得られ、水虫などに対 して、抗白癬菌作用があると報告された。

採取時期と調整法:秋から初冬にかけて、葉、根をとって水洗いしたあと、日干しにする。

成分:解熱作用のあるインジカン、βージトステロール。

薬効と用い方:
解熱に:
1回1.5〜3gを、水300ccから1/2量に煎じて服用。
はれものに:解毒薬として、上と同分量、同用法で使用する (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8120 ムラサキとは(紫根、しこん) わが国の各地のほか、朝鮮半島、中国、アムールにも分布する。
「本草和名」(918年)では牙良佐岐(むらさき)、「和名抄」(932年)では無良散岐(むらさき)の和名を記し、これに、中国名の紫草をあてている。紫の中国音はのちにムラサキの日本名となった。  
紫の ひともとゆえに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る(古今集)  
1000年も前に詠まれたこのような歌などから、武蔵野に特にムラサキが多かったと思われやすいが、そのころは北海道から九州まで、日のよく当たる草原ならば、どこでも普通に見られたはずのものである。

江戸紫の人気:天平のころから、紫染めにこの植物の根が使われていたが、田中長嶺著の「産業漫筆」(1892年)に、「家康が江戸に幕府を開き、土民漸く輻輳して一大都市をなすに当たり、加賀屋某と云者紫染をもて業となす。其色粉の美なる、頗る当時の人気に投 じ、世上大に行われ、終に江戸紫の名を得るに至れり」とあるように、江戸時代になって、江戸紫と言われるほど有名になっ た。  
当時は、染物屋の中でも特 に、紫染めの専門職人を紫師と呼んでいたが、彼らは、 家康が武蔵野台地の井之頭池を水源として造った神田上水の水をふんだんに使うことができ、また、紫染めの媒染に必要な椿灰を、江戸に近い伊豆大島から供給されていた。 こうしたことも、江戸紫を広めるのに、大きな要因となったと思 われる。

品質のよい栽培品:
天然物のムラサキの紫根は江戸時代、東北地方、愛媛、兵庫、滋賀、山梨、干葉、茨城、鹿児島などで産出していた。また、江戸近郊の所沢や、その他の農村地帯で畑作に紫根を作り、出荷していた。大蔵永常は「広益国産考」(1844年)にムラサキの栽培法をくわしく述べているので、各地で広く栽培されていたことがうかがえる(挿絵図はこちら)。また前出の「産業漫筆」には、主として栽培品を用い、これが不足したときには、野生品を使用するが、根の質がかたく、すり砕くのに不便であると、述べている。

江戸紫の秘密:紫根をすり砕く技法あたりに、江戸紫の秘密があったらしい。小判形の桶の底に、厚い板で、大根おろしのようなぎざぎざをつけたものを入れ、紫根と温湯を注ぎ、手にわら草履をはめ て、数干回すり、黄紅色の汁が出なくなるまでつづける。この汁に布を浸して染め、灰汁(椿)で媒染することを数回繰り返して紫色に染めた。

採取時期と調整法:5月か10月ごろ、根をとって日干しに。土が乾いたら、たたき落とすようにして除き、水洗いはしない。

成分:紫色素はナフトキノン誘導体のシコニン、アセチルシコニンなど。

薬効と用い方:
皮膚のトラブルによい紫雲膏:幕末、華岡青洲が愛用した軟膏で皮膚をなめらかにし、はれものの排膿、やけど、痔疾、皮膚の荒れ止めなどに用いる。材料はゴマ他油100g、黄蝋38g、豚脂2.5g、当帰10g、紫根10g。ゴマ油をなべに入れて加熱し、静かに黄蝋と豚脂を加えてとかし、当帰 と紫根を刻んで加え、が紫紅色になったら、熱いうちに乾いた布でこしてかすを捨て、冷めてから用いる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8121 コガネバナとは(黄ゴン) 中国北部からシベリアにかけてが原産地。モンゴル、朝鮮半島にも分布するが、わが国では栽培品だけである。古名をひひらぎ、また、やまひひらぎと呼んだ。

享保年間から栽培:
根を乾燥した黄ゴンが、生薬として中国や朝鮮から輸入されていたが、享保年間に初めて幕府の薬草栽培苗圃の小石川御薬園で栽培された。小石川御薬園の記録である寛政3年(1791年) 8月改めの「御薬草木書留」の中に、朝鮮の黄ゴン享保11年(1726年)預 かりという記入があり、このときに朝鮮から種子を入れて栽培した ことをあらわしている。また「物類品しつ」(1763年)にも「享保中、種子を伝う、今世上に多し」とあり、これを裏づけている。  
さらに小石川御薬園の記録を読むと、延享元年(1744年)に、御薬園から京都御所および仙洞御所へ、生薬として調整した黄ゴン二斤を毎 年進献していることが記されている。              

生薬黄ゴンについて:香川修庵は「一本堂薬選」(1729年)で、黄ゴンについて次のように述べている。漢文の大意をまとめると、「黄ゴンを選ぶには、中国からのものは黄色で青緑を帯びるものが最もよく、朝鮮からのものは色よく青緑でまたよい。用いるとき、内部の腐って いる場合はこれを削り去り、水で洗ってこまかく刻み、酒で洗い、 のち酒で炒る。一般の医者はタケニグサの根を和黄ゴンであるという が、これは誤りである。本物の黄ゴンは官園(幕府の御薬園をさす) に栽培される。これを見ると、葉はアカバナ(アカバナ科の多年草)の葉に似ていて紫色の花を開き、よく茂り、観賞するのにも足る」と述べている。また「薬種店では、黄ゴンにナンテンの根を混入して売っているから、注意してこれをとり去ってから用いないといけな い」とも記している。

事実と異なる和名:一般にコガネバナの和名が用いられ、漢字で黄金花とするところから、黄金のような黄色の花を咲くように思われやすいが、実際は紫紅色の花である。江戸時代、草花愛好家は、コガネヤナギと呼び、一般の通用名にもなったが、専門の医家や薬種、本草家は素人名だとして使わず、生きたこの草を言うときに も、黄ゴンの名を使った。コガネヤナギは葉が狭いのでヤナギ、コガネは根が黄色なのでつけられた名である。  
「牧野新日本植物図鑑」(1977年)は、これを「こがねやなぎ」とし、コ ガネバナを小さい字で別名のようにしてあるのは、さすがである。 しかし、ここでは国が定めた「第九改正日本薬局方」(1976年)の条文 記載の名称コガネバナをとった。

漢方で消炎解熱に:黄ゴンは漢方ブームに乗って、各種の漢方処方に配合して用いられているが、単独で用いることはない。吉益東洞の 「薬徴」(1771年)には、「心下痞(しんかひ)を主治す。胸脇苦満、心煩、煩熱下利を兼治す」と、消炎解熱薬としての漢方的効能の基本を示している。これは胃部が停滞した感じを治し、胸、脇に充満感があって苦しく、内熱のため心苦しく、暑苦しく下痢するのを治す、という意味。

成分:消炎解熱作用のあるオウゴニンやバイカリンを含む。  

薬効と用い方:
血圧を下げる代表的漢方薬、三黄瀉心湯:
黄ゴン(消炎解凱薬)、黄連(苦味健胃薬)、大黄(下剤)の、三つの黄の字がつく生薬を配合するので、三黄の名がついている。比較的体力があり、便秘がちで高血圧症状ののぼせや、肩こり、耳鳴り、鼻血、不眠、不安などに大黄、黄ゴン、黄連を各1g、水120cc回で40ccまで煮詰めて頓服する。

小柴胡湯:かぜの後期で微熱がつづくとき、発熱と悪寒が交互に起きるとき、食欲不振、胃炎、吐きけ、胃弱虚弱などに、柴胡7、 半夏5、大棗、生姜、黄ゴンを各3g、人参、甘草各2gを1日量 として、400ccの水で1/2量に煎じ、1日3回に服用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8122 クガイソウとは(草本威霊仙、そうほんいれいせん) 本州の山野、草地に自生する。

生薬威霊仙と混同:生薬の威霊仙は、わが国のセンニンソウに類似するクレマチス・シネンシス(シナセンニンソウ)の根で、つる性のキンポウゲ科の多年草である。しかし、草本威霊仙の原料植物クガイソウは、生薬名が似ているがキンポウゲ科ではなく、含まれている化学成分も異なっているので、これに威霊仙と同じような薬効を期待するのは、無理というもの。

名前の由来:小野蘭山は「本草綱目啓蒙」(1803年)で、「一種草本の者は蘇頌の説くところの威霊仙なり。和名クガイソウ或いはクカイソウともいう・・・・・肥たるものは十二、三層、小なる者はハ、九層、 故にクカイソウとも名づく」と述べて、このものも威霊仙としている。また、九階草とも書くようにしているが、「用薬須知」(1726年)のように、九蓋草と漢字をあてているものもある。これは仏像の飾りに使用する「天蓋」が、幾段にも重ねられているのを、花の様子から連想してつけたものとも言われている。その後、飯沼慾斎は「草木図説」(1856年)で、クカイソウ(カは清音)に「草本威霊仙」の漢字をあてた。しかし、彼は記事の冒頭 に、「本草啓蒙詳明草状……」と書き出していることから見て、小野蘭山の「本草綴目啓蒙」によって、草本威霊仙の漢字名を引用したことがわかる。また、「最新和漢薬物学」(1918年)には、草本威霊仙と振り仮名を振っており、最近の中国では、クガイソウを草本威霊仙として区別 し、「中国高等植物図鑑・第四冊」(1975年)は、クガイソウにこの日本製の漢字名をあてている。なお、中国ではこれを感冒、関節炎、リ ウマチ、膀胱炎に用いている。

クガイソウの種類:わが国のクガイソウを一つの種類とする場合と、次のように細分することもある。
名称 葉の数 花軸と毛 花冠の先 自生地
クガイソウ 4〜6枚
輪生
有毛 やや鈍る 本州
ナンゴククガイソウ 無毛 鈍い 本州、四国、九州
ツクシクガイソウ とがる 九州、韓国
エゾクガイソウ 7〜8枚
輪生
有毛 鈍いが丸みがある 北海道

このうち、エゾクガイソウは他のものより全体に大きい。また、中国のクガイソウを母種にし、わが国にあるのを、その変種として扱っている場合が多い。しかし、中国産も日本産も一つの同種として扱うこともある。中国産は、筒状になった花冠の4裂した先がとがっているのに、わが国のものはやや鈍い点が違う。

栽培法:クガイソウは花が美しいので、古くから庭先などにも移植栽培されてきた。ただし、特別な栽培法はなく、花のあるのをとってくる場合が多いが、植えつける際には、根茎を掘ったあと、地上部は切り捨てて、根茎を傷つけないように注意すること。

採取時期と調整法:7〜8月ごろ、根茎を掘りとり、水洗いしたのち日干しにする。

成分:フラボンのルテオリンが知られているほか、まだ精査されて いない。  

薬効と用い方:
リウマチ・関節炎・利尿に:
1日量として10〜15gを水200ccから1/3量に煎じ、3回に分けて、空腹時に服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8123 トチバニンジンとは(竹節人参、ちくせつにんじん) わが国特産で、北海道の留萌と紋別を結ぶ線より北にはないが、それ以南の各地では山野の樹陰下に自生する。

明国人何欽吉(かきんきち)が発見:わが国の人々にこの植物が薬草であることを教えたのは、明国人の何欽吉である。彼は広東省の人で、明国の騒乱を避けて数人の仲間とともに鹿児島県の内之浦に亡命、間もなく 都城に移り、わが国に帰化して、医を業とした。  
彼は寛永のころ(1624年)から万治元年(1658年)に没するまで、薩摩国内で薬草採集をしており、明国で薬用人参の地上茎や葉の形態、赤い実のことを知っていたので、わが国のトチバ二ンジンを見て、同 じ物と判断した。禁断の木の実にふれる思いで根を掘ったところ、 薬用人参のような根ではなく、地下で横に伸びる根茎だったので、びっくりする。のちにこれを「和人参」と呼んで薬草としての利用法を教え、これが薩摩人参や薩摩小人参の名で、広く用いられるようになった。
小野蘭山は「本草綱目啓蒙」(1803年)の中で、和人参、竹節人参が生薬として用いられるようになるのは稲生若水、松岡玄達両先生よりあとであると述べているが、これは、何欽古が寛永年間に和人参を発見したあとになるので、歴史的にもほぼ符合している。蘭山 は16才で77才の松岡玄達の門下生になり、本草学を学んでいる。

苦味の強い竹節人参:「物類品しつ」(1763年)には、「一種、根横生して、 状竹筒の如きもの和俗竹節人参と言う。茎葉は和の直根参と一様に して、根曲節ありて味甚苦し。鬚を取りて製したるを小人参と言 う。稲生先生曰く、其の鬚これをかむに甘苦気味はかすかに、人参 と相近し……人多く甘草湯をもって浸煮して、人参に代用する者有るが、もっとも不可となすと。按ずるに、この物、亦人参の種類たりといえども、至って下品にして用に堪えず」とあって、苦味をと るのに甘草湯で煮て、甘みをつけて人参の代用にするのはいけない。と指摘している。また、吉益東洞は「重校薬徴」(1853年)の中で、 「心下痞コウの証に大いに効あり・・・・・・謹んで苦を殺すなかれ」と説き、 胃部に停滞感があり、すっきりしないのに効果があったが、竹節人参の苦味がよいのだから、苦味を消さぬようにと言っている。  
和の直根参は直根人参のことで、京都の山中に生え、形状はオタネニンジンに似てひげ根が少なく、甘みがあるというが、これはトチバ二ンジンのことで、現在五根人参の名は用いない。

名前の由来:トチバニンジンの名は、葉がトチノキの葉に似ている ところから。生薬名の竹節人参は、地下の根茎が横に長く伸び、竹の地下茎のように、ところどころに節があることから名づけられ た。普通、根茎の長さは15〜20cmだが、北海道の野幌原生林内に長さ66cm、節が50数個かぞえられるものがあった。1年で1節とすると、50数年生存したものであろう。  
ときに、球形のよく赤く熟した果実の頂点に、黒色の斑点があるものがある。マメ科のトウアズキの種子、相思子(そうしし)に似ているので、 相思子様人参、また葉が細長いのをホソバチクセツニンジンと区別することもあるが、いずれも薬効には変わりはない。

オタネニンジンの薬効とは別:地上部の形状はオタネニンジンとよ く似ているが、地下の根茎は甚だ異なり、竹筒人参と人参(薬用人参、朝鮮人参)は同じように使用するものではない。竹節人参は苦味が強く、健胃・去痰作用がまさり、人参のように新陳代謝機能を盛んにする作用、強精・強壮、病後の回復などは期待できない。

採取時期と調製法:9月11日ごろに掘りとり、ひげ根をとり除き、 水洗したのちに、日干しにする。

成分:去痰作用のあるチクセツサポニンを含む。

薬効と用い方:
健胃・去痰に:
1回1〜3gを水300ccで半量に煎じ、内服するか煎汁でうがいする。苦いので1回の分量は少な目にすること(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8124 ミヤマトベラとは(山豆根、さんずこん) わが国の特産。茨城県から太平洋岸に沿い、四国、九州に自生。

山豆根をミヤマトベラに:李時珍の「本草綱目」(1590年)には、山豆根の説明文と、きわめて簡略化された図がのせてあるが、これだけを根拠にしてミヤマトベラを山豆根と結びつけたのは、江戸時代の本草学者の大いなる勇断であった。「苗蔓は豆のようで葉が青く、 冬を経て凋(しぼ)まない・・・・」の文と図を見れば、3枚の複葉である。とすれば、ミヤマトベラ以外に該当するものがない。  
近年になって、中国でのミヤマトベラ属の分布が知られるように なり、3種類ほどあるうちの一種、エウクレス・トリフォリオラータという学名の植物がミヤマトベラに非常によく似ていることがわかった。江西、広東、広西各省の樹陰に見られる低木で、「中国高等植物図鑑第二冊」(1972年・北京)には「三小葉山豆根」としてある。

特徴ある果実:花はマメ科特有の蝶形花を開くが、果実はマメ科のものらしくないのがこの植物の特徴で、長さ14〜15mmの楕円形、表面は紫黒色で、多肉質。内に1個の種子が入っていて、核果様の果実である。  
平賀源内は「物類品しつ」(1763年)で「冬を経て凋(しぼ)まず。八月根を採 る。この物山陰樹下に生ず。茎緑色、葉三葉にして豆のごとく、厚 して滑沢冬凋まず。根牡丹のごとく肉厚して味苦し。秋に至りて実を結ぶ。形蓮肉のごとく色青黒色、薄皮を去れば仁二片となること豆のごとし」と、果実についてくわ しく述べている(図参照)。

制ガン作用で話題の山豆根は別の植物:制ガン作用のことで話題になった山豆根は中国からの輸入品で、ミヤマトベラと違う別 の植物である。          
日本薬局方に該当する「中華人民共和国葯典1977年版」に、山豆根 (広豆根)が収載されていて、マメ科のクララ属の落葉低木、柔枝槐(じゅうしかい)の根および根茎を乾燥したものとなっている。これはわが国にも 見られるエンジュやイヌエンジュの仲間であるが、中華人民共和国衛生部葯典委員会編なので、これを信用したい。  
390年前、当時の中国薬局方とも言える「本草綱目」が記載した山豆根は、常緑低木、三小葉のマメ科のミヤマトベラ属であり、落葉樹ではなかった。国土、人ともに広大な中国では、390年の時の流れの中でこのような変化があるのも、珍しいことではないのかもしれない。いずれにせよ、現在の中国では、生薬名山豆根、この別名を 広豆根、基原植物、柔枝槐(学名ソホラ・ズブプロストラタ)としている。なお、類似生薬はつぎのとおり。

No 生薬名 部位
北豆根(ほくずこん) コウモリカズラの根茎
土豆根(どずこん) 華東木藍(かとうきあい)の根茎と根
雲豆根(うんずこん) ウンナンヒメクズの根

わが国の医薬の専門家が、山豆根の制ガン薬ばかりでなく、薬理や治療効果を研究するとき、どの材料を使用したかをはっきりさせたうえでなければ、せっかくの研究がほごに等しいものになることもあろう。

ミヤマトベラの薬効:「物類品しつ」には肥後(熊本)の方言として イシャタフシ(イシャタオシ)をあげており、薬効の顕著なことを あらわしている。また「和漢三才図会」(1713年)には咽喉の腫毒(はれ)をとるのに妙とある。制ガン効果のほどは専門家にまかせ、民間薬としては、のどの痛みに用いるのがよい。

採取時期と調整法:8から9月ごろ根を掘り、水洗いして日干しに。

成分:苦いのは殺菌性のあるアルカロイドのマトリン。

薬効と用い方:
扁桃炎によるのどの痛みに:
1回1〜3gを水200ccに煎じ、内服するか煎汁でうがいをする。苦いので、1回の分量は少なめにすること(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8125 トウガンとは(冬瓜子、とうかし) 東南アジア、南洋諸島、南部オーストラリア、インドと、太平洋南部からインド洋に至る広い範囲の国々が原産地。わが国には古い時代に渡来したものであろう。

名前の由来:「本草和名」(918年)に白冬瓜、和名加毛宇利(かもうり)、「和名抄」(932年)には冬瓜、和名加毛宇利とあり、冬瓜は味甘く寒毒無く (深い毒はないとの意)、渇を止め、熱を除くと解説している。  
小野蘭山は「本草綱目啓蒙」(1803年)で、江戸ではトウガンの方言で呼んでいると記している。これより先、越谷吾山は「物類称呼」 (1775年)で、「カモウリ(トウガ)、畿内及び中国北陸道或は上総にてカモウリという。東国ではトウガをトウガンとはねてよぶが、ダイコン(大根)をよぶにははねず、ダイコというのはおかしい」と述 べている。現在では、江戸の方言トウガンが広く用いられ、トウ ガ、カモウリは別名のようになった。  
トウガ、トウガンは冬瓜の音読みで、収穫期が冬であることから きた名前。カモウリは「大和本草」(1708年)で貝原益軒が「カモはも うせん(毛氈)の和名なり」としているように、果実の表面に白毛が密生しているのを、もうせんに見立ててつけられたものである。

江戸時代から切り売り:「農業全書」(1696年)に、「まだ白き粉を生ぜざるはとるべからず。早くもぎたるはくさりやすし。霜下りてのち よく然して白粉のよく出たるは、春まで置きても損ずる事なし」とあるように、冬の食べ物であった。江戸時代、本所で、朝のみそ汁用にと、トウガンの切り売りを始めて好評を得、産をなした仁右衛門という男の話が、「武野俗談」(1756年)に伝えられている。  
現在、愛知、干葉、広島などが主な栽培地で、東京の市場には、6〜9月ごろ入荷するが、西瓜のように大きいので、八百屋では切り売りされている。味は淡泊で、特有の風味があり、煮物、みそ汁、くずを加えたすまし汁の実に、また漬け物にも用いられる。

大きい果実と多数の種子:果実は扁円、または長楕円体で大きい。
早生トウガンという品種は、若いうちはほぼ球形であるが、成熟するにつれて長円筒状になる。  
トウガンの果肉は厚く、白色で水分が多い。中心部は空洞で、果肉に沿うように6列の筋があり、多数の種子がついている。種子は扁平な卵円形で、灰白色、周辺が隆起してビロード様になったものと、これとは別に、周辺の隆起部分がなく、表面がなめらかなものとがあり、これはトウガンの栽培品種であろうとされている。しかし、どちらも薬効には変わりはなく、かむと油様の味がする。

民間療法:
(1)そばかすをとるのに、冬瓜子(冬瓜の種子)、白桃花同量を粉末にしてハチミツ少量を加え、クリーム状にねってつける。
(2)痔に、冬爪子を煎じ、その汁で患部を洗うと痛みがとれる。
(3)利尿に、冬瓜の果皮を日干しにして保存しておき、むくみのときに、1日量20gを水400ccで半量に煎じて服用する。

採取時期と調整法:8〜9月ごろ、八百屋で求めた冬瓜を切り開 き、種子をとり出して水洗いし、日干しにする。

成分は未精査。

薬効と用い方:
消炎・利尿・緩下に:
はれものがあり、少々むくみぎみのとき、1日量として冬瓜子3〜12gを、水400ccから1/2量に煎じ、3回に分けて服用する。
漢方処方の大黄牡丹皮湯:大黄2g、牡丹皮4g、桃仁4g、冬瓜子6g、芒硝4gで、まず大黄、牡丹皮、桃仁、冬爪子を400ccの水で半量に煎じ、それをこしてから芒硝を加えてとかして用いる。 体力が充実して、便秘がち、下腹部を圧迫すると痛みがあるのを目標に、月経不順、便秘、痔疾などに用いると効果がある(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8126 アイとは(藍、あい) 南ベトナムが原産地。わが国には古く中国をへて、藍染の染料植物として、染色技法とともに入ってきた。今から700年ほど前には、播磨(兵庫県)で、その後は摂津(大阪府、兵庫県)で栽培ざれたが、徳川中期以降は、阿波(徳島県)での栽培が盛んに なり、以来、藍産業は阿波が独占するようになった。花は赤色の他が、白色花もある。また、アイ には花弁がなく、がくが5個に深く裂け、花後3稜のある長さ2mmほどの痩果を結び、中に黒褐色の種子がある。  
幕末のころの飯沼慾斎は、葉について「大垣付近で栽培しているものに、円葉、長葉、大葉、シカミ葉の4種があり、それぞれの葉にはわずかな差があるが、花や実は同じである」と、「草木図説」(1856年)に述べている。 シカミ葉とは、葉面にしわがあり、縮んでいるもので、こんに ちチヂミアイと呼ばれるものである。

発酵させて藍玉に:7月ごろ、開花前に採取した葉は、2cmぐらいに刻んで乾燥させ、「寝床」という室内に積み重ねて水でぬらすと、発酵して黒い土のかたまりのようになる。これを「スクモ」と言い、うすの中でつき固めて藍玉にする。アイにはインドール誘導体のインジカンを含み、乾燥、発酵によってインジカンが分解され、インドキシルになる。藍玉の中にあるインドキシルは、水に溶解して藍汁となり、布を入れて空気を吹き込むようにまぜているうちに、インジコができて、布が藍色に染まる。

栽培法:3月ごろ、種子を砂と木灰少々まぜて苗床にまき、発芽後20日程で株間30cmぐらいの本植えにする。

薬効と用い方:
解熱・解毒に:
種子3〜10gを1日量とし て、水200ccから1/3量に煎じて服用。
毒虫刺されに:生の葉汁を患部に外用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8127 ソバとは(蕎麦、きょうばく) 原産地については諸説があるが、中国雲南省という説が有力である。わが国では、養老6年(722)の夏、雨がなくて稲がよくできないので、朝廷が7月に詔を出し、諸国にソバ、アワ、ムギ の栽培を奨励していることが「続日本紀」(797年)に出ている。だからソバは、奈良朝以前から栽培されていたものであろう。  
「本草和名」(918年)も「和名抄」(932年)も、蕎麦の漢名に、和名曽波牟岐をあてている。ソバは中国から朝鮮をへて入ってきたとされており、古い時代にはソバ粉にして、そばがきやもちにして食べていた。江戸時代になって、そば切りの名が出てくるが、 これが今日の「おそば」である。

香りのよい新そば:わが国では近江(滋賀県)の伊吹山の山麓地帯がソバ栽培の発祥地とされ、のちに山梨、長野に移り、特に信州信濃の新そばが有名になる。最近は生産量がしだいに減り、カナダ、中国などから輸入している。  
5〜6月にまいて、7〜8月に収穫するのを夏そば、7〜8月の立秋前後にまいて10月ごろに収穫するのを秋そばと言うが、秋早く収穫したものは香気が高く、特に新そばと言う。

年越しそばの縁起:そば殼を焼いた灰で古い金属類を磨くと、多年のあかが落ちる。金箔を伸ばすのに、そば粉を用いるとよく伸びるし、飛び散った金粉をそば粉が吸い込んで引き寄せるところから、来年も金銀が引き寄せられるようにと、大みそかの年越しそばになった。引っ越しそばは、そばに来たからよろしくの意。

成分:茎にショウ酸石灰などの灰分、葉にはルチン、クエルチトリン、種子にはデンプン、脂肪、タンパク質、ルチンなど。

薬効と用い方:
はれものに:
そば粉に食塩少量を加えて、水でこね、患部に直接はりつける。 洗濯・洗髪に:茎葉を焼き、灰を水につけて灰汁を作って使用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8128 アキノキリンソウとは(一枝黄花、いっしこうか) 北海道、本州、四国、九州の平地や山地に自生。朝鮮半島にも分布している。名前は秋に咲くキリンソウの意。キリンソウはベンケイソウ科で、小さい黄色の花を多数つける美しい多年草。  
北米原産で戦後わが国に入り、雑草公害と言われるほど各地に 急速に広まったセイタカアワダチソウも、同じアキノキリンソウ属。ただし、アキノキリンソウには、このような旺盛な繁殖力はない。

中国の薬草ミヤマアキノキリンソウ:わが国では高山に見られるミヤマアキノキリンソウは、分布地域が広く、千島列島、サハリン (カラフト)、朝鮮半島、中国などでは平地に自生する。中国てはこれを一枝黄花と呼んで、薬草にしている。「中華人民共和国葯典」1977年版には一枝黄花の名で収載されており、「中葯大辞典・ 下冊」(1978年・上海)では、かなりのスペースをとって解説し、栽培法まで述べている。

アキノキリンソウを利用:わが国の民間療法では、アキノキリン ソウを利用し、高山のミヤマアキノキリンソウは用いない。

採取時期と調整法:8〜9月の花の時期に地上部をとり、水洗いして日干しにする。

成分:タンニン質、サポニン、フラボノイド。ミヤマアキノキリンソウは中国での報告によると、カフェー酸、クエルセチン、クエルチトリン、ルチン、アストラガリンなどを含むとされ、全草に含まれる熱水抽出液には、抗菌作用がある。

薬効と用い方:
かぜの頭痛、のどのはれの痛み、はれものの解毒に:
1日量として刻んだ乾燥茎葉10〜15gを400ccから半量に煎じ、3回に分けて食前30分に服用。
のどの痛みに:茎葉15〜20gを水400ccで1/2量に煎じ、これでうがいをする(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8129 シオンとは(紫苑、しおん) 中国、朝鮮半島、シベリアなどが原産地で、わが国には古い時代に薬草として入ったが、花が美しいので、観賞用としての栽培が盛んになった。「源氏物語」にも名前が出てくるので、平安のころには普通に栽培されていたのであろう。広島、大分、宮崎、 熊本などの一部に野生化したものがあるが、栽培されていたものが自然に山野に移ったのであリ元来、自生していたとするのは無理。

名前の由来:「本草和名」(918年)や「和名抄」(932年)には、漢名の紫苑に対して、和名ノシの名をあげてある。「万葉 集」にはオニノシコグサ、「古今和歌集」はシオニ、「枕草子」 や「源氏物語」になると、シオンの和名が出てくる。紫苑の中国音はジワンなので、これがなまってシオンとなったのであろう。

生薬紫苑:根や根茎を乾燥して生薬にするが、その外面は紫褐色か灰褐色、質はやわらかくて折れにくく、特異のにおいがある。 なめると少々甘みがあり、あとで苦みを感じるようになる。「本草網目啓蒙」(1803年)は、「漢渡(かんわたり、中国からの輸入品)もある。根は燈心の太さの細根が数多く集まり、紫赤色である。ときに薬店で売るものに、根の色が白いのがあるが、これは偽物で必ず折れやすい。狗舌草(くぜつそう、キク科のオカオグルマ)の根である」と述べている。また中国でも生薬にはシオンを用いているが、幾つかの類似生薬もあり、わが国にもあるトウゲブキ(メタカラコウ属・キク科)やメタカラコウに近いものの根を使っている。

採取時期と調整法:秋10〜11月に掘り上げ、細根をほぐすように して土を洗い落とし、日干しにする。

成分:去痰作用のあるサポニン(シオンサポニン)を含む。

薬効と用い方:
せき止め・去痰に:
1日量3〜10gを水300ccで1/3量に煎じ、3回に分けて服用 (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8130 ジュンサイとは(蓴菜、じゅんさい/蓴、じゅん) 世界各地に広く分有する。日本でも各地の沼地に自生するが、 最近の水質汚濁で、しだいに減少してきている。

名前の由来:「古事記」(712年)にヌナワの名で出ているのが最初で、「万葉集」にもヌナワの歌が一首ある。「本草和名」(918年)は和名奴奈波に蓴の漢名をあげ、「和名抄」(932年)はこの漢名に和名沼奈波(ぬなわ)をあげている。また、元禄10年(1697年)の「本朝食鑑」の水菜類に「蓴」が出ており、和名は奴奈波いまも同じ、とあるので、「古事記」以来、ずっとヌナワの名で呼んでいたらしい。  
しかし、その後呼び方が変わり、正徳3年(1713年)に出た「和漢三才図会」には、いまは蓴菜と言う、としている。著者寺島良安によると、蓴の中国音チュンがなまってジュ ンになり、水葉類なので菜をつけてジュンサイに、また、茎が長 くてぬるぬるし、乾燥させたものは物を束ねることができることから滑る縄、略してヌナワの名がついたとしてある。

食用に:春から初夏にかけて、若芽や若葉はぬるぬるした粘液質を分泌する。透明で寒天質のようなものに包まれているのをつみとり、生のまま三杯酢や汁の実にするが、その淡泊な味は、なめらかな舌ざわりとともに賞味される。半夏生(太陽暦で7月2日ごろ)を過ぎると、東北や北海道では、少々かたくなるので、塩漬けにし、びん詰めとして出荷する。

採取時期と調整法:5〜7月ごろ、葉とともに茎をとり、日干しにして、こまかく刻んでおく。

成分:粘液質。

薬効と用い方:
はれもの(悪性のおでき)に:
生の全草をもんで、その汁をつける。
解熱・利尿に:1日量として、乾燥した全草6〜15gを水400ccで1/3量に煎じ、3回に分けて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8131 トリアシショウマとは(赤升麻、あかしょうま/紅升麻、べにしょうま) 本州の中部以北から北海道にかけて自生する。

升麻の種類:升麻はサラシナショウマ(画像はこちら)の根茎となっているが、サラシナショウマをトリノアシグサ(延喜式)、ウタカグサ(和名抄)、アワボ(粟穂の意)と呼び、これとは別に、トリアシ升麻という種類があると指摘したのは、江戸時代の本草学者小野蘭山である。そして、「トリアシ升麻は、根皮赤黄色か赤色なのでアカ升麻という。古くは薬舗でボウデとかククリデの名で売っていた。皮を削ったのはケズリ升麻と呼んだが、これは小升麻、一名を嫁落(よめおとし)と呼ぶもので、升麻の下品である」と述べ、嫁落は能登の方言であるとしている。

類似植物:トリアシショウマに似たヤマブキショウマはバラ科の雌雄異株の多年草で、区別の要点は次の表のようになる。


種類 所属 葉脈 雄しべ 花の様子
トリアシショウマ ユキノシタ科 平行に出ない 2本 両性花
ヤマブキショウマ バラ科 平行に出る 3本 雌雄異株で単性花。

生薬赤升麻:赤升麻(紅升麻)はユキノシタ科のトリアシショウマのほかアカショウマ、チダケサシ、アワモリショウマなどの根茎も使用して、升麻の代用生薬にするが、所属する科、成分も異なるので、同じ効果を期待するのは無理である。

採取時期と調整法:春から夏に根茎をとり、水洗いして乾燥。

成分:フラボノール配糖体のベルゲニンなどを合む。

薬効と用い方:
かぜ・頭痛に:
1日量10〜15gを水400ccから1/3量に煎じ、3回に分けて服用する (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8132 イケマとは(牛皮消根、ごひしょうこん) 北海道、本州、四国、九州に自生するほか、中国にも分布。 イケマはアイヌ語からイケマを生馬と書き、馬の病気に用いて馬を生かすからこの名があるというのは誤りで、アイヌがこの草 をイケマと呼んでいたのが和名となったもの。根の太いつる草を意味し、馬とは無関係である。

イケマの効用:平賀源内はイケマについて「物類品シツ」(1763年)で、 「蝦夷に産す。蝦夷人この物とエプリコの二種、諸病ともに用う。 金瘡打撲等にも用う。本邦にても産前産後に用いて大に験ありという。世人其の何者たることを知らず。・・・・後又日光に産することを知る。方言ヤマカゴメという。これ即ちイケマにして本草の白兎カク、救荒本草(きゅうこうほんぞう)の牛皮消の類ならん」と記している。  
小野蘭山の講義をノートしてまとめた「救荒本草記聞」(1781〜 1788・国会図書館蔵)に、牛皮消はイケマ、生馬の漢字の説明に、 奥羽の方言で、馬の薬になるのでこの名があるとしている。  
また、岩手や会津ではコサと呼び、特に会津では「コサの一 声」という言い方がある。これは、烏を捕殺するときにイケマの根をだんごに入れておくと、烏がこれを食べたあと一声あげて即死するということから出た名前。この有毒物質はシナンコトキシ ンという強心利尿作用のあるものである。

採取時期と調整法:8〜9月ごろ、肥大した地下の根(根茎ではない)を掘りとり、水洗いしたのち、刻んで日干しにする。

成分:根に含まれるポリオキシ・プレグナン配糖体には抗腫瘍性、免疫増強作用等があると、日本生薬学会第26回年会(1979年) で発表された。ほかにシナンコトキシンを含む。

薬効と用い方:
利尿薬としてむくみに:
1日3〜6gを水300cc より半量に煎じ、3回にわけて、服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8133 イチヤクソウとは(鹿蹄草、ろくていそう) わが国各地に自生。朝鮮半島、中国、台湾にも分布している。 

漢字一薬草:谷川土清著の「和訓栞(わくんしおり)」後編(1877年)のイチヤクソウの部には、「一薬草の義、鹿蹄也といえり」としている。一薬草の漢字を初めてあてた文献だが、一つの薬草で諸病に効くというのなら、一役草でもよいのでは……という気もする。谷川土清は本業は医者で、国語学を研究し、安永5年(1776年)に67才で没したが、「和訓栞」は死後100年(1777〜1877年)をかけて出版された。  
「本草綱目啓蒙」(1803年)、「重訂本草網目啓蒙」(1847年)の著者小野蘭山は、文化7年(1810)に没しているので、「和訓栞」後編は見ていない。そして両書とも、鹿蹄草にイチヤクソウの和名をあげるだけで、漢字や語源の説明がない。方言としては、キッコウソウ、ベッコウソウ、スズラン(江戸)、カガミグサ(江州・滋賀県)などをあげている。

中国では避妊薬に:中国ではイチヤクソウの全章を乾燥し、粉末状にしたものを避妊薬にする。月経が始まった当日、空腹時に酒とともに10gを服用し、毎月1回ずつ4〜5ヵ月連用した結果、 70例の避妊実験のうち、63例が成功したという報告がある。  
また「中葯大辞典・下冊」(1978年・上海)には、婦人薬としてお茶がわりに飲など月経が常に順調とある。

採取時期と調整法:花の時期に全草をとり、風通しのよい日陰につるして干す。

成分:利尿作用のあるクエルセチン、ウルソール酸のほか、β-ジトステロール、オレアノール酸などを含む。

薬効と用い方:
脚気やむくみの利尿に:
1日量10gを水400ccより1/3に煎じ、3回に分けて分服用する。
移植栽培は、根が菌類と共生して栄養を得ているので、山で掘り上げるとき、株の周囲の土をたくさんつけるようにすること(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8134 イヌホオズキとは/イヌホウズキとは(竜葵、りゅうき) 北海道、本州、四国、九州と広く自生するほか、世界中の温帯や熱帯に分布している。

わが国独特の療法:「本草和名」(918年)では、竜葵(りゅうき)の漢名に一名を苦菜とし、和名を古奈須比(こなすび)または久佐奈須比(くさなすび)としている。「大和本草」(1708)は「コナスビ ー名イヌホオズキ又ヒタイホオズキ、 葉は茄に似て子は小にしてまるし。熱すれば黒し。其実を汗瘡(あせも)に付すれば癒る。本草に此能ある事を載せず」と記しているが、あせもに効くことは、本草(「本草綱目」ほか、中国の本草書)に出ていないという。わが国独特の療法であろう。ヒタイホオズキ はひたいにおでき、あせもができたときに用いるのでつけられた 名前。小野蘭山は「本草綱目啓蒙」(1803年)の竜葵の項の終わりに、 「その葉、実、根は外家(外科)の要薬なり」と記している。

類似植物:これによく似たテルミノイヌホオズキは、黒く熟した果実の表面に光沢があるのでこの名がある。小花が散形(傘のような形)につき、葉は薄くて鮮緑色。イヌホすズキは葉質はやや厚く濃緑色で、花は散形でなく総状(ふさのような形)につく。

採取時期と調整法:8〜9月に根から掘り上げ、よく水洗いしたのち、風通しのよいところで乾燥する。はれものには生で使用。

成分:解熱作用のあるアルカロイドのゾラニン、ゾラマルジン。 アルカロイドは果実中に、サポニンは全草に。

薬効と用い方:
はれものに:
生の果実を含む茎葉を、少量の塩を加えてもみ、この汁をつける。
解熱・利尿に:よく乾燥した全草を1回量として1.5〜3g、水200ccで1/2量に煎じて服用する。
疲労回復に竜葵酒:根を含めて乾燥した全草100gを、グラニュー 糖150gとともに35度のホワイトリカー1.8gに漬け、2〜3ヵ月後に布でこして、1回20〜40ccずつ、夜就寝直前に飲む(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8135 ホオズキとは/ホウズキとは(酸漿、さんしょう/酸漿根、さんしょうこん) わが国のほか、朝鮮半島、中国にも自生する。

名前の由来:スサノオの尊が退治したハ岐大蛇(やまたのおろち)の目玉は赤加賀智(あかかがち)のようだったと、「古事記」に出てくる。アカカガチは赤いホオズキの意で、このころはホオズキをカガチと呼んでいた。  
平安のころの呼び名は、ヌカズキで、その後ホオズキになっている。「本草和名」(918年)は酸漿の漢名に対し、和名を保保都岐(ホホヅキ)、一名奴加都岐(ぬかつき)としてある。ホオズキの語源について「大和本草」(1708年)は、ホオという臭虫(カメ虫の一種か)が好んでこの葉を食べるからだと述べている。小野蘭山はこれはおかしいとしているが、「牧野新日本植物図鑑」(1977年)は「大和本草」の説をのせている。少女とホオズキの組み合わせから、頬突という説もあるが、はっきりしていない。中国名では少女にからむ名が多く、 紅姑娘、紅娘子、姑娘花、花姑娘などがある。

ホオズキ市の由来:浅草のホオズキ市は薬とは無関係で、7月9 日か10日のホオズキ市に参詣すると、四万六千日お参りしたのと 同じ功徳があるということから。ホオズキ売りは文化初年ごろ、 芝愛宕神社の御神託によって売り出され、のちに浅草にお株をとられたかたちとなったもの。そもそも雷よけが始まりだった。

採取時期と調整法:7〜8月ごろの開花中に、地下の根茎を含め た地上の茎葉をとって水洗いし、日干しにする。

成分:鎮咳作用のある苦味質フィザリン、利尿作用のあるフラボ ンのルテオリン。

薬効と用い方:
せき止め・解熱・利尿に:
1日量として、乾燥した全草を3〜10gを、水300ccから半量に煎じ、3回に分けて服用する。
洗濯に:赤く熟した実の汁ですすぎ落とす。ホオズキの赤みは無患子の皮か赤豆の粉ですすぐときれいになる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8136 マクワウリとは(甜瓜、てんか/瓜蒂、かてい) インドの原産で、応神天皇(270〜310年)の時代に百済・新羅からの渡来人によって伝えられたとされていたが、弥生時代の土器出土品の中からこの種子が発見され、わが国への伝来は、かなり古い時代になるのではないかと、考えられるようになった。

名前の由来:「古事記」(712年)や「万葉集」(753年)に保曽知(ほぞち)の和名で出てくるが、「正倉院文書」天平勝宝2年(750年)には、熟瓜の漢名に保蘇治瓜(ほそじうり)、「本草和名」(918年)、「和名抄」(932年)には保曽知の和名をあてている。ほぞちは臍落(ほぞおち)が詰まったもので、熟するとへたが落ち、そこが臍のようにへこむのでつけられた。この名は長くつづいていたが、天正3年(1575年)6月、美濃国(岐阜県) 真桑(まくわ)村産のものを織田信長に進上し、美味でたいへん賞賛されたため、以来、村の名をとってマクワウリの和名が一般化した。  
江戸初期、「本草綱目」(1590年)が入ってからは、これにならって、漢名は熟瓜から甜瓜(てんか)に変わっている。

江戸が名産地:「本朝食鑑」(1697年)によると、「信州の種子を武州川越に栽培したのがいちばんよく、成子(東京・新宿)、府中の産がこれに次ぐ。京都の東寺、美濃の真桑といっても、武州の産の美味には及ばない」とあって、元禄時代には江戸の名産だったらしい。当時は、マクワウリが夏の果物の王座を占め、歌麿は「夏衣裳当世美人」にマクワウリと美女を描いている。

採取時期と調整法:6〜7月、未熟果のへたを集めて日干しに。

成分:苦味質のメロトキシンを含み、これには、嘔吐中枢を興奮させて、嘔吐を催す作用がある。

薬効と用い方:胸苦しく吐きけのあるとき、吐きけ促進に:乾燥したへた(瓜蔕
)を1回量2〜4g、水 200ccから1/2量に煎じて服用する。
下痢に:
瓜蔕を上と同じ方法で煎じて服用 (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8137 スイカとは(西瓜、すいか) 熱帯アフリカの原産。わが国に栽培されだした年代は、はっきりしないが、おそらく江戸初期てあろう。

名前の由来:「本朝食鑑」(1697年)に、「水瓜すなわち西瓜のことである。俗に瓜のうちで水分が多いところから、こう名づける。 中華の発音では西を須伊(すい)と読むので、こう称するのであろうか」 とあるように、中華(中国)から西瓜の名称とともに入ったとされる。エジプトでは4000年の昔から栽培されていて、中国には五代十国の時代(わが国の平安朝のころ)に、西のほうから入ったと されている。西からの瓜というので、西瓜の漢名になった。

初期は冬瓜形:「本朝食鑑」には、「各処に多くある。江東(えど)のものが最も美い。・・・・・花、葉はほぼマクワウリに似ており、実は団長で大きい」とある。また「農業全書」(1696年)にも団長の西瓜の図が描かれており、スイカは現在のような球形でなく、冬瓜のような形であったらしい。味も当時はあまり甘くなく、果肉をえぐって砂糖を入れ、半時ほどおいて食べたり、果肉を砂糖湯で煮てあめのようにして、冷ましてから食べていた。明治になって、アメリカから新しい品種が入り、優良な西瓜が出現したが、江戸時代にはまずくて、マクワウリのほうが喜ばれていた。

本草書の薬効:渇を止め、暑を消し、酒を解し、能く小水を利すというのが、多くの本草書にあげている西瓜の薬効である。

成分:果汁にアミノ酸のシトルリン、果肉の色素はカルチノイドのリコピン、カロチン。ほかにリンゴ酸、糖分(転化糖)など。 リンゴ酸やカロチンには利尿作用がある。

薬効と用い方:
急・慢性腎臓炎のむくみに:
よく熟した西瓜の赤い果肉から果汁をとり、土鍋などに入れ、とろ火で煮詰めて水あめ状にしか西瓜糖を利用。1回に茶さ じ1杯ずつ、1日3回服用。西瓜糖は乾燥したびんに保存する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8138 ジュズダマとは(川穀、せんこく/川穀根、せんこくこん) 東南アジア原産で、各地の小川の縁などに野生化していることから察すると、かなり古い時代に渡来したものであろう。

ハトムギと混乱:ジュズダマに似たハトムギは、小野蘭山の「本草綱目啓蒙」(1803年)によれば享保年間(1716〜1735年)に渡来したことになっているが、それ以前に出た「農業全書」(1696年)にはハトムギ、ジュズグマのことがふれてあるので、もっと早く入っていたと思われる。「本草和名」(918年)はヨク苡子に対して和名都之太末(つのたま)、「和名抄」(932年)はヨク苡の二字に和名豆之太萬(つのたま)をあてている。ツノタマの語源は不明だが、わが国の古代にツノタマと呼んだ植物は現在のジュズダマではなかったのではないか。「牧野新日本植物図鑑」(1977年)ではジュズダマの漢名としているが、現在わが国では、ヨク苡はハトムギ、 ヨク苡子やヨク苡仁はハトムギの種皮を除いた種子、ジュズダマは川穀(せんこく)になっている。江戸時代小野蘭山が「真のヨク苡は享保年中に渡る」としたことから、平安のころのヨク苡は何か混乱が始まった。

つないで数珠に:果実は特異で、外側の灰白色で光沢のある部分は本来の果実ではなく、葉が変形した葉鞘がさらに変化したも の。果実は9mmほどの卵状球形で先端がややくぼんでおり、古くからそこに針を通し、糸でつないで数珠を作っていた。

採取時期と調整法:9〜10月、シャベルなどで根を掘りとり、水洗いして日干しに。種子も同じころにとって日干しにする。

薬効と用い方:
リウマチ・神経痛・肩こりに:
乾燥した根を1回2〜5g、水300ccで煎じて服用。
ヨク苡仁の代用に:皮つきのまま、種子を砕いて用いる。
★種子の断面にヨーチンをつけるとハトムギは暗赤褐色、ジュズ ダマは青紫色になる。またハトムギはかむと、歯に粘着するモチ性だが、ジュズダマはコメ(ウルチ)性で、歯につかない(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8139 バショウとは(芭蕉、ばしょう) 中国南部の原産とされていたが、中国でも古くから広く江南地方に栽培されているところから、それより南の東南アジア方面が原産地ではないかとの見方もあり、はっきりしていない。

名前の由来:「和名抄」(932年)では、漢名芭蕉に対して、和名発勢乎波(ばせおば)をあて、葉は筵(むしろ)のようで、またの名を苑(えん)、一名甘蕉(かんしょう)ともいうと記してある。林道春の「新刊多識編」(1631年)では発勢乎となり、越谷吾山の「物類称呼」(1775年)では芭蕉を「ばせう」と呼び、漢名芭蕉の音読みから和名バショウになったとしている。  
江戸時代、長崎に来ていたシーボルトが「ムサ・バショウ」の学名を発表した。ムサはバナナの仲間をさす学名で、イギリスでバショウを「ジャパニーズ・バナナ」と呼ぶようになったため、バショウの原産地は不明であるにもかかわらず、世界中の植物学者はバショウが日本原産のように決めてしまった。

寺院に多い:壮大で雄渾、2mを超える草で、美しい葉は観葉植物として王者の風格を備えている。大型葉の一部である葉柄は、 さやのようになり、幾枚もの葉が巻き重なり合って茎のように伸 びたもので、実際は茎ではないので、これを偽茎と呼ぶ。この偽茎の先から薄緑色の大型葉が広がっている。  
「和漢三才図会」(1713年)には、薩摩に多く、畿内の寺院にもまれにあるが、一般の家では忌みきらって植えないとしてある。  
松尾芭蕉は「此寺は庭一盃のばせを哉」の句を残している。

採取時期と調整法:葉、根茎とも必要時に採取。葉は冬期は枯れるため、春から秋にとって水洗いし、日干しに。

成分:米精査。

薬効と用い方:
利尿に:
乾燥した葉を1回2〜4g、水300ccから半量に煎じ、服用する。
解熱に:根茎を1回3〜4g、水300ccから半量に煎じて服用。
傷の止血に:生の葉の汁を傷口に塗る(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8140 ハナヒリノキとは 本州中部以北より北海道に自生。葉の乾燥した粉末が鼻の穴に入ると、くしゃみが出る。ハナヒリはくしゃみのことで、クシャ ミノキ、クサメノキの方言もある。仙台ではくしゃみをアクショ と言うので、この地方ではアクショノキと呼んでいる。また、この葉や小枝を便所のうじ虫を殺すのに用いるので、ムシコロシ、ウジコロシの方言もある。            
江戸本草学者と漢名:明代の学者李時珍の「本草網目」(1590年)全52巻が、江戸初期にわが国に紹介され、薬物書の聖書のようになった。たとえば、ハナヒリノキと言うとき、「本草網目」のどの項目に該当するかが、まず問題になる。しかし、ハナヒリノキは中国には産しないので「本草綱目」にはない。「和漢三才図会」(1713年)は木藜蘆(もくりろ)に浜木綿(はまゆう、ヒガンバナ科・わが国暖地海岸産)をあてたが、「本草綱目啓蒙」(1803年)は、この漢名にハナヒリノキを あてた。「本草綱目」の木藜蘆にあたる植物は、今日なおはっきりしないが、「小さい樹で葉はユスラウメのようで狭く、しわが多い。4月に小黄花を開く。有毒」とあるところから、小野蘭山 はハナヒリノキを木藜蘆とした。しかし木藜蘆はハナヒリノキで もハマユウでもない。漢名至上主義の時代の誤りである。

採取時期と調整法:花の時期から秋の初めごろが最も効力が強いので、10月ころに採取するとよい。効能の主体は葉だが、小枝がついていてもよく、日干しにして厚地の布袋に入れてもみ砕く。 その際、粉が鼻に入らないようにすること。

成分:有毒成分はグラヤノトキシン、その他パラメトキシ桂皮酸など。グラヤノトキシンは秋に含有量が最も多い。

薬効と用い方:
便壺のウジ殺しに:
便壺に750〜1000gの粉末を入れるとよい。
家畜の皮膚寄生虫駆除に:適当量を煎じて、その汁で洗う(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8141 マサキとは(冬青衞矛、とうせいえいほう) 北海道、本州、四国、九州の海岸に自生し、また栽培される。朝鮮半島、中国にもある。マサキの古名はハヒマユミとされ、マサキは真青木から転化したのではないかとの説がある。一般に木と正を合成した柾を書き、マサキと読ませるのは日本製の漢字。

中国の杜仲と混乱:「本草和名」(918年)や「和名抄」(932年)には、 和名波比末由美(はひまゆみ)は杜仲であるとしているが、杜仲は中国特産で、わが国にはない。「和名抄」には、折れば白い糸が多く出ると記 してあるところから、杜仲をマサキにあてたのだろう。  
江戸時代の「大和本草辨正」(写本・国会図書館)に、「これを杜仲に充つるは稲生若水の説なり。若水あるとき入浴中、たまたま子供がマサキの皮を剥ぎ、綿を引き出してこれを翫弄す。若水これを見て、始めて杜仲なることを発明し、うれしさのあまり、裸体にて不覚にも湯を出る」とある。稲生若水は江戸中期の 本草学者。中国特産杜仲とマサキは、糸を引くから同じであるとする考え方は、江戸末期にはくずれ、マサキは和杜仲(日本の杜仲の意)と呼ぶようになる。

生薬杜仲:トチュウは中国南部に自生または栽培される落葉高木で、トチュウ科にこのものがただ一種含まれる。わが国にも、と きに栽培されているのを見かけるが、樹皮を乾燥したのが生薬杜仲で、古くから中国より輸入した。折れば納豆のような糸を引くのは、グッタペルカというゴム様物質で、強壮薬、血圧降下薬、 関節痛の鎮痛薬に用いる。和杜仲は杜仲の代用にはならない。

採取時期と調整法:秋から冬に根を掘り、刻んでから水洗いして日干しに。樹皮も同じように日干しにする。

成分:未精査。

薬効と用い方:
月経不順に
:樹皮を1回に2〜6g、水300ccで半量に煎じ服用。
利尿に:乾燥した根1回2〜6gを水300ccで半量に煎じて服用 (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8142 ホップとは ヨーロッパ南部から西アジアの原産。わが国には明治初期に入 り、現在、山形、岩手、長野、山梨地方で栽培が盛んである。

野生カラハナソウがホップ輸入のきっかけ:明治4年(1871)に開設された開拓使仮学校(現在の北海道大学の草創)の教頭、アメ リカ人のトーマス・アンチセルが、北海道岩内付近で、ビールの原料ホップが野生しているのを見て、こればどうまく野生しているなら、この地方でビール醸造ができると、これを用いてビール を試し造りしたが、さっぱりほろ苦さがない。ホップと思ったのは野生の雑草カラハナソウだったためだが、それほど似ているの ならということになって、外国からホップの苗を導入。明治8年 (1875年)ごろから、北海道で本格的なビール醸造が始まった。

雌花がホップの中心:写真で松毬(まつかさ)状にぶら下がっているのが、8月中旬ごろの果実である。短い軸を中心に、薄い膜質の苞(葉の 変形したもの)がたくさん重なり合ってできているが、1枚の苞をとって裏側を見ると、丸い形をした痩果が2個あり、その周辺に黄色粒状のホップ腺がついている。これを集めてなめると、苦くて特有の香りがある。カラハナソウにも、この苦みと香りがあるが、黄色粒状のでき方が少ない。

採取時期と調整法:8月中ごろから9月初めに、ホップ果穂をつ みとる。これを風通しのよいところで乾燥し、布袋に入れて振り動かし、袋内に集まったホップ腺をふるいにかけて集める。

成分:特にホップ腺にはフムロン、ルプロンの結品性苦味配糖体を含むほか、フムロンは芳香の成分で、鎮静作用がある。ケルチ トリン(利尿作用)の成分などを含む。

薬効と用い方:
健胃・鎮静に:
ホップ果穂1回2〜5gに、熱湯注いで飲む。
健胃・鎮静・利尿に:ホップ腺1回0.5〜1.5gを、そのまま服用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8143 ヒロハセネガとは(セネガ) 原産地はカナダ南部からアメリカにかけて。生薬としての「セネガ」は、明治19年(1886)6月に「日本薬局方第1版」に収載されて以来、現在の第9版までつづいている。

セネガ族の民間薬から:アメリカインディアンのセネカ族が、ガラガラ蛇にかまれたときの解毒薬として用いていたが、1735年にジ ョン・テネット医師によって去痰に有効であることが発表されて以来、各国で薬局方に採用されるようになった。セネカ族の名からセネガの生薬名になったが、英語ではスネーク・ロートで、蛇の根という意をあらわしている。

良質の日本産セネガ:北米では、北方セネガをホソバセネガ、南 方セネガをヒロハセネガと区別している。わが国では、このうち ホソバセネガから作る生薬を北米から輸入していたが、それとは別に、早くからヒロハセネガを国内で試験栽培していた。その結果、昭和30年(1955年)ごろから良質のものが生産されだし、日本産 セネガの名で、ヨーロッパ市場に輸出されるようになった。 現在、北米産セネガも多少輸入されているが、わが国では北海道、兵庫などで栽培され、国産セネガが豊富になったので、ほとんど、国産品で需要を満たしている。

同属植物:わが国に自生する同属のものには、ヒメハギやカキノハグサ、ヒナノキンチャクなどがあるが、薬用にはならない。

栽培と調整法:排水のよい腐植質土壌に3月下旬〜4月上旬にじかまきし、5〜6月に除草、間引きを行う。秋に採取できるが、 翌年秋でもよい。細根をつけたまま水洗いして日干しに。

成分:セネギンと名づけられるサポニンの混合物が主要成分。ほ かにサリチル酸メチルエステル、脂肪油を含む

薬効と用い方:
去痰に:
根5gに茶さじ2杯の砂糖を加え、水300ccで1/2に煎じて3回に分け服用 (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8144 ヒルムシロとは(眼子菜、がんしさい) わが国全土と、東アジアに広く分布する。「大和本草」(1708年)は 「和名ヒルムシロと言う。水中に生ず、茎長く水中に蔓延す。水上にのぼらず。葉のうら紫色也。水面に葉浮かぶ。葉に筋あり光あり」として、漢名の眼子菜にあてた。さらに、俗説に陰干しに して粉末にし、食あたり、かくらんのときに服用、また煎じて用いてもよいと記し、「救荒本草」という書物には、6〜7月に葉をとり、よく煮て食べられることが出ていると述べている。 「物類称呼」(1775年)の眼子菜の項には、畿内や北越でヒルムシロ、関東はヒルモ、信州ではビリコ、津軽ではビリモノと言い、 田舎の人は葉をまぶたのはれにはると述べている。

名前の由来:和名ヒルムシロは蛭蓆(ひるむしろ)で、蛭のいる場所をあらわし た意から。また葉を小判に見立てて、オオバンコバンやコバンと呼ぶ地方もある。漢名眼子菜の意味はよくわからない。 「本草和名」(918年)は比留光之呂(ひるむしろ)、一名波末世利(はませり)、「和名抄」 (932年)は比流牟之呂(ひるむしろ)に対し、いずれも漢名の「蛇床子」をあてたが、これは水中植物ではなく、セリ科の地上生のもので、現在 水生植物のヒルムシロではない。「万葉集」に「安波をろの をろ田に生はるたはみづら 引かばぬるぬる 我を言な絶えそ」の歌がある。「たはみづら」にはミクリ、ジュンサイ、ヒルムシロの三説があるが、最近ではヒルムシロであるとする説が多い。

採取時期と調整法:7〜8月ごろの開花期に、根ごと全草をとり、日干しに。また生の全草を使用。

有効成分:末精査。  

薬効と用い方:
魚貝類による食あたり・二日酔いに:
乾燥したものを5〜10gを1回量として水400ccで半量にまで煎じて服用する。
やけどに:生の全草をすりつぶし、しょうゆを少量加えて粘液状にしたものを患部にはる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8145 ヒシとは(菱実、ひしのみ) 北海道、本州、四国、九州に自生するほか、朝鮮半島、中国にも分有する。古い池や沼に見られるが、近年汚水の流入によっ て、自生地の減少が見られるのは惜しい。

名前の由来:「本草和名」(918年)に菱実、「和名抄」(932)に菱子 と書き、いずれも和名を比之(ひし)としている。水面に浮く葉の形が「ひし形」であることから出た名とされている。

古くから利用:「万葉集」にヒシをつむ歌があるので、古くから この実を利用していたようだが、「大和本草」(1708年)には「生にても蒸ても食う。飢を助く」とあり、食用として知られていたらしい。また’「和漢三才図会」(1713年)には、「菱の果肉は胃腸をよく し、五臓を補い、暑を解き、消渇を止む」と薬効を記してあり、 「本朝食鑑」(1697年)でも、現代流に言えば、滋養、強壮、二日酔い、消化を助けるなどの薬効をあげている。

がくが刺針に:白色4弁の花は一日花で、花後は水中に下がって結実する。がく片2個は脱落し、残った2個のがくが、左右斜めに鋭くとがった刺針になる。食用にする種子は子葉で、タンパク 質14%、デンプン質を67%含んでいる。

類似植物:
全体がヒシより小さく、刺針が4本あるのはヒメビシ で、東京・市ケ谷の堀に浮いているのが見られる。またヒシより大型で剌針が4本あるのはオニビシ。ヒシとオニビシの葉柄や葉の裏には毛があるのに、ヒメビシにはほとんどない点が異なる。

採取時期と調整法:9〜10月ごろ果実をとり、水洗い後日干し。

成分:ベータ・ジストテロールを含む。  

薬効と用い方:
滋養・強壮・消化促進に:
種子を生食したり、茹でて食べる。
胃ガンに、剌針のある果実を砕いて煎じ、服用するとよいというが、目下のところはまだ信頼できない。 (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8146 ハマウツボとは(草ジュ蓉、そうじゅよう/列当、れっとう) わが国全土に自生するほか、中国、朝鮮半島、台湾、東ヨーロッパからシベリアにかけて分布している。

本草綱目の列当で混乱:李時珍の「本草綱目」(1590年)では、列当の項に、「蓮根のようなもので、生じたばかりのものを掘りとって陰干しにして用いる。長さは15〜100cm、茎は丸く、色は白い」として、奇妙な図(画像@)をあげている。これを見たわが国の本草学者は、わが国の何がこれに該当するかわからず、ずいぶん迷ったらしい(画像A)。これは「和漢三才図会」による。  「物類品シツ」(1763年)の中で、平賀源内が初めて列当一名草ジュ蓉を和名ハマウツボにあてた。40年後に出た小野蘭山の「本草綱目啓蒙」(1803年)、「重訂本草網目啓蒙」(1847年)では、列当をハマウツボにしたほか、日光や富士山にあるキムラタケも列当に入れている。昭和になってからもこうした混乱はつづき、「牧野新日本植物図鑑」は、ハマウツボに列当の漢名を使うのは誤りとしている。しかし、最近の「中葯大辞典・下冊」(1978年)や「中国高等植物図鑑L(1975年)は列当にハマウツボをあげているので、これでようやく、一件落着となった。

採取時期と調整法:河原の砂地や海岸に多い多年草のカワラヨモギの根に寄生するので、その群生地付近をさがす。5〜7月ごろ、花のあるものを根から採取し、陰干しに。

成分:未精査。

薬効と用い方:
強壮に:
5〜10gを1日量として、水400ccから、半量にまで煎じ、3回に分服する。また、列当酒として、列当100g、グラニュー糖50〜80gを35度のホワイ トリカー1.8gに1〜2ヵ月つけ、冷暗所においたのち、布でこして、1回量40ccを限度に就寝前に飲む(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8147 オニクとは(和肉ジュ蓉、わにくじゅよう) 昭和初めの夏のこと、日光金精山で採取したオニクを庭先で乾燥していると、猫が来てオニクの根茎の大くてかたい部分をかじ りだした。それまで猫とマタタビしか知らなかったので、大いに驚いたものだ。本州中部以北から北海道の高山に自生するミヤマハンノキに寄生。また千島列島、サハリン、カムチャッカ、中国、東シベリアから北米西部と広範囲にわたって分布している。

名前の由来:オニクはハマウッボ科のオニク属の一年草。肉ジュ蓉を尊重して御肉と呼び、それからオニクになった。わが国のオニクは中国産と区別するため和肉ジュ蓉としている。また、別名のキ ムラダケはキンマラダケの略、ほかにオカサダケの方言もある。

類似植物:中国産肉ジュ蓉はホンオニクと呼んでオニクと区別するが、これは同じハマウッボ科のホンオニク属に所属する多年草。 内蒙古、甘肅(かんしゅく)、陝西(せんせい)、新彊(しんきょう)、ロシアなどの砂漠地帯で、塩分が多 くて特殊な草木しか生育しないような不毛の地に、主に自生している。ホンオニクの学名「サルサ」は塩の意味。  
オニクの花は花びらが唇形(くちびる形)で、上唇、下唇に分 かれているが、ホンオニクでは花びらの先は浅く5裂し、筒状で 長く突き出し、唇形ではないところがオニクと違う。

採取時期と調整法:8〜9月ごろの開花期に地下部分から掘りと り、水洗いして乾燥するが、猫にとられないよう注意すること。

成分:ボシニアラクトンやボシニアキンという塩素性物質を含んでいる。

薬効と用い方:
強壮・強精:
中国産肉ジュ蓉の代用として、1日6〜10gを 水300ccからま1/3量に煎じ、3回に分けて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8148 ウマノスズクサとは(朱砂蓮、しゅしゃれん/土青木香、どせいもっこう/青木香、せいもっこう/馬兜鈴、ばとうれい) 関東以西、四国、九州、沖縄に自生。中国にも分布する。

名前の由来:果実はほぼ球形の刮ハを結び、これが馬の首にかける鈴に似ているので、ウマノスズクサの名ができた。生薬名の馬兜鈴も同じ意味。上青木香、青木香はともに中国名をそのまま用いている。
「本草網目啓蒙」(1803年)には、「ツンボグサ・播州(兵庫県)で この実、耳を毒す故に名づく」とあるが、果実が耳の毒でツンボ になるという理由はわからないし、それが事実かどうかもわからない。

類似植物:オオバウマノスズクサは、関東以西の太平洋岸沿いの暖地の山林の中に自生する。葉は丸くハート形、ときに波状に凹入しているものもあり、裏面には細毛が特に多くあり、葉の質も厚い点がウマノスズクサと違う。ウマノスズクサの葉は毛がないし、質も薄い。中国では、オオバウマノスズクサの根を生薬朱砂蓮として、はれものを治し、ウッ血して疼痛あるものに1回1.5〜3gを煎じて服用するようになっている。わが国では、オオバウマノスズクサの根も、土青木香として利用してきた。

採取時期と調整法:10〜11月ごろ、地上部が枯れかかったころに 根を掘りとり、水洗いして日干しにする(青木香)。果実は緑色より黄変したころに採取し、日干しにする(鳥兜鈴)。

成分:根はアリストロン、アリストロ酸など。果実と根には消炎作用のあるマグノフロリンを含む。

薬効と用い方:
解毒・はれものの疼痛に:
青木香1日量3〜10gを水300∝で半量に煎じて服用。
去痰に:馬兜鈴3〜10gを1日量として、水300∝で半量にまで煎 じて服用する (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8149 イワタバコとは(苦苣苔/くきょたい) 本州、四国、九州、沖縄に自生する。

山菜として利用:イワタバコの地方名には、イワジシャやイワタ カナ、イワナ、タキジシャなど、野菜に関連するものが多い。これはイワタバコが、山菜として古くから利用されてきたことをあらわしている。少々の苦みがこのものの独特の風味として喜ばれ、 ゴマあえ、からしあえ、汁の実、天ぷらなどによく合う。

名前の由来:飯沼慾斎の「草木図説」(1856年)に「略煙草葉の貌あるを以てイワタバコの名あり」として、苦苣苔の漢字を記している。苦苣苔は和製漢名であろう。苦苣は中国のハルノノゲシ(別 名ノゲシ・キク科)の漢名であって、中国では若い葉を山菜にし、 全草を薬草に用いている。しかし、ハルノノゲシとイワタバコは形のうえでも似ていないので、なぜ苦苣苔になったのかわからな い。
「万葉集」に「山萵苣(やまじしゃ)の白露重み うらぶるる 心も深くあが恋止まず」(柿本人麿)という悲しい恋歌があり、山ジシャが 白露の重みでうなだれているように、私の恋はやまないとの意である。従来この山ジシャにエゴノキをあてていたが、白露の重みでうらぶるるとなると、大木エゴノキよりも、山萵苣の名から見て、イワタバコのほうがふさわしいという説が強くなっている。  
しかし、わが国にタバコが入ってきたのは慶長10年(1605年)であって、それ以前にはタバコという名称はわが国にはない。イワタバコは慶長以後の名で、それ以前は「万葉集」に出てくる山ジシャ、その後はイワジシャが一般的だったのではないか。

採取時期と調整法:開花期に葉だけをつみとり、日干しに。

成分:まだよく精査されていない。

薬効と用い方:
健胃に:
1日量5〜10gを水300ccで、1/2量に煎じて服用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8150 キュウリとは(胡瓜) ウリ類の多くはアフリカ原産だが、これはインドが原産地とされている。わが国でキュウリが今日のように利用されるのは、大正以後で、現在ではウリ類作物の首位を占めるほどである。

名前の由来:奈良、平安のころには、カラウリ(唐の国から来た 瓜の意)、ソバウリが一般の呼び名で、キウリはときに使用される名称であったらしい。江戸時代には黄瓜とも書いたが、ルイ ス・フロイスの「日欧文化比較」(1585年)に「日本人はすべての果物を未熟のまま食べるのに、胡瓜だけは黄色に熟したのを食べる」と記しているように、当時は、青いうちは苦みがあって毒とされ、黄色に熟した瓜を食べていた。現在新仮名づかいのために キュウリになったが、もとは黄瓜に由来している。漢名の胡瓜は中国の前漢時代に、西域から伝えられた胡の瓜の意味。

下品の瓜:貝原益軒の「菜譜」(1704年)には、「是瓜類の下品也。味 よからず、且水毒あり。性あしく、只ほし瓜とすべし。京都には あさうり(今日のシロウリ)多きゆえ、胡瓜を不用」とある。また「農業全書」(1696年)にも、「是下品の瓜にて賞翫ならずといえども、諸瓜に先立ちて早くできるゆえ、いなかに多く作る物な り」とあり、当時はあまり食べられていなかったらしい。

成分:キュウリの果実ばかりでなく、植物体の中にも苦い物質ククルビタシンCを含むが、栽培品種によっては、これがないのもある。香気の本体はキュウリアルコールや董葉(すみれば)アルデヒド。ほかに利尿作用のあるイソクエルシトリンを含む。

薬効と用い方:
暑気あたり
:キュウリにもみを作り、両足の土踏まずに厚くあてがうようにはる。
利尿に:生食するとよい。
やけどに:果汁を塗る。七夕ごろ、ヘチマ水の要領でキュウリ水 を作っておいて利用してもよい(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8151 カボチャとは(南瓜仁、なんかにん/南瓜蔕、なんかてい) 南メキシコから中央アメリカの原産。戦国大名大友宗麟が北九州や伊予、日向にまで武威を誇示していた天文年間(1532〜1554年)、 ポルトガル船によって豊後(大分県)に伝来した。

名前の由来:ポルトガル語でアボーブラと呼んでいたのがなまり、ボウブラになったのが和名の始まり。その当時は扁球形で全面に縦の隆起があり、上下両面がくぼみ、熟すると淡黄赤色となるものであった。「農業全書」(1696年)では南瓜の項にこのボウブ ラの図をのせているが、ボウブラの名はなく、「南瓜は西瓜より早く日本に来る。京都に植える事は寛文の頃よりはじまる」と述べている。南瓜の漢名は「本草網目」(1590年)の図と解説によったものてあろう。「本草綱目啓蒙」(1803年)は、「京都では誤てカボチャと呼ぶ。瓜形は円扁にしてたてにひだあり。熟すれば黄赤色。一種形長くくびありて壺の形の如し。深緑色また熟して黄色になるものあり。是をトウナスビという。一名カボチャ」と記している。現代では、天文年間に入ったボウブラやカボチャ、その後アメリカなどから入ったセイヨウカボチャ、クリカボチャなどを総称してカボチャに含めている。カボチャの名はカンボジアに由来するが、ボウブラよりあとに渡来したとされている。

冬至のカボチャ:冬至にカボチャを食べると中風にならないという風習は江戸末期からのことだが、効果のほどはわからない。

採取時期と調整法:秋、へたは日干しにして粉末に(南瓜蔕)、 種子は皮を除いて水洗いし、日干し後粉末にする(南瓜仁)。

成分:脂肪油40%を含み、リノール酸、パルミチン酸、その他、 ビタミンC・B1、ククルビチンなど。

薬効と用い方:
条虫駆除:
種子の粉末1回10〜15gを空腹時にそのまま服用する。
おできに:へたの粉末をゴマ油で軟膏状にねってつける (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8152 カガミグサとは(白斂、はくれん) 亨保の初め、将軍吉宗は朝鮮、中国などの外国産薬用植物の国内栽培を実施するが、その中に、カガミグサ・白斂(びゃくれん)があった。 幕府直轄の小石川御薬園、駒場御薬園、麻布御薬園の当時の栽培目録には、カガミグサの栽培が記録されている。原産地は中国。

日本書紀にある植物とは同名異質のもの:「日本書紀」巻一の大国主神のくだりに「白斂の皮をもって舟となす」とあるが、これはブドウ科のカガミグサでなく、ガガイモ科のガガイモとされている。中国産の本物の白斂が渡来したのは江戸時代からであり、奈良朝の書紀編纂のころには中国からの文献が少なく、白斂の正体がよくわからなかったと思われる。寺島良安は「和漢三才図会 (1713年)で、「わが国に古くはこれがあったはずだが、今はない」(漢文)と述べたが、これは「日本書紀」の白斂をさしたものであろう。現在のカガミグサ(白斂)は、「日本書紀」で白斂をカガミグサと読むようになっているところから和名として借用 したもので、同名異質の関係にある。

一般にも普及:「物類品シツ」(1763年)では、「漢種、享保中、種を伝えて官園にあり。葉五爪竜に似て小なり。根に塊あり」として、 御薬園での栽培を記している。「本草綱目啓蒙」(1803年)になると、 「漢種享保年中に渡り、今傳栽る者多し、花戸にもまた多し」と あるように、幕府の御薬園ばかりでなく、江戸市中の花屋にも出回るくらい栽培が普及してきたことを示している。

栽培と調整法:春、芽を出す前の根分けによってふやす。春か秋に根を掘りとって水洗いし、日干しにする。

成分:粘液質のほかは、まだ精査されていない。

薬効と用い方:
解熱・解毒・鎮痛に:
1回に乾燥した根3〜10gを水300ccで1/3量に煎じて服用。
消炎・打撲などの痛みに:根の粉末を水でねって、患部にはる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8153 ノブドウとは(蛇葡萄、じゃぶどう) わが国全土に自生するほか、中国、朝鮮半島にも分布する。

毒草とするのは誤り:一般にノブドウを毒草であるように言う が、秋に熟する果実がまずくて食べられないだけのこと。有毒成分は含まれていない。夏の開花期になると、雌しべの子房にブドウタマバエのような小さな昆虫が産卵し、果実の成熟とともに幼虫が成長するため、果実は不ぞろいで、ときにはあばたのような斑点ができることがある。これを虫えい、虫こぶと言い、中には多量のタンニンが含まれているので食べると渋い。中国にも、わが国と同じノブドウが自生し、その実はやはり虫こぶ状になるが、正常な実をなかなか結べないのは、ノブドウの宿命であろうか。

エビヅルとの関係:「本草綱目啓蒙」(1803年)は、エビヅルの説明の中で、「一種ノブドウと呼ぶ者あり、葉の形同じくして薄く毛な し。其の実大にして秋熟し、碧紫紅白緑数色まじりて美わし。枯るればみな黒色となる。これ救荒本草の蛇葡萄なり」と記してい る。エビヅルの実は食べられるのに、これに似たノブドウの実は食べられぬというので、ノブドウには、イシブドウ、イヌブドウ、ウシブドウ、ウマブドウ、ドクブドウなどの方言がある。ただし、果実は食べられないが、春先の若芽、若葉は、つんでひたし物にする地方もある。

採取時期と調整法:秋に根を掘り、水洗いして日干しに。

成分:根の成分はまだ不明。

薬効と用い方:
関節痛に:
よく乾燥した根を刻み、1日量として10〜15gを水400ccから1/3量に煎じて、3回に服用。
目の充血に:乾燥した根5〜10gを、水200ccで煎じ、この汁で洗眼する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8154 ノコギリソウとは(蓍、し) 本州と北海道に自生。朝鮮半島、中国、シベリア、カムチャッ カ、北米にも広く分布している。

類似植物:ノコギリソウ属は北半球に多く、ヨーロッパにも多くの種類がある。わが国で栽培されるセイヨウノコギリソウは花は白か淡紅色で、ノコギリソウによく似ている。ノコギリソウの葉は質がかたく、切れ込みが浅くて幅が狭いので、区別できる。最近は繁殖力の強いセイヨウノコギリソウが野生化している。

学名の由来:ノコギリソウ属の学名アキレアは、ギリシャ神話のトロイ戦争の英雄アキレスの名にちなんだもの。アキレスがこの草の薬効を教えたという伝説に由来している。日本では蓍(し)がノコギリソウの漢名とされ、「和名抄」(932年)には和名女止(めと)として出ている。メドギ、メトクサの古名もある。

古くは占いに使用:奈良、平安のころには、日常生活の中に吉凶 の占いが広くとり入れられていたが、その占術に、ノコギリソウの茎が重要な役目を果たしていた。「大和本草」(1708年)に「本邦筮占(ぜいせん)をなす者は諸名山、霊地の産を用う」(漢文)とあるように、有名な山でとれたまっすぐな茎50本を使って筮を作り、これによって占いをした。しかし、のちになってノコギリソウよりもマメ科のメドハギの茎が使われるようになり、さらに今日では竹を利用するようになったため、「筮竹(ぜいちく)」の名が生まれた。

採取時期と調整法:夏の開花期に全草をとり、日干しにする。セ イヨウノコギリソウも同じように利用できる。

成分:精油中にカマツレン、シネオールなど(かぜに効果)。またルテオリン、アキレイン、アペゲニン、カフェー酸など。

薬効と用い方:
健胃・強壮に;
1日量として5〜15gを水400ccから1/3量に煎じて、3回に服用。
かぜに:1回2〜4gを水200ccで約1/3量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8155 ヒトツバハギとは(一葉萩) 本州(福島・関東以南)、四国、九州、沖縄に自生。これに似 たアマミヒトツバハギは、九州南部から沖縄、台湾に分布。なお ヒトスハハギの母種のシナヒトスバハギは中国に広く分布する。

名前の由来:葉がハギに似ていて、しかも、ハギのような複葉でなく単葉なのでこの名がある。漢字で書く一葉萩は、日本製の和名。「中国高等植物図鑑第二冊」(1972年)では、シナヒトツバハギに 一葉萩」と「葉庭珠」を並べている。葉庭珠は中国製の漢名だが、和名の一葉萩をそのままシナヒトスハハギにあてるのは、正確さを欠くとしても、おもしろい着想と言える。  
中国では樹皮から繊維を集め、これで布を作っているというが、わが国ではほとんど利用されていなかった。

小児マヒ後遺症の治療薬に:昭和32年(1957年)、ロシアのムラベバ・バンコフスキーは、ウスリー地方産のヒトツバハギの葉や若枝から新しいアルカロイドのセクリニンを発見。これに中枢神経を興奮させる作用があることがわかり、さらに研究の結果、小児マヒ後遺症の治療薬として、用いられることになった。ロシア薬局方に硝酸セクリニンが収載され話題になったが、ロシアではセクリニンそのものの化学的研究は行われていなかった。  
セクリニンの生理作用と本質的な化学構造の究明は、大阪大学薬学部の堀井善一教授によってなされ、さらに中枢神経系を興奮させる効果がセクリニンの2倍という、強力なジハイドロセクリニンの発見へと進んでいった(「薬学雑誌」第83巻、第6号およ び第8号〔1968・6月、8月]参照)。

新薬発見も路傍の雑草から:ヒトツバハギのように利用価値の知られていなかったものが、研究によって小児マヒ後遺症治療薬に、路傍の雑草から価値ある医薬品発見の可能性があると思う(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8156 アカザとは(藜、れい) インドから中国の原産。「和名抄」(932年)にこの名があるところから、かなり古い時代にわが国に入ったとされている。

名前の由来:「和名抄」には藜(れい)の漢名に、和名阿加佐(あかざ)としてある。 「本草綱目啓蒙」(1803年)で小野蘭山は「野生なし、日種を下す、また去年の子地にありて自ら生ず、苗葉花実皆シロザに同じ、只ワカキメ心紅色鮮美なり、長ずれば緑色に変ず」としている。これによると江戸時代には野生がなく、春に播種栽培していたらしい。 また、アカザとの区別点説明のために、シロザを引き合いに出しているので、当時、シロザはどこにでも見られる野草であったようだ。アカザの学名に用いられているセントロルブルムは中心が赤いという意で、蘭山の言うワカキメ心紅色鮮美のすばらしい表現にも通ずる。

中風とアカザの杖:李時珍の「本草綱目」(1590年)を参考に書かれたらしい江戸時代の本草書には、いずれも同じように、秋にこの茎をとって杖にすれば、老人にはよい杖になると書いている。しかし、常用すれば中風によいとか、中風にかからないと一般に言われる根拠は希薄。足腰不自由な老人にアカザの杖がよいのは、 軽くて丈夫で、しかもまっすぐだからで、中風とは関係がない。大正の初めごろまで、歩行に難儀な中風老人がアカザの杖を用いるのを見かけたが、この杖は中風を打ち消す魔法の杖ではない。

採取時期と調整法:若葉はホウレンソウのように、ひたし物やあえ物によく、汁の実にもなる。夏のころ、葉をとって日干しに。 また、別に生の葉をそのまま利用する。

成分:ベタイン、ビタミンA・B1・Cなどを含む。

薬効と用い方:
歯痛に:
葉の粉末とこんぶ粉末同量をまぜ、痛む部分につける。葉の煎汁でうがいをする。
虫刺されに:生の葉の汁を塗る(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8157 オカヒジキとは 北海道、本州、四国、九州、沖縄の海岸砂地に自生。中国、朝鮮半島など東アジアにも分布する。

名前の由来:オカヒジキは、茎菜が海草のヒジキのようであることから、オ力にあるヒジキの意味。また、茎葉のやわらかい部分を食用にし、工業的に炭酸ソーダ製造の原料に利用された時代もあったことから、以前は学名をザルソラ・ソーダと呼んでいた。
学名のザルソラは塩辛いの意。全草にシュウ酸ナトリウムを多量に含むので、ナトリウム(ソーダ)源の植物であった。

山形県で主に栽培:太平洋と日本海からほぼ同じくらいの距離にあり、海岸とは無縁の米沢市周辺では、江戸時代から栽培がつづ いている。  
岩崎常正の「本草図譜」(1816年)には、オクヒジキ(羽州米沢)の方言が記してあり、最近では、山形市、南陽市などでも栽培され、初夏前後に、各地で人手できるようになった。  
山形県以外ではほとんど栽培されていないが、どうしてこの地方でだけ栽培されるようになったかは不明。紅花出荷で最上川の舟使の往来が盛んになり、この方面から海浜砂地性のオカヒジキの種子が入ってきたのかもしれない。

調理法:海岸砂地の自然性のものを採取したときは、一晩水につけてアク抜きする。栽培品はその必要なし。熱湯で約2分、さっとゆでて、ひたし物、ごまあえなどにする。

採取時期と調整法:春から夏に全草をとり、生のまま利用するか全草を日干しにして保存する。

成分:ベタイン、コハク酸、シュウ酸などを含む。

薬効と用い方:
高血圧症ぎみに:
山菜料理として食べるが乾燥品を刻んでおき、青物オカヒジキのないときにお茶代わりに煎じて飲む。ほうじ茶をいれる要領でよい(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8158 ヒキヨモギとは(鈴茵陳、れいいんちん/陰行草、いんぎょうそう) 北海道、本州、四国、九州や、朝鮮半島、中国、台湾に分布。

生薬漏盧(ろうろ)との混乱:現在、中国ではヒキヨモギを陰行草とし、根を鈴茵陳という生薬にしている(中葯大辞典下冊・1978年)が、以前は漏盧という生薬に、ヒキヨモギの根が含まれていたことも あった。「本草綱目」(1590年)では漏盧に多種の薬草名をあげ、その根を用いるとしているので、江戸時代の本草学者は、どれがわが国のものに該当するかをきめるのに苦労したらしい。小野蘭山はそのいきさつを「本草綱目啓蒙」(1803年)に記し、「漏盧考證」という本と著者を紹介している。ここで、正品の漏盧はヒキヨモギであるとし、単州漏盧をヒゴタイ(キク科)であるとしたところから、混乱が起こった。  
最近では、漏盧なる生薬は、シナヒゴタイ(工キノプス・ラチフォリウス)と同じキク科で、しかも日本に産しないラポンチ カ・ユニフロラの根であるとされている。中国ではこれを乳腺炎や母乳の出をよくする目的で用いている。

名前の由来:ヒキヨモギはヨモギの名があるが、ヨモギの仲間ではない。半寄生植物で、みずから葉緑素を持ち、光合成によって 栄養分を作るが、そのほかに根を他の草の根に吸着させ、そこからも栄養分を吸いとる。多くはヨモギに寄生する。  
ヒキヨモギの名前の由来ははっきりしていないが、寄生するものと、寄生される宿主植物との関係からきた名前であろう。この ヒキヨモギは、ヨモギに似ていない。

採取時期と調整法:8〜9月ごろ、全草をとって日干しに。

成分:精査されていない。

薬効と用い方:
利尿に:
1回2〜4gを、水300∝で1/2量に煎じて服用。
黄疸に:1日量として10〜15gを水400ccから1/2量に煎じて、3回に服用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8159 ホウセンカとは(鳳仙、ほうせん(全草)/急性子、きゅうせいし(種子)) インドからマライ半島に至る東南アジア原産。中国には古い時代に入り、わが国には室町時代に中国から渡来した。

名前の由来:鳳仙または鳳仙花の漢名を音読みにして、ホウセンカの和名となったが、一方ではホネヌキやツマクレナイと呼んだことが、貝原益軒の「花譜」(1694年)に出ている。ホネヌキは骨抜 きで、魚の骨がのどに突き刺さったときに種子を飲むと、骨がやわらかくなって抜けることからついた。またツマクレナイは「大和本草」(1708年)に、女児がこの花とカタバミの葉をもみ合わせて、つめを赤く染めることからつけられたとある。マニキュアである。ツマクレナイの古名はすたれたが、ツマベニ(つま紅)、ツメゾメ(つま染め)、ビジンソウなどの方言が残っている。

裂け方の特異な果実:果実が熟したとき、物にふれると、果皮が急激に内側に巻くように裂け、その勢いで黒い小さな種子が四方に飛び散る。
種子の生薬名急性子や、トビクサ、トビコマ、トビシャゴなどの方言、また英名のタッチ・ミー・ノット(私にふれないで)などはみな、その様子からつけられたもの。また、属名(学名)のインパチエンスは、ラテン語の不忍耐の意からで、熟すると、がまんできないように裂けるところからつけられた。

採取時期と調整法:夏から秋に全草をとり、そのまま用いたり、 日干しに。果実は成熟寸前にとって箱などに入れて日干しにし、乾燥してから種子のみを集めておく。

成分:ナフトキノン類。花にアントチアニン、チアニジンなど。 茎葉には解毒作用のあるケンフエロール、クエルセチンなど。

薬効と用い方::
かぜに:
乾燥葉1回3〜6gを水200ccから半量に煎じて服用。
はれものに: 生の葉の汁をしぼって、外用する。   
魚肉中毒に:種子1回1.5〜3gを水200ccで、半量に煎じて服用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8160 ホルトソウとは(続随子、ぞくずいし) 南ヨーロッパ原産。天文年間にわが国に渡来したとされる。

名前の由来:一般に、ポルトガル人が持ってきたのでホルトソウの名があると言われているが、実はそうではない。  
大槻文彦は雑誌「学芸志林」(1884年)に「外来語源考」をのせ、「ホルトソウ(続随子)草の名。この草の油にてホルトノアブラ を偽製すれば名とす」としている。ホルトノアブラはポルトガル油の別名ホルトの油で、ポルトガル国から初めて輸入されたオリーブ油のことであると、語源考に記してある。この説は、のちに 大槻文彦著「大言海」におさめられた。また、「本草網目啓蒙」 (1803年)は、ホルトソウの名のほか、コクドソウ、チョウセンヤナギ(園芸家の呼称)の名をあげている。
                  
工業的な用途に:このホルトソウ油は、松岡玄達の「用薬須知続編」(1757年)に、「大坂(いまの大阪)最多く播種す。この実の油、はなはだやわらかなり。刀剣を拭うべし、また自鳴鐘(いま言う大名時計のこと=著者注)に塗る、久しくて粘らず、また朱肉を合すべし」とあるように、ホルトソウ油は医薬でなく、工業的な面で、特殊な用途があったらしい。

採取時期と調整法:一年草、多年草とすることもあるが、わが国では秋に播種し、翌年春に開花するので二年草である。茎を切っ て出る白い汁を利用し、種子は7〜8月に採取する。

成分:種子中に脂肪油50%ほどを含み、エスクレチン、オイフォルボン、ゴム質などを含む。

薬効と用い方:
イボとり・寄生性皮膚病に:
茎から出る白い汁を外用する。
利尿・下剤に:種子の皮を除き、圧搾して油分を除いたもの1回量0.5〜1gを水200ccでそのまま服用する。ただ、量を過ごしてはいけない(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8161 クロタネソウとは 原産地はヨーロッパ南部。わが国には、江戸時代末期に園芸植物として輸入ざれた。

種子に特色:種子が黒いのでこの和名があるが、黒くて光沢がないので、暗黒色という感じがする。学名のニゲラは黒いという意 から。栽培する場合、9月下旬から10月に播種するが、このとき、暗黒状態にしておかなければ発芽しない。このように光をきらう種子を嫌光性種子と呼んでいるが、クロタネソウはその代表的なもの。実際に播種するときは、よく覆土することが必要であり、また移植がきかないことに注意すること。  
種子に特色があるほか、花に、はでやかさはないが、葉が繊細であること、果実がおもしろいことなど、クロタネソウ独特の持ち味が生まれてくる。

ヨーロッパでは枕に:この草の種子が熟するころ、全草を刈りと って日干しにし、刻んで枕に詰めてやすむと、よい夢を見るとい う伝説がヨーロッパにある。種子にはダマセニンやニゲルエールなど、メロンのような香りを含んでいるので、この枕を当ててやすむと、香気がただよってファンタスチックな夢の世界に誘うのであろう。英名をラブ・インナ・ミストと言うが、花言葉の「ひそかな喜び」もこのあたりから出ているのかもしれない。

栽培法:移植しにくいのでじかまきに。9月下旬から10月上旬に播種すると、翌年の5月ごろ開花する。種子は種苗店で求める。

採取時期と調整法:6〜7月ごろに果実をつみとり、箱に入れて乾燥してから、種子のみを集めて陰干しにする。

薬効と用い方:
利尿に:
種子を砕き、よく乾燥したものを1回0.5〜1gを服用する。量をすごさないように。
香料に:枕の材料としてすすめたい。成熟した全草を日干しにして、刻んだものを使用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8162 クサギとは(臭悟桐、しゅうごどう/臭木、くさき) 北海道、本州、四国、九州に自生。朝鮮半島、中国にも分布。 鹿児島から沖縄、台湾、中国にはアマクサギが自生する。これは悪臭がなく、クサギのように各部に毛が生えない。また種子島以南には、つる性常緑低木のイボタクサギが自生する。

名前の由来:葉に特異な臭気があるので、クサギの和名がつけられた。漢名の臭梧桐もアオギリの葉に似ていて、くさいところから。海州常山(かいしゅうじょうざん)はクサギの漢名の別名。臭牡丹はこの仲間の中国原産で、沖縄などで栽培しているベニバナクサギの漢名。臭木と書くのは日本製漢名で、いわば和字。

料理に:春に出る若い葉をゆでて水にひたし、アク抜きしてから ひたし物にすることは、各地で行われており、特に寺院での精進料理に見られる。そのため、石州(島根県)ではクサギナ(臭木菜)という方言もある。また、ゆでた若葉をざるに移し、日光でよく乾燥してから蓄え、必要時に水でもどして汁の実にも使う。

染色に:果実は熟すると碧色となるので、江戸時代にはこれを浅青色(はなだ色)の染色に利用していた。

民間療法に:葉をちぎって食酢につけておき、主として脚部にできたおできに葉をとり出してあてがうと、はれがとれるとされていた。また、「物類品シツ」(1763年)では、クサギの根元の材の中の虫を焼いて小児に食べさせると疳疾によいとしている。

採取時期と調整法:8〜10月に、葉を小枝ごと日干しにする。

成分:葉に殺菌作用のあるクレロデンドリンA・B、その他苦味質を含む。

薬効と用い方:
リウマチ・高血圧・下痢に:
1日量として10〜15gを水400ccから1/3量に煎じて、3回に服用。
はれもの・痔に:15〜20gを水400ccで煎じ、その煎液で患部を洗うようにする(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8163 クマヤナギとは(熊柳藤、くまやなぎとう) 北海道、本州、四国、九州、沖縄の各地に自生する。クマヤナギ属の同じ仲間のヨコグラノキ、ヒメクマヤナギなどは、わが国南部に自生、中国にも分布している。  
古くはつるを馬に用いる鞭にしたり、雪国でカンジキの材料にした。「本草図譜」(1816年)に、佐渡では紅熟した果実を干どもが生食し、春先の若い葉はゆでて、ひたし物にすると出ている。

名前の由来:クマヤナギの和名は熊柳であるが、これはつるが強いことから熊とし、さらに、若葉のころを柳にたとえたものであろう。わが国にしかないので漢名はなく、熊柳藤は和製漢名である。別名はクマフジ、クロガネカズラ、イボタヤナギ、コマノツメ、トウヅラ、トンヅラなど。
少ない民間薬利用:わが国の古文献には、民間薬としての利用はほとんど見られない。太平洋戦争中で医薬品が不足していたころ、茎葉を乾燥したもの(1日量約10g)を煎じて、苦味健胃薬に用いたことがあるが、その後はあまり利用されていない。最近 胆石(木部)、肝臓病(根)、胃ケイレン、神経痛、肋膜炎(葉)などに特効があるかのような記事を見かけるが、信用できない。

中国での利用を参考に:中国名多花鈎児茶(たかこうじちゃ、学名ベルケミア・フ ロリブンダ)は中国に広く分布し、わが国のクマヤナギに似ているので、別名に熊柳の漢字をあてている(「中葯大辞典下冊」・ 1978年)。わが国で言われるクマヤナギの薬用には見るべきものがないので、現代中国での薬効を「薬効と用い方」で紹介する。

採取時期と調整法:夏から秋に、茎葉をとって日干しにする。

成分:まだわかっていない。

薬効と用い方:
解熱・利尿・解毒・リウマチの腰痛に:
1日量として6〜10gを水400ccから1/3量に煎じて、3回に服用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8164 キヅタとは 本州、四国、九州、沖縄に自生。朝鮮半島、台湾にも分布。

名前の由来:これまでキヅタの漢名として、常春藤や百脚蜈蚣(ひゃくきゃくごこう)をあててきたが、わが国のキヅタは中国にはない。外形が似ているシナキヅタ(ヘデラ・ネパレンジスの変種名でシネンシス)に対する漢名が常春藤であり、その別名が百脚蜈蚣である。わが国のキヅタは果実が黒く熟すが、シナキヅタは、形はほぼ同じであるのに、色が紅色か黄色と異なるので、わが国のキヅタにいままでの漢名をあてるのはよくない。  
「本草綱目啓蒙」(1803年)は、「其藤(つる)最大にして木の如く、或は直立す、ゆえにキヅタと呼ぶ」としているように、キヅタのキは大木の意。ヅタはツタで、壁などに伝わってからみつく、伝うから、ツタとなった。古名のカベクサは壁生草とも書く。フユヅタ、カンヅタ、イツマデグサは葉が常緑であることから。なおフユヅタに対してナツズタという植物は、ブドウ科のツタで、夏だけ葉があって秋に落葉するので、この名がある。

観葉植物にも:アイビーの名で知られるセイヨウキヅタは、ヨーロッパ原産の観葉植物で、わが国でも普通に栽培されているが、 キヅタは見なれているせいか、観葉や園芸にあまり利用されないのは惜しい。キヅタは17世紀に、小堀遠州によって造園さ れた京都の仙洞御所に植えられた。南池のハツ橋を渡りきったところに、古木というか大株のキヅタが配植されている。

採取時期と調整法:夏、秋に葉を水洗し、生のままと日干しに。

成分:解毒作用のあるサポニンのヘデリンを含む。

薬効と用い方:
はれもの・寄生性皮膚病に:
生の葉をすりつぶし、こま油でねって患部に塗る。
発汗に:乾燥葉1日量として3〜6gを水300ccから1/3量に煎じて、3回に服用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8165 オニドコロとは(ヒカイ、サンヒカイ) 北海道、本州、四国、九州、中国では揚子江以南に分布。

多い類似植物:「和名抄」(932年)はカイ(くさかんむりに解)の漢名に対してヽ和名土古呂(ところ)とし、俗字として漢名の「タク(くさかんむりに宅)」と「野老」をあげている。  
「本朝食鑑」(1697年)では、カイをトコロと読むが、いまはもっぱら野老の字を用いているとしている。また各地の畑に栽培し、つるはヤマノイモに似た葉を生じて、花はまだ開かぬ桔梗の花のように碧色であるとしているが、これはニガカシュウをさしたらし い。根は味苦くて甘いとしている。また、別に山中に自生し、節 が多くてやせていて、味はなはだ苦く、薬にするのがよいという のは、オニドコロをさしており、カイには2種あることを指摘している。  
「大和本草」(1708年)になると、ヒカイの漢名になり、これにオニドコロとトコロの和名をあて、オニドコロの野生品と江戸で栽培するヒメドコロ(エドドコロ)の2種をあげている。

飢饉の食料に:江戸後期の農学者大蔵永常は「広益国産考」(1844年) でオニドコロの栽培を奨励し、飢饉のとき、根茎からデンプンを とる方法を教えている。そこでヒカイに2種あると図示し、根肥え毛多く、味苦いのが山ヒカイでオニドコロ。根毛少なく、苦みの薄いのを川ヒカイでアマドコロとしている。しかし、オニドコロは花が黄色で、雄株、雌株の違いだけであるとした。雌株の葉は丸み があって、雄株の葉より大きい。

採取時期と調整法:秋に根茎を掘り、水洗いして細根を除き、輪切りにしてから日干しにする。

成分:ジオスコレアサポトキシンA・B、ジオスシンなど。

薬効と用い方:
かぜ・リウマチ・腰やひざの痛みに:1日量として10〜15gを水400ccから1/3量に煎じて、3回に服用 (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8166 オトギリソウとは(小連翹、しょうれんぎょう) 北海道、本州、四国、九州に自生し、中国、朝鮮半島にも分布 する。

漢名決定の遅れ:「大和本草」(1708年)はオトギリソウを漢名なしてあげ、「葉は柳の如くにして短し。花は黄色にして小なり。秋開 く高二尺許り・・・・・」としている。小野蘭山は「大和本草批正」(1783年)で、「オトギリ草漢名小連翹という。連翹の集解にいづ (本草綱目:1590年の連翹の中に集解の項目あり)。葉柳の如しというは誤りなり。柳より短く尖りなし。花秋開くというも非なり。夏開く」としている。「大和本草」の5年後に出た「和漢三 才図会」(1713年)には、弟切草と書き、正字未詳としてある。その後、松岡玄迷は「用薬須知続編」(1757年)でオトギリソウに劉寄奴をあてたが、一般には用いられなかった。  
現在の中国では、小連翹、排草、排香草の漢名をあてている。

名前の由来:「和漢三才図会」に、「花山院の時代に晴頼という鷹匠がいて・・・・・鷹が傷つくと薬草を用いてこれを治した。人々がその名を問うても、秘密にして口外しなかったが、或日実弟がこの 秘密をもらしたのを知って、大いに怒り、弟を切ったという物語から名づけた」(漢文を意訳)と記してある。

採取時期と調整法:6〜8月、全草をとり、日干しに。

成分:タンニン。また、オトギリソウに似た、わが国に帰化、野 生化しているヨーロッパ原産のセイヨウオトギリソウについて、 近年の研究によると、ルチン、クエルチトリン、クエルセチン、 ヒペリン、ヘペロサイドなどを含んでいることがわかった。 」

薬効と用い方:
止血・はれものに:
乾燥した全草10〜20gを水で煎じてその汁を患部に貼る。
月経不順・鎮痛に:乾燥した全草2〜4gを1回量とし、水300ccから半量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8167 ベンケイソウとは(景天草、けいてんそう) 中国原産。わが国に古く入った植物で、栽培しているうちに野生化するものもできた。

名前の由来:茎葉は多肉で、ちぎって捨ててもなかなか枯れないというようなことから、伊岐久佐(いきくさ)、生きる草の意味の和名ができた。それが武蔵坊弁慶の出現によって、強いもののシンボル、弁慶の名がつけられるようになった。「物類称呼」(1775年)では、景天の漢名を、京ではベンケイソウ、江戸ではイチヤクソウと呼ぶと述べている。また、この小花の開いた茎を糸でつるしておく と、乾燥してしぼんだあとでも、雷鳴があると必ず色を増すので、強いという意味で弁慶草と名づけたと記している。それ以前は、イキクサのほか、チドメ、フクレグサなどと呼ばれていた。

類似植物:ベンケイソウに似た栽培種オオベンケイソウは、中国原産で、大正中期(1920年)にわが国に入ったもの。ベンケイソウは雄しべと花弁が同じ長さか短いが、これはもっと大型で、雄しべ が花弁より長い。しかし、薬効にほとんど変わりはないので、同様に用いられる。

中国では解熱・解毒に:中国では景天が正名で、ハ宝草、火焔草などを別名としている。分布地は450〜1800mの山地や高地の日の当 たる草地などかなり広く、全草を乾燥して、解熱・解毒などに、煎服している。

採取時期と調整法:夏から秋に葉をとり、水洗いしたのち、布で水分をふきとってから、生のまま利用する。

成分:傷面を被覆する作用のある糖質のセドヘプツローズ。

薬効と用い方:
はれものに:
新鮮な葉をとり、火にあぶるとふくれるので、下面の表皮をはがして患部に当て、軽く包帯などで押さえておく。
小さい切り傷に:生の葉の汁をつける(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8168 オニユリとは(百合、ひゃくごう/巻丹、けんたん) わが国全土に自生し、中国、朝鮮半島にも分布する。

名前の由来:「本草和名」(918年)や「和名抄」(932年)では、漢名 百合に対し、和名を由利(由里)としている 百合に対し、和名を由利(由里)としているが、現在のどの種類をさしているかは不明。ユリの語源について大槻文彦の「大言海」では、「古名は佐韋(さい)にて、ユリは韓語なりとも言う。花大きく、茎細く、風にゆれれば言うかと」としてある。韓語の説については、新井白石が「東雅」(1719年)でふれているが、その後朝鮮語の「ナリ」からではないかとの説も出てきた。古名サイは「万葉集」の歌にある「小百合花(さゆりばな)」に由来するとも、サユリは朝鮮語のチャムナリではないかとも言われている。いずれにしても、 ユリの語源に関しては、朝鮮語の関連が強いようだ。  
オニユリは形が大きく、数あるユリの中で豪壮な感じがするので、鬼の字がつけられたのであろう。漢名は巻丹。「大和本草」 (1708年)では百合より味よしとしているが、この百合は花白く、関東ユリ、薩摩ユリの順なるべしと述べており、ヤマユリ系統のものをさしたらしい。

栽培品が野生化:わが国には古い時代に、中国から朝鮮を経由して渡来した。主に、地下鱗茎を食用にするため栽培されていたのが、野生化して全国に自生するようになったのであろう。この現象はヒガンバナに似ており、人里近くに見られることが、古い時代の栽培の名残りを物語っている。オニユリは不稔性で、種子ができず、地下の鱗茎や地上茎にできるむかごで繁殖する。

採取時期と調整法:鱗茎を水洗いしてはぎとり、熱湯をかけてから日干しに。中国でもこの乾燥したものを生薬百合にしている。

成分:多量のデンプン、蛋白質、脂肪のほかは未詳。

薬効と用い方:
せきどめ・解熱に:
1回4〜10gを水300ccから半量に煎じて、服用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8169 ヤブカンゾウとは(萱草、かんぞう/金針菜、きんしんさい) 原産地は中国であろう。北海道、本州、四国、九州に自生、中国にも分布する。古い時代に中国から渡来した史前帰化植物で、 食用、薬用の目的で栽培されていたのが野生化したと見られている。ニッコウキスゲやノカンゾウの仲間だが、花が八重咲きになるのはヤブカンゾウだけで、これが他種との区別点になる。

根で繁殖:雄しべが花弁化して重弁となっているが、ときに雄しべが何本かあるのもある。雄しべそのものが不完全のせいか、種子はできず、地下の根の分根によって繁殖する。根はほぼ同じ太さの束状で、その先に紡錘状にふくれた玉がついている。子宝に恵まれない婦人か、この玉のついた根を腰のあたりにつけておく と、子を授かるという風習がある。

種子のできるホンカンゾウ:中国では黒い種子かでき、花が重弁化していない種類があり、わが国ではこれをホンカンゾウと呼んで区別している。花のつぼみを金針菜と呼び、つみとったつぼみをその日のうちに蒸して乾燥したものを料理に用いる。最近、 金針菜に制ガン作用があると話題になったが、効果の点は疑問。

漢名の由来:「和名抄」(932年)では萱草(かんぞう)の漢名をあげ、一名忘憂、和名を和須礼久佐(わすれぐさ)としている。金針菜や若葉を食べると、おいし くて憂いを忘れるので、忘憂の名があるという。

採取時期と調整法:つぼみを6〜7月ごろにつみとり、蒸してか ら日干しに。根は秋に掘り、水洗いして日干しに。

成分:つぼみにはヒドロオキシグルタミン酸、コハク酸、βーシトステロルなど。根にはアスパラギンなどのほかは未詳。

薬効と用い方:
解熱に:
つぼみの乾燥したもの1回10〜15gを水400ccで半量に煎じて服用。
利尿に:乾燥した根1回5〜10gを水400ccで半量に煎じて服用。
★中国では、わが国のヤブカンゾウを重弁萱草と呼んでいる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら
8170 キツネノマゴとは(爵床、しゃくじょう) 本州、四国、九州に自生。朝鮮半島、中国、台湾にも分布。

名前の由来:飯沼慾斎は「草木図説」(1856年)で、キツネノマゴの別名をカグラソウとし、ショク(魚へんに即)魚鱗の漢字をあてている。この漢字 は「ふなのうろこ」の意だが、キツネノマゴとの関係は不明。  
江戸時代の本草案は、爵牀(しゃくじょう)の漢名にシソ科のイヌコウジュとキツネノマゴをあてたが、今日では一般に、爵牀をキツネノマゴにあてるようになった。キツネノマゴは「狐の孫」だが、この草 との結びつきはわからない。  
方言にメグスリバナ(長崎県)があるが、これは目薬として利用することに由来したものであろう。  

中国での用法:清時代の趙学敏著「本草網目拾遺」には、赤目腫痛を治すとあり、全草の乾燥したものを煎じた汁で。洗眼し、目薬にしていたと思われる。また中国では、全草を立秋前後に採取し、日干しにしたものを、爵床の名で解熱、せき止めなどに用いている。特に腰痛には、薬湯にして入浴する方法が行われているが、これはわが国にも伝えられ、広く民間療法として行われている。

料理に:花の咲かない若い茎葉をゆでて、ひたし物にする。

採取時期と調整法:立秋前後に全草をとり、水洗して日干しに。

成分:ジャスチシン、イソジャスチシンの2化合物を含むこと を、塚本赴夫、岸本安生らが「薬学雑誌」第75巻12号(1955年)に発表したが、薬効との関係は未精査。

薬効と用い方:
腰痛に:
薬湯としてこれに全身入浴する。乾燥した全草を軽く二握りだけ布袋に入れ、大きい鍋で煮て、入浴直前、袋ごと浴槽に入れる。
解熱・かぜ・せき・のどの痛みに:1回5〜15gを水300ccで半量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8171 ネズとは(杜松実、とじょうじゅつ/杜松子、とじょうし) 本州(東海から山陽地方に多い)、四国、九州に自生。朝鮮半島、中国にも分布。洪積世の地質からも出土しているので、数十万年前にもわが国に野生していたことがわかる。

名前の由来:ネズ、ネズミサシ、詰まっネズサシなどと言う。 針葉で先端が鋭くとがっていて、ふれると痛いので、この葉のついた小枝を、ネズミの出入りする穴に差し込んでおくと、ネズミが通らなくなる。そこで、この名がついた。  
「本草和名」(918年)や「和名抄」(932年)では、ムロノキと呼んで、漢名をセイ(木へんに聖)としている。「大和本草」(1708年)では、セイ杉(せいさん)の二字 に、かなをつけてムロノキと読ませ、一説にムロノキは杜松(としょう)と言うとし、「大和本草批正」(1783年)になると、ムロノキは杜松に充つる説可なり、セイ杉は詳ならず、俗に鼠サシと言うとあり、わが国では江戸後期ごろまでは、ムロノキと呼んでいたらしい。明治以降になって、セイとムロノキにかわって、漢名は杜松、和名はネズが一般的になったと見られる。中国では、杜松のほか、棒松とも 言い、果実(毬果)を発汗・利尿薬として利用している。

ジンの元祖:ヨーロッパ産のネズは、早くから果実を薬用にしていたので、明治20年(1887年)に日本薬局方が施行されたとき、いちはやく杜松実として収載された。17世紀オランダの医師が、熱病の患者を牧おうと、利尿剤の杜松実とアルコールで薬酒を創製したが、これがジンに発展していく。市販のジンの大部分は、ラベルにヨーロッパネズの絵がかかれているのはそのため。

採取時期と調整法:10月ごろ、果実をとって風通しのよい所で陰干しに。

成分:精油分は利尿・発汗作用のあるジテルペン酸などを含む。

薬効と用い方:
利尿・発汗に:
1回2〜4gを水200ccで約1/2量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら
8172 ハナスゲとは(知母、ちも) 中国の東北、華北、陝西、甘粛などに自生する中国特産。一 般に、享保年間に渡来したとされているが、それより少なくとも 40〜50年前に栽培されていたことは、明らかである。  
貝原益軒の年譜に、延宝3年(1675年)の3月、江戸滞留の際、幕府の目黒御薬園を見学したとあるが、別の文献「寛文日記」には、麻布御薬園とあり、園長池田道陸が益軒をもてなして経書の講義を依頼したところ、「大学」を講釈したと記している。そのあとに、この園の栽培目録が記され、黄耆(おうぎ)、唐白朮(とうびゃくじゅつ)、大黄などと並んで知母の名もあり、以上はこの御薬園に栽培しているが、 他には栽培していないとのただし書きもある。このことから、麻布御薬園には、寛永15年(1638)の開園以来、貞享元年(1684)に小石川御薬園に統合されるまで、知母が栽培されていたのは事実であろう。

名前の由来:ハナスゲの和名は、穂状の花が淡紫色で、よく開花すると美しく、葉はスゲやススキに似ているので、つけられた。

栽培法:4月上旬から5月上旬に播種。株分けは、根茎に2〜3 芽つけたものを同じころ植えつける。関東地方より西の温暖の他のほうが栽培しやすい。

採取時期と調整法:播種して2〜3年目の秋に、地下の根茎を掘りとり、ひげ根を除いて水洗いし、日干しにする。

成分:ステロイドサポニン、キサンチンのマンギフェリン、その他ビタミン類を含む。

薬効と用い方:
鎮静・利尿・解熱に:
漢方処方に配合して用いる。桂技芍薬知母湯(桂技・芍薬各3.5g、 知母・防風・麻黄・生姜各3g、蒼朮(そうじゅつ)4g、甘草2g、附子1g)を関節リウマチ、関節炎、腰痛に。その他白虎湯などにも使用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8173 ハマビシとは(シツ梨子、しつりし) 本州(関東以西)、四国、九州に自生。アジア、アフリカ、南ヨーロッパなどのほか、中国にも分布。海岸砂地に見られ、果実にとげがあるのがヒシに似ているので、ハマビシの名がある。中国などでは、海岸に限らず、内陸にも野生している。

名前の由来:「本草和名」(918年)はシツ(クサかんむりに疾)梨子に和名波末比之(はまびし)をあて、 「和名抄」(932年)は漢名をシツ梨と書き、和名波万比之としている。 現在は植物そのものの漢名をシツ藜(しつり)と書き、果実の乾燥した生薬名 をシツ藜子または刺シツ藜としている。  
「本草綱目」(1590年)には、李時珍の説として、シツ梨の名の由来は、「シツは疾(はやし)で、梨は利(するどし)である。この草の実は人を刺し、傷つけることがはなはだ早く、鋭いということからである」としている。  
最初に記したように、中国では海岸ばかりでなく内陸にも野生 し、路傍の雑草として群落しているので、通行人の木履(木ぐつのようなもの)にくっついて困るという。このことから、果実の形を鉄で鋳造して敵の通路にばらまき、歩行が困難になるようにする「鉄シツ梨」という戦闘用具が生まれた。

中国品を輸入:干葉、福井、四国などで生産されているが、江戸時代は、伊予(愛媛県)のものを上とし、紀州(和歌山県)のものを次とすと言われていた。現在は中国産が輸入されている。

採取時期と調整法:秋に果実が熟するころ、果実だけを採取して日干しにする。

成分:脂肪油、タンニンのほか、茎葉にはゲオスゲニン、ゲドゲニンなどを含む。

薬効と用い方:
かぜ・頭痛・眼疾で目やになどが出るときに:
1回5〜10gを水300ccで約1/2量に煎じて服用する。使用前にフライパンなどで、とげが少々焦げるくらい焦がしておくとよい(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8174 ケンポナシとは(枳グ、きぐ) 北海道の奥尻島が北限で、それより南の北海道、本州、四国、 九州の山地に自生。中国、朝鮮半島にも分布する。果実は丸くて小さいが、これを支えている軸の部分は多肉質にふくれて曲がりくねって、ここから秋になると落下する。この部分は、よく熟した梨の味がするので、子どもたちは好んでかむ。  
ケンポナシが酒を水に変える話を世間でよくするが、これは李時珍の「本草網目」(1590年)の中の、「昔、ある南方の人が住宅を修繕するためにこの木を用い、誤って一片をとり落として酒がめの中に入れたところ、酒が水に化した」という記述から広まったもので、実際は酒の中に入れても水にはならない。

名前の由来:中国での俗名「癩漢指頭(らあいかんしとう)」は、癩(ハンセン病)におかされた指頭という意味で、わが国ではかつて、癩をテンボ ウ、テンポと呼んだことがあったため、テンボノナシからケンポナシになったという説がある。オランダ医として来日したスウエーデン人ツンベルクは、日本名は「シク」または「ケンポコナス」としているが、これは肥前 (佐賀・長崎県)の方言「ケンポコナシ」からきているようだ。 それより48年後、ドイツ人シーボルトは、日本名を「ケンポノナシ」、別名の漢名を「シグ」としている。それ以前の日本の本草学者たちは、枳グ(木ヘンに具)の漢名を「シク」または「シグ」と読み、計無保乃梨(けんぽのなし)として、ノの字を入れて読んでいた。ケンポナシになるのは「本草綱目啓蒙」(1803年)が出た江戸後期から。

採取時期と調整法:秋に多肉の果柄つき果実をとり、日干しに。

成分:蔗糖、ブドウ糖、硝酸カリ(利尿作用がある)、リンゴ酸カリ、酵素ペルオキシダーゼなど。  

薬効と用い方:
二日酔いに:
1回10〜15gを水300ccで約1/3量に煎じて服用する
利尿作用と糖分が有効 (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8175 カラスザンショウとは(食茱萸、しょくしゅゆ) 本州、四国、九州、沖縄に自生。韓国、台湾、中国にも分布 し、海岸線に沿って多く見られる。

名前の由来:古名はオオタラ、オオタラノミと呼び、食茱萸の漢名をあてた。タラノキ(ウコギ科)に似て丈が大きく、葉が複葉で幹にとげがあるところからついた名前だが、方言にも、クマダラ、オトコダラの名がある。また幹にとげが多いところから、 オオバラ、カマバラ、ゲタバラなど、方言にバラのつくものも多い。材質が桐に似ているのでヤマギリ、ハリギリとも言われ、黄白色で材質がやわらかくて軽いため細工物に用いられるが、以前はげたに使われたのでゲタバラの方言も残っている。  
「本草綱目啓蒙」(1803年)では、「本邦にては食用とせず、烏(からす)集り食うゆえに、カラスノサンショウと呼ぶ」としているが、カラスばかりでなく、他の野鳥もこの実を好む。  
中国では樗葉花椒(ちょようかしょう)と書き、果実を乾燥した生薬を食茱萸にしている。また茎、葉、根の煎汁でおできを治し、種子から油、果実からは香料の原料を作るとしている。

サンショウとの区別:カラスザンショウはミカン科のイヌザンシ ョウ属で、花弁とがくがはっきりしているが、サンショウは両者の区別がつかない花被が5〜8個並んでいるだけであるので、こ のほうはミカン科のサンショウ属に入れて区別している。

採取時期と調整法:10〜11月ころに果実をとって日干しに。

成分:果実に消化を助けるイソピンピネリン、βージトステ ロール、ジオスミン。葉に精油(メチルノニールケトンやテルペ ン)、樹皮、材部、根にアルカロイド(シキミアミン、マグノフロリン)。

薬効と用い方:
健胃・暑気あたりに:
1回2〜5gを水300ccで約1/3量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8176 クソニンジンとは(黄花蒿、おうかこう) 本州、四国、九州に自生。朝鮮半島、中国、台湾のほか、アジア、ヨーロッパ、北米と広く分布。よく似たカワラニンジンとともに、古い時代に中国から薬草として入った帰化植物であろう。

名前の由来:草全体に悪臭があるので、この和名がついた。ほかにバカニンジンの名もあるが、いずれもおだやかでない名だ。

類似植物:クソニンジンの漢名は黄花蒿(おうかこう)。カワラニンジンは青蒿(せいこう) で、カワラヨモギは茵チン(クサかんむりに陳)蒿。みなキク科のヨモギ属に属し、よく似ている。特にカワラニンジンとクソニンジンはまちがいやすく、小野蘭山が「本草綱目啓蒙」(1803年)で、「誤って青蒿を黄花蒿 とし、黄花蒿を青蒿とす。今薬舗も同じくす。よろしく弁別すべ し。花小なるものは黄花蒿、大なるものは青蒿なり」と注意するほど、薬舗のような専門家もまちがったようだ。  
クソニンジンの頭花は径約1.5mm。カワラニンジンはその4倍ぐらいの約6mmと大きく、クソニンジンのような悪臭はない。  
現在の中国では「中華人民共和国葯典第一部」(1977年)に青蒿の生薬名をのせ、クソニンジン、カワラニンジンのいずれでもよ く、夏、花の最盛期に地上部を日干しにしたものを用いている。

調整法:夏から秋の花の最盛期に地上部をとり、日干しに。

成分:わが国では大正6年(1917年)から特有の臭気を含む精油の究明が行われ、アルテミジアケトン、ジヒドロアルテミジアケト ン、ヘキサナール、エル・ベータ・アルテミジアケトンなどのほか、解熱効果のあるシネオール、エル・カンファーなどが判明し た。精油にはいずれも皮膚を刺激する効果がある。

薬効と用い方:
解熱に:
1回5〜10gを水300ccで約1/3量に煎じて服用する
寄生性皮膚病・たむし・いんきんに:20gを水300ccで半量に煎 じ、この煎液で患部を洗う(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8177 キョウチクトウとは(夾竹桃、きょうちくとう) インド原産。わが国に入った年代には享保9年(1724年)と寛政年間(1789〜1801年)の二説があるが、享保9年説が正しいと考えられる。小野蘭山によって「花彙(かい)」の木部が完成したのは、宝暦13年 (1763)で、そこにキョウチクトウの八重咲きのみごとな図と、解説があるが、これは寛政より26年も前のことだからである。

名前の由来:夾竹桃は中国名で、これを音読みにしてキョウチ クトウの和名になった。蘭山が「本草網目啓蒙」(1803年)で薩摩から来ると述べているところから見て、沖縄から入ったらしい。

形態:その「本草網目啓蒙」には、「細長く厚き葉三三相対す、 枝もまた然り・・・・梢に花簇(むらが)り開く、大きさ一寸余、淡紅色、千弁 と単弁と二種あり、また白花なるもあり」と、葉が3個ずつ輪生すること、八重咲きもあることなどを記してある。  
わが国にはこのキョウチクトウと、明治初期に入った地中海沿岸原産のセイヨウキョウチクトウが栽培され、関東以西の暖地に多く見かけられる。キョウチクトウは紅色八重のヤエキョウチク トウが普通で、ほかに純白のシロバナキョウチクトウ、淡黄色のウスキキョウチクトウなどがある。セイヨウキョウチクトウにはキョウチクトウのような花の香りはなく、花径が3〜4cmとやや大きいが、性質が弱いのが欠点。キョウチクトウは空気のよごれのひどい工場地帯でもよく生育し、挿し木で繁殖しやすい。

調整法:常緑樹なので必要時に葉や樹皮をとり、水洗後日干し。

成分:葉にはオレアノール酸、ウルソール酸など利尿作用がある ものとオレアンドリンという強心作用のあるものを含む。樹皮にはネリオドレインの強心物質を含んでいる。

薬効と用い方:
打撲のはれ・痛みに:
葉、樹皮の乾燥したもの10〜20gを水400ccで煎じ患部を洗う 。
★強心成分はあるが、素人療法として心臓病に使うのは危険(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8178 コセンダングサとは(鬼針草、きしんそう) 温帯、熱帯に広く分布。わが国では本州(西南)、九州に自生 し、近年関東地方にも多く見られるようになった。外来の帰化植物で、いつ入ったかは不明だが、飯沼慾斎の「草木図説」(1856〜 1862年)に出ているので、江戸後期にはすでに帰化していたらしい。

名前の由来:同類のセンダングサは、葉を樹木のセンダンに見立てて名づけられた。コセンダングサの「コ」は小さいという意。 ほかに、アメリカセンダングサ、シロバナセンダングサなどもあるが、いずれの種類も果実が細長く、その先端に鋭いとげがある。このとげに、また下向きの小さいとげがついているので、秋から冬にコセンダングサの草むらを歩くと、ズボンのすそにくっついて、なかなかとれなくなる。ビデンスというこの属の学名は、ラテン語の二つの歯という意味からできたもので、果実に2 本の歯のようなとげがあることからつけられた。中にはさらに、 3本や4本のとげを持っているものもある。

南方の島で解熱薬に:伊豆諸島の八丈島よりさらに南の青が島から帰った人から、解熱薬として煎じて飲み、効きめがあると言われている乾燥した草を見せられたが、それはこのコセンダングサだった。その後、昭和46年(1971) に、ミクロネシア(西太平洋)のパラオ島に行き、島民たちが、 解熱剤として用いているのを知ったが、青ガ島やパラオ島以外の南太平洋の島々でも、これを解熱薬に用いているかもしれない。

採取時期と調整法:10月ごろの開花期に地上部を採取。日干し。

成分:まだ精査されていない。

薬効と用い方:
解熱・下痢止めに:
1回10〜15gを水400ccで半量に煎じて服用する。
のどの痛み・はれものの解毒に:上記の煎液でうがいし、また患部 を洗う(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8179 アマとは(亜麻、あま/亜麻仁、あまにん) 中央アジアからサウジアラビア北部が原産。世界各地で栽培。

薬用に輸入:わが国には元禄3年(1690)に渡来したとあるが、これは植物のアマではなく、薬用目的の亜麻の種子、亜麻仁として入ったのではないか。「和漢三才図会」(1713年)には亜麻の項目があるが、図と解説を見ると、その植物はアマではない。そこで紹介 しているのは、植物学的には全く無関係のシソ料のイヌゴマである。また、「本草綱目啓蒙」(1803年)でも、亜麻仁については正確な記載をしているが、やはり薬草としてのアマにはふれていない。薬用としては、さほど多量に用いるものではないので、栽培せずに種子の亜麻仁を輸入していたのだろう。

栽培は明治以後:明治初期、アマの栽培は北海道開拓事業の1つ として始められ、成功する。一年草のアマの繊維から、リンネル (またはリネンと言う)をとり、ハンカチ、シャツ地、服地など高級繊物の原料にした。種子からとった亜麻仁油が空気にふれて 乾く性質を利用し、ペンキ、油絵の具、リノリューム、油紙にも用いられた。また亜麻仁は「日本薬局方第1版」からとり上げられ、水に亜麻仁を浸すと、出てくる透明な粘液を集め、気管支カタルに内服したり、うがい、涜腸、ハップ剤に応用された。

採取時期と調整法:8〜9月ごろに種子をとって日干しに。そのあと根をとって乾燥する。茎葉は生のまま使う。

成分:種子にはかゆみを止める脂肪油、タンパク質のほかリナマ リンを含み、これは分解すると青酸を生ずる。

薬効と用い方:
皮膚のかゆみに:
種子をすりつぶし、少量の水を加えて練り、これを外用する。
めまい・ひきつけに:1回量、根4〜8gを水300ccで半量に煎じ て服用する。
止血に:生の茎葉をもんで、患部に外用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8180 イとは(燈心草、とうしんそう) わが国全土に自生。朝鮮半島、中国、サハリン、ウスリー地方にも分布する。イの語源については諸説あるが、古くからイと呼んでいて、あとがら漢名の燈心草がつけられたものであろう。  
畳表の原料はイの栽培品種で、コヒゲという別の植物だが、一 般にコヒゲの栽培地では、これをイグサと呼んでいる。

生活必需品燈心:茎の白い部分の髄をとって燈心を作り、ナタネ油などをしみ込ませて灯火用に使ったように、このイは江戸時代までは一般生活に欠かせない必需品で、そのころは「燈心売り」 という行商人もいた。  
また、江戸川柳に「燈心を誰に聞いたか娵(よめ)は飲み」という句があるように、イは薬としても用いられた。当時、早く懐妊したいと願って、これを飲むのが一般の風潮であったが、その効果のほどを伝える文献は残っていない。また、小児の夜泣きに、燈心草 を黒焼きにして細末にし、これを乳くびに塗って小児にむりやり飲ませるという方法が、村井チュン著の「和方一万方」(1888年)に記されている。  
家庭で黒焼きにする場合には、材料をアルミホイルに包み、フ ライパンにのせて、ガス火で焼くとよい。

採取時期と調整法:秋に地上部を刈りとり、水洗して乾燥する。

成分:キシラン、アラバン、メチルペントザンなどの多糖類が知られている。

薬効と用い方:
利尿に:
刻んだものを1回量5〜10g、水300cc まで半量に煎じて服用する。
★江戸時代のわが国の本草書に、淋症(淋病)には腐れた蓆を煮て服すとあるが、いずれも李時珍の「本草網目」(1590年)からの引用であり、わが国と中国では蓆の材料が異なるので、これをそのまま用いることはすすめられない(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8181 ノゲイトウとは(青ショウ子、せいしょうし) 古い時代に入ってきた帰化植物の一つで、中部以西の本州、四国、九州に自生。原産地は熱帯アメリカ説、インド説などがあってはっきりしないが、熱帯地方には広く野生している。

名前の由来:「本草和名」(918年)では、青ショウ(クサへんに相)の漢名に対して和名ウマサク、アマサクをあげ、種子を草決明というと記している。時代が下って「大和本草」(1708年)になると、ケイトウに似ているからとして、青ショウをノゲイトウと呼ぶようになっている。古名のウマサク、アマサクの語源は不明だが、ノゲイトウの若い苗をひたし物として食用にしているので、そのあたりからきた名かもしれない。  
江戸後期、飯沼慾斎は「草木図説」(1856年)で、ノゲイトウのみごとな図をかき、その解説の終わりにラテン学名を記している。 これは、今日なおノゲイトウの学名として用いられているもので、当時ヨーロッパの文献を参照しながらこのラテン学名をノゲイトウにあてたのはさすがである。学名のセロシアはケイトウ属 をあらわすが、これはギリシャ名の燃やしたという意味で、ケイ トウの葉の燃えるような赤に由来している。また種名のアルゲンチアは、銀白色の、を意味し、花穂の色からきている。

種子を生薬に:薬用にするノゲイトウの種子は径1.5mmぐらいの肩円形で、色は黒く、光沢がある。生薬名は青ショウ子。

採取時期と調整法:秋に種子だけを集めて、日干しにする。

成分:脂肪油のほかは未詳。

薬効と用い方:
目の充血に:
乾燥した種子1回6〜10gを水200ccで約1/3量に煎じて服用する。
★「中華人民共和国葯典(中国薬局方)」には青ショウ子が収載 され、同じように目の薬にすると記されているが、注意として、青光眼患者は慎服とある。貴光眼は明き盲のこと(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8182 ネムノキとは(合歓、ごうかん) 本州、四国、九州、沖縄に自生。朝鮮半島、中国にも分布。

名前の由来:「昼は咲き 夜は恋ひぬる 合歓木の花 君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ」(万葉集巻ハ)。この歌は昼間は花が開 き、夜になると恋い慕うように葉が閉じるネムの花を、あるじだけ見るのでなく、そちも見なさいという恋歌だが、万葉のころは ネムノキをネブと呼んでいた。ネブもネムも、夜になると葉が閉 じて眠るようになるところからきた名前。漢名の合歓は、夜にな ると葉と葉が合わせられる喜びから。夜合木も同じ。万葉の歌 も、夜の葉の意を含めながら歌っている。

精神安定に?:貝原益軒は「花譜」(1694年)で中国の文献を引用し、 この木を庭に植えると人の怒りを除くとか、若葉をアク抜きして食べると五臓を安んじ、気をやわらげ、喜び楽しんで憂いなから しむとしているので、一度試食してみたらどうであろうか。

見ごたえある花:横に広がる樹木なので、わが国のように狭い土地では並木向きではないが、明治8年(1875年)東京のハ重洲や大手町付近に植えられた記録がある。7月上〜中旬ごろ、赤い花が満開になったところは見ごたえあるもので、「和漢三才図会」(1713年)の寺高良安も、奈良の多武峰(とうのみね)のネムノキの満開時に出会ったのであろうか、この山はネムノキが実に多いと記している。

採取時期と調整法:春から秋に、葉と小枝をとって日干しに。

成分:葉にはクエルシトリン、枝にはタンニンを合む。

薬効と用い方:
水虫・手のひらの荒れに:
申斎独妙著の「妙薬手引草」(1783年)に記載されている方法によれば葉、小枝の乾燥したもの40〜50gをとり、焼き塩(漬け物用の塩をフライパンで焦げない程度に焼く)約5gを加えて、水1gで1/2量になるまで煎じ、冷めてから少量ずつとって、1日数回これで患部を洗う(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8183 ヌルデとは(五倍子、ごばいし) 北海道、本州、四国、九州、沖縄に自生。台湾、中国、朝鮮半島にも分布する。

名前の由来:平安時代にはヌルデをヌテンと呼んでいた。「本草和名」(918年)はこの木にできる虫こぶをヌテンノキノムシの名で呼び、このキノムシに樗鶏(ちょけい)の漢名をあてた。「本朝食鑑」(1697年)になると、沼天(ぬてん)はいま言う奴留天(ぬるで)の木のことであるとし、「和漢 三才図会」(1713年)の寺高良安は、奴留天の天は手を意味し、奴留手から和名になったとしている。奴留手は、この木を折ると白いにかわ様の樹液が出て、物を塗るのに使用していたと見られることから、「塗る手」に由来したものであろう。

塩辛い果実:雌の木には小さな果実がたれ下がる。
果実の表面の白い粉をなめると塩辛いのは酸性リンゴ酸カルシウムによる。これが塩麩子(えんふし)である。シオノミ、シオカラノキ、ショ ッペショペノキの方言は、このことからきている。

お歯黒に:ヌルデノミミフシアブラムシという長い名の小さな昆虫の産卵で、葉に虫こぶができる。秋にこれをとり、蒸して中の虫を殺し、乾燥したものを五倍子、またフシとも言う。「本朝食鑑」に、「わが国の当世の女子は、鉄漿に膚子(ふし)を合わせて、歯牙に塗っている・・・・・通称、鉄を着けるとか、お歯黒を着けると云う ・・・・・」とある。鉄なべのこわれたのを米のとぎ汁につけ、暖かい所において、この上澄みに五倍子の粉末をまぜて歯に塗ったようであるが、なぜ女子が歯を染めるのか、「博識の人を俟(ま)って、この理由を明らかにしたい」と結んでいる。

採取時期と調整法:秋に果実をとり、日干しにする。

成分:酸性リンゴ酸カルシウム、クエン酸、酒石酸、タンニン。

薬効と用い方:
下痢・痰・せきに:
1回10〜15gを水400ccで約1/3量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8184 ネギとは(葱、そう) 原産地は中国の西部。渡来したのは、「日本書紀」(720年)に岐(き)、 秋岐(あきき)の記載があることから見て、かなり古い時代と考えられる。

名前の由来:「本草和名」(918年)や「和名抄」(932年)では、漢名の葱(そう)に対して岐また紀とし、「農業全書」(1697年)には葱をキと読ませ、「キは一宇なるゆえ、後世ヒトモジ(一文字)と言う。ワケギ、カリギ、ネギなどと言うも本名はキと言う」とある。一文字はニラの二文字に対してでき、女房詞(にょうぼうことば)として使われたようだ。  
今日のネギの呼び名は元禄時代前後から。漢字では根葱と書く が、これは白い根(実は茎)を食べることに由来している。

関東、関西の違い:関西人は関東の田舎者はネギの白い根まで食べると笑い、江戸っ子は逆に、関西人はケチだからネギの青いところまで食べると笑うという話が、江戸のころからあった。これは、関東のやわらかいローム層の畑では白い部分の多い東京ネギになり、京都付近の粘土質の畑では、青々とした九条ネギになるからである。

すき焼きとネギ:明治になって関西ではすき焼き、関東では牛なべがはやりだすと、ネギの需要が増すが、このころ玉ねぎがわが国に入り、ネギの耕作面積が一時的に減少する現象も起こった。白い葱茎(ねぎ)が用いられてきたのは、「いっさいの魚肉の毒を殺す」 ため、煮物、焼き物に使用すると、生ぐさの気を除き、その毒を殺すと考えられたことによる。

成分:アリル硫化物、ブドウ糖などを含む。

薬効と用い方:
かぜ・頭痛・解熱に:
ネギの白い部分をこまかく刻み厚手のどんぶりに入れる。これは生みそを少々入れて熱湯を注ぎ、よくかきまぜて熱い汁とともにネギを飲む。分量は大人で1〜2本を用いる。
★民間療法のネギは、新鮮なものを用いること(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8185 ヒオウギとは(射干、しゃかん) 本州、四国、九州、沖縄に自生。朝鮮半島、台湾、中国、インド北部にも分布する。

名前の由来:「本草和名」(918年)や「和名抄」(932年)では、射干の漢名に和名をカラスオウギと記し、「延喜式」(927年)では、「夜干」の漢名を書いて、カラスオウギとしている。秋の初め、熟した果実が裂けると、光沢のある黒い種子があらわれる。この黒い種子 を烏に見立て、葉が扇のように並ぶので、烏扇となった。  
しかし、平安のころの扇は桧の薄板を重ねて作り、桧扇と呼ばれたため、烏扇の名がすたれ、桧扇に由来した名になった。万葉の歌にヌバタマが出てくるが、これはカラスオウギよりも古い名で、ヌバは黒の古い呼び方、黒い玉を意味し、黒い種子に由来している。

生薬射干:「和漢三才図会」 (1713年)では、咽喉腫瘤に射干 の根と山豆根の根の陰干しにした粉末を吹きかけると、その効は神のごとし、と記している。このようにわが国では、腫痛や扁桃炎に内服や外用することが行われてきた。この射干はまた、中国の郵使切手にもとり上げられている。朱橙色の花をかき、右下に線画で薬用部分の根茎を書いているが、中国薬局方 の「中華人民共和国葯典」に収載されているように、中国では熱 を伴う化膿性のはれものに、煎じて服用する。

採取時期と調整法:9月ごろ根茎を掘り、水洗後日干しにする。

成分:ベラムカンジンとイリジンを含む。

薬効と用い方:
扁桃炎・去痰に:
1回5〜10gを水300ccで約1/3量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8186 ハエドクソウとは(透骨草、とうこつそう) 北海道、本州、四国、九州に自生。朝鮮半島、中国、ヒマラヤ、東シベリアにも分布する。また花がやや大きく、がくに生える毛が多少多いアメリカハエドクソウは、太平洋を隔てた北アメ リカ東部に自生し、ハエドクソウと同種とされていたが、現在は亜種になっている。北米の東部とアジアの一部にしか自生していない植物というのは分布上興味深いことである。このような例は他の植物にも何種類かある。カエデの仲間ハナノキ(ハナカエデ)は長野、岐阜、愛知の三県下、本州の中央部の山地以外に自生が見られないにもかかわらず、アメリカ東部にはアメリカハナノキ(葉はやや大きく、三つに浅く裂けている)があり、地理的分布のうえで、ハエドクソウ同様おもしろい現象となっている。

はえとりに:「大和本草」(1708年)では蝿取草の漢字をあげ、葉茎は柔軟で、葉を飯に押しまぜて蝿に与えると死すとしている。ハエコロシ、ハエノドク、ヘノドクなどの方言は、このことからきている。はえをヘイメという方言からヘノドクになった。

人によって運ばれる果実:秋に穂のように伸びた花茎に、先端がかぎ状に曲がった小さな果実がまばらにつく。これが衣類などに付着して、思わぬ所に運ばれていく。学名のレプトスタキヤは、細い穂のようなという意味で、この花茎の様子からきている。  
葉が細く、茎の上のほうに多くの葉が集まりつく種類をナガバハエドクソウとして区別する場合もあるが、ハエドクソウと混在 して生えているので、特別な種類として区別する必要はない。

採取時期と調整法:開花期に全草をとり、水洗いして日干しに。

成分:リグナンのフリマロリンTとU、レプトスタキロール・アセテートを含み、これが殺虫効力を特つとされている。  

薬効と用い方:
疥癬と水虫:
葯20gを水400ccで半量に煎じてその煎液で洗う(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8187 ニワヤナギとは(ヘン蓄) 別名ミチヤナギとも言う。わが国全土に普通に見られ、路傍に も多い。北半球の温帯に広く分布していて、各地各様の環境に応 じた形のものが見られる。

名前の由来:「本草和名」(918年)、「和名抄」(932年)とも、ヘン(クサかんむりに扁)蓄(へんちく)の漢名に和名ウシクサをあてている。松岡玄達は「用薬須知」(1726年) で、ヘン蓄について、「原野に多く生ず、和名ニワ柳と言う、茎葉を合わせて収め採る」と記している。「本草網目啓蒙」(1803年)では奥州(東北地方)の方言としてミチヤナギをあげている。現在、ニワヤナギ、ミチヤナギの和名が入り乱れているが、ニワヤナギ のほうが早く発表されているのでこれを標準和名とし、ミチヤナギは別名にすべきである。ニワヤナギは庭柳で、葉が柳に似るところから、ミチヤナギのミチは路から。学名の種名はアビクラー レで、これは小鳥が好むという意であり、和歌山県有田地方のト トクサという方言と共通した感じがあるのがおもしろい。

過大な効能:薬効について、「和漢三才図会」(1713年)には「熱淋ショク(サンズイに嗇)痛を治し、小便を利す」とあり、このほか黄疸、霍乱(かくらん)、腹痛、下痢、回虫などによいとしている。また、現代中国の薬物書にも、これに似たようなことがずらりと並んでいるが、少々過大すぎる効能と受け止めるべきである。

類似植物:近年、ヨーロッパ原産のハイミチヤナギが帰化している。これはニワヤナギよりずっと小さく、ニワヤナギは茎が直立か斜めに立つのに対し、地面にはうようになり薬用にはしない。

採取時期と調整法:夏に全草をとり、水洗いして日干しに。

成分:利尿作用のあるフラボン配糖体のアビクラリン、フラボノ ールのクエルセチン、その他粘液質などを含む。

薬効と用い方:
利尿に:
1日量10〜15gを水400ccで約1/3量に煎じて1日3回に分けて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8188 ンジンボク(牡荊、ぼけい/牡荊子、ぼけいし) 中国原産。江戸の享保年間、薬用の目的で中国から渡来した。

本草書に紹介:宝暦13年(1763)、小野蘭山と平賀源内がともにニンジンボクを紹介している。蘭山は「花彙」に、「種を伝えて処々に植う、大なるものは樹の高さ丈余に及ぶ、方枝対生その葉 も相対して生ず、五箇あつまり生じて一葉をなすことウコギ及び ニンジンの葉に彷彿す。五月梢の間に花をつけ穂をなす、淡紫色あたかも芥オガラ(クサかんむりに租)(ままおがら)の穂の如し、実は小円にしてコエンドロの子(み)の如し」と記している。「ままおがら」はよくわからないが、シソ科のカメバヒキオコシではないかと推察される。  
源内は「物類品シツ」(1763年)で、「漢種を享保の頃種を伝えて官園 に植えた。その葉がすこぶるオタネニンジンの葉に似ているの で、俗に和名を人参木(にんじんぼく)と言う」と述べ、荊瀝(けいれき)をとる法が「本草綱目」(1590年)に詳細に出ていると記した。この荊瀝は、枝を約30cmに切り、その中間を火であぶって両端から浸出した汁液のことをさすが、去痰薬として妙薬であると、源内は指摘している。

名前の由来:わが国ではこの葉がオタネニンジンに似ているとしているが、これに学名を命名したシーボルトとツッカリーニは、 キャナビホリアというギリシャ語から由来する「アサの葉」を種名にあてた。花もよいし、葉もよいので庭木に栽培されるが、近 年はこの仲間の南ヨーロッパ産セイヨウニンジンボクも栽培されるようになった。これには5裂する薬に鋸歯がない。

採取時期と調整法:8〜9月ごろ、黒く熟した果実をとり、陰干 しにする。これが牡荊子である。

成分:まだ精査されていない。

薬効と用い方:
かぜに:
牡荊子を1回4〜12gを水300ccで半量に煎じて服用する。
暑気あたりによる吐きけに:上記と同じ分量で煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8189 ナツミカンとは(夏橙、なつとう/夏皮、なつかわ) 山口県が原産地。ナツミカンの原木が、長門市青海島(おうみじま)の海岸近くの民家の庭に天然記念物として植えられている。現存のものは最初の木のひこばえで、二代目ということだ。もとの原木は安永年間(1774頃)、この付近に種子が漂着したのが始まりというが、 来歴ははっきりしていない。明治の初めごろ、原木の接穂を各地に送り、ナツミカンの栽培が愛媛、和歌山、広島、静岡などに広まっていった。

強い酸味:別名を夏柑、夏代々と言うが、ナツミカンのほうが一 般的。この名を聞いただけで、すっぱさがぐっとくる。夏柑、夏代々ではそんなにピンとこない。強い酸味は、果肉中にクエン酸、酒石酸め含量が多いことによるが、このような有機酸のほか、ビタミンCも多く、これも酸味に関係している。

広い用途:ナツミカンの白い花は、5月ごろに開花し、果実はその年の秋に熟するが、そのまま年を越し、翌年4〜6月に完熟するのを待って出荷される。さわやかな酸味が喜ばれて生食されるが、近ごろはジュースやマーマレードの原料としての需要も伸びてきている。皮は乾燥して生薬の夏皮にし、苦味と芳香を利用して健胃薬に用いる。また、水蒸気を通しての蒸留方法によって、 皮から精油を得、ミカン油の名で香料にする。ほかに、成熟前に、自然に落ちた未熟果は、クエン酸製造の原料になる。

調整法:ナツミカンを果物店で求め、皮を乾燥させる。

成分:果肉にはクエン酸、酒石酸の有機酸のほかに、ビタミンC やB、果皮には皮膚を剰激して血行をよくする精油を含み、この中にリモネンやデシルアルデヒドなどが入っている。

薬効と用い方:
薬湯料に:
冬の寒いときにナツミカン風呂に入ると、湯冷めしないとか、冬にかぎらず血行をよくし疲労回復によいなどの効果がある(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8190 ハンゲショウとは(三白草、さんぱくそう) 本州、四国、九州、沖縄に自生。台湾、朝鮮半島、中国にも分布する。夏になると、葉に白斑が出現するこの野草は、古い時代 の人の関心をひいたに違いない。和名のカタシログサ、中国名の三白草(さんはくそう)ともに、よくその草の性状をあらわしている名である。

名前の由来:「大和本草」(1708年)は三白草の漢名にカタジロの古名をあげ、「いまわが国では俗名として半夏生草とも云う。五月の半夏生の時、この草の葉が白くなるから」とし、このとき、葉の裏が青いので、カタジロと言うと記している。半夏生は夏至 から11日目にあたる日で、太陽暦の7月2日ごろになる。梅雨が明け、たんぼの農作業も一段落して、やれやれというころで、いまでも農村では、半夏生を休息日にあてているところもある。  
江戸時代の多くの本草書では、このほか半夏草、オシロイカ ケ、ハンググサなどの名があがっており、「本草網目啓蒙」(1803年) には伊勢の方言として、ハングショウがのフている。古名のカタ シログサは、江戸時代になるとハンゲショウの名に変わり、和製漢字の半夏生や片白草が生まれた。葉の半分がおしろいで化粧しているようだという点から半化粧の説もあるが、やはり本草学者 が言う暦のうえの半夏生説をとりたい。

採取時期と調整法:7〜8月の開花期に全草をとり、水洗いした のち、日干しにする。また生の葉を使用する。

成分:全草にある臭気は精油によるもので、その中にメチルノニ ールケトンを含む。フラボノイトのクエルセチンや、その配糖体のクエルチトリンも含まれ、これらには利尿作用がある。

薬効と用い方:
利尿に:
1日量10〜15gを水600ccで1/3量に煎じて服用する。
はれものに:軽く一握りを水400〜600ccで1/3量に煎じ、これで洗う。また生の葉に少量の食塩を加えて砕き、患部に当てる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8191 ソクズとは(刄eキ、さくてき) 本州、四国、九州、沖縄に自生。中国にも分布する。

名前の由来:平安期の「本草和名」(918年)や「和名抄」(932年)には、刄eキの漢名に和名ソクドクをあてている。この語源は解明さ れていないが、日本語らしくないので、あるいは朝鮮語からの影響かとも考えられる。「和漢三才図会」(1713年)になると、刄eキに、 いまは曽久豆(そくず)と言うと記している。「本草綱目啓蒙」(1803年)は大和 (奈良県)の方言として、ソクドウとソクドの二つをあげている が、これは平安期の古名ソクドクからの変形であろう。ほかに、 京の方言としてソクズをあげているが、「大和本草」(1708年)にはソクズがないので、おそらく正徳3年(1713年)以降のものと見られる。また、このソクズも古名のソクドウからの変形であろう。

別名クサニワトコ:別名のクサニワトコは、同じスイカズラの樹木ニワトコに似た草であることから、ニワトコは秋の赤い実を楽しむため庭木に植えられることもあるが、ソクズは栽培はされな いにもかかわらず、庭や路傍、人家近くに見られるので、古い時代の大陸からの帰化植物ではないかと思われる。

不明だった蜜腺:黄色のドーナツ形蜜腺からハナアブのよ うな昆虫が蜜を吸うが、江戸期の飯沼慾斎は、この部を拡大して 図に示したものの、なんのためにあるのか未詳と記した。

採取時期と調整法:8〜9月に全草を刈り、水洗い後日干しに。

成分:ウルソール酸、βージトステロール、アルファミルン・パルミテート、無機物の硝酸カリ、精油などを含む。このう ち、ウルソール酸、硝酸カリに利尿効果が期待される。

薬効と用い方:
むくみのときの利尿に:
1回4〜12gを水300ccで約1/3量に煎じて服用する。
リウマチ・神経痛に:浴場料として、乾燥したものを軽く二握り布袋に入れ、なべで煮て、入浴直前に浴槽に入れて入浴する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8192 ソテツとは(蘇鉄) 九州南部、沖縄に自生、海外では中国南部にも分布し、また日本各地に栽培されている。

名前の由来:江戸時代には、ソテツに鳳尾蕉とか番蕉、さらに 鉄蕉や鉄樹など中国裂の漢名を無理にあてた。貝原益軒や寺島良安らは明の謝肇セイ(サンズイに制)の「五雑俎」(1619年)を見て、中国では近世琉球よりソテツを輸入栽培しているのを知り、わが国の西南暖地から琉球あたりが本場であることを認識した。寺高良安、小野蘭 山は和名として蘇鉄と書き、これは和字であるとしている。この和名は植物が衰弱しかけたときに鉄くずを根元にやったり、鉄く ぎを幹に打ち込んだりすると蘇生することに由来するという。

食料にも:英語では、ときにジャパニーズ・サゴ・パーム(日本サゴヤシ)と呼ぶように、樹形からはヤシ類のように見えるが、 実はイチョウやスギの仲間の裸子植物で、シダ植物に近い性質を特つ。食料不足のとき、幹の中心部の髄を集め、乾燥してから水につけてデンプンをとったが、幹には酒石酸、特にホルマリンなどの有害成分が含まれているので、じゅうぶん水洗いしないと中毒を起こす。幹からデンプンをとるのはサゴヤシに似ている。  
秋に朱赤に熟する種子は扁圧された卵形で、長さ4cmぐらい。
種子の外皮をとると、内皮は白く、さらにこの内部に白い胚乳があり、これを粉末にして蘇鉄もちを作り、食用にする。

採取時期と調整法:秋10〜11月ごろに種子を集め、風通しのよい所で陰干しにする。

成分:タンパク質、脂肪、リンゴ酸、コリン、鎮咳作用のあるアデニン、殺菌効果のあるホルムアルデヒドを含む。

薬効と用い方:
せき止め・通経に:
1日量5〜15gを水400ccで約1/3量に煎じて3回に分けて服用する。
切り傷に:上記の煎汁で傷を洗う(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8193 トベラとは(海桐、かいどう) 本州、四国、九州、沖縄などの海岸に自生。朝鮮半島、台湾、中国にも分布する。

名前の由来:「本草和名」(918年)や「和名抄」(932年)に、止比良乃岐(とびらのき)の名で出てくるのが、このトベラであろうと言われている。 「和漢三才図会」(1713年)では、扉木の漢字を示してトベラ、トベラノキと読ませ、次のように記している。「除夜これを門扉に挿せば能く疫鬼を辟(のぞ)く。ゆえに扉木と名づく・・・・・・」また、貝原益軒は「大和本草諸品図」(1715年)で、「除夕(じょや)に国俗此木の枝を扉に挾し て、来年疫鬼のふせぎとす。ゆえにトビラノ木と言う。葉は臭味共に悪し、花の香よし」と記している。こうした点から見て、古くから疫病、鬼神を除く行事にトベラを使っていたらしい。  
元禄3年(1690年)に来日したドイツ人ケンペルも、安永4年 (1775)に来たスウエーデン人ツンベルクも、ともにトベラを研究 したが、その種名を横文字でトビラとしている。ケンペルは学名をトビラにしたが、「廻国奇観」(1712年)の図の説明には、トベラと なっている。花の芳香と反対に、葉、枝、根には悪臭があり、この悪臭によって除夜の疫鬼を防ぎ、除くという行事から、トビラ ノキが生まれ、さらにトベラの名になった。

中国の海桐(かいどう):中国では広東、福建などの南部に見られ、わが国同様庭木として栽培され、海桐の漢名で呼ばれている。しかし、昔も今も、わが国のような行事に用いることはない。

採取時期と調整法:葉を必要時にとり、水洗いして日干しに。

成分:サポニンの一種である殺菌性のヘデラゲニンと、収斂作用のあるタンニンを含む。

薬効と用い方:
寄生性皮膚病に:
乾燥葉10〜20gを、水400ccで約1/2量に煎じて、その汁で洗うとよい。
★トベラ葉が肝臓疾患によいという話を聞くが、信用できない(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8194 ナワシログミとは(胡頽子、こたいし) 関東以西、四国、九州に自生。中国では揚子江以南に分布。

名前の由来:苗代を造るころに果実が食べごろになるので、この名がある。花は前年の10〜11月ごろに咲く。 古名はクミで、それがグミになったが、語源については2〜3の説があり、まだはっきりしていない。「和名抄」(932年)は胡頽子(こたいし)の漢名をあげ、和名をクミとし、一名モロナリとした。また、 「延喜式」(927年)も諸生子(もろなり)の名をのせている。胡頽子の漢名はわが国と同じナワシログミの中国名で、フツィジと発音する。

類似植物:グミ類で葉が常緑であるのは、このナワシログミとツルグミ、マルバグミの3種で、アキグミ、ナツグミ、トウグミな どは落葉する。またグミと言うと、地方によってはスイカズラ科のウグイスカグラの実をさすことが多い。しかし、植物学的には グミ科のものに限ってグミと呼ぶことになっている。トウグミは庭木として栽培され、また、この系統のダイオウグミなどは、赤く熟した楕円形の大きい果実がみごとで、食べごたえがあるのでよく栽培される。

果実の特徴:グミ類の葉や枝や果実の表面には、肉眼では見にく いグミ科独特の星状毛が生えていて、グミの種類の判別に役立つ。子どもがグミの実を食べると、その糞便に星状毛がそのままの形で出てくるので、顕微鏡検査でどの種類か判別できる。

効用:「和漢三才図会」(1713年)は、「子は水痢を止め、根は水に煎 じて吐血の止まらざるを治し、葉は能喘咳はげしき者を治す」 と、グミの効用を記している。

採取時期と調整法:4〜5月ごろ果実をとり、水洗して日干し。

成分:色素リコペエンを含むほか、まだ精査されていない。

薬効と用い方:
下痢・のどの渇き・せきに:
1回5〜10gを水300ccで約1/3量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8195 トウゴマとは(ヒマ、ヒマシ) 北部アフリカの原産で世界各地に栽培されている。わが国には 古い時代に中国を経由して渡来したものであろう。

名前の由来:「本草和名」(918年)や「和名抄」(932年)では、ヒ麻子(ヒマシ) の漢名に和名としてカラカシハをあて、一名カラエとした。「和漢三才図会」(1713年)はカラカシハは唐カシワ(木ヘンに解)(カラカシワ)で、葉の様子から、カラ エは唐荏で油のことから名づけ、「今日唐胡麻と俗称するが、こ れは和州(奈良県)より出づ」と、出所を明らかにしている。

紀元前から医薬に:古代エジプトの最古の医薬文献「エーベルス・パピルス」にヒマシ油の記載がある。また、エジプト王朝の古い墓からトウゴマの果実の出土があったことなどから見て、4000 年も前に医薬として用いられていたらしい。当時、病気にかかる のは悪魔が体内に入り込んだためとされ、それを体外に排除する ために、はげしく作用する下剤としてヒマシ油が使われていた。

熱帯で壮大に生育:1万m以上の上空を飛ぶ航空機には、低温でも対応できるエンジンの潤滑油としてヒマシ油が使われ、第二次大戦のときに、トウゴマ栽培が奨励されたが、わが国では無理だ った。熱帯原産のトウゴマが、南太平洋パラオ群島南端のペリリュー島で、多年草として電柱ほどの高さに生い茂っているのを見 かけたときは、熱帯性植物の血筋は争えないと思ったものだ。

調整法:種子をヒマ子と呼び、これから得た脂肪油をヒマシ油と言うが、ここでは種子そのものを漢方薬店で求めて用いる。

成分:ヒマシ油40〜60%、下剤の効果があるリチノレン、オレイ ン、リチン(毒性タンパク質)、リチニンなど。  

薬効と用い方:
ものもらいに:
皮をとり去った種子1個と同 じくらいの梅肉をねり、就寝時にへその中に詰めて、絆創膏などで止めておき、翌朝とり去る。
下剤に:市販のヒマシ油を用いる。1回量大人25cc(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8196 ツメクサとは(漆姑草、しっこそう) 北海道、本州、四国、九州に自生。サハリン、南干鳥、中国、 朝鮮半島、インドにも分布。日当たりのよい所に繁殖する。

名前の由来:葉が細く、鷹のつめに似ているというので、タカノ ツメの別名もあるが、ツメクサのツメは、小鳥のつめからきてい る。漢名の漆姑草に対する和名は、「本草和名」(918年)にはまだな く、「本草綱目啓蒙」(1803年)に至ってツメクサをあてている。「牧野新日本植物図鑑」(1977年)では、漆姑草は別のものとして否定しているが、最近の中国文献ではいずれも、ツメクサにこの漢名をあてている。  
「本草綱目」(1590年)が蜀羊泉(しょくようせん)というナス科の草とナデシコ科の ツメクサをいっしょに説明しているので、江戸時代の本草案を感 わすもとになった。

類似植物:種子は径0.5mmほどの、扁平で丸みのある小さなもので、色は暗褐色。ルーペで見ると、こまかい突起が見える。飯沼慾斎は「草木図説」(1856年)でツメクサの図と解説を記し、「一種ハマタカノツメは葉大にして厚く、光沢あり、篠島に産す」と記 している。慾斎は美濃(岐阜県)大垣の人で、知多半島の先の篠島で見つけたのだろう。現在これをハマツメクサと呼んで別種にするが、種子に突起がなく、なめらかな点が、ツメクサとの区別要点になる。ハマツメクサは海岸に限って生え、ツメクサは海岸から離れた内陸に多い。またハマッメクサはツメクサより分布地域が広く、沖縄のほか台湾、カムチャッカ、アリューシャン、ア ラスカ、北米西海岸に及んでいる。薬用はどちらも同じ。

調整法;春から夏の開花期に全草をとり、水洗い後日干しに。

成分:まだよくわかっていない。

薬効と用い方:
うるしかぶれに:
茶わんに軽く―杯の乾燥した全草を適当量の水で煮てその汁で洗う(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら
8197 イブキジャコウソウとは(百里香、ひゃくりこう) わが国各地に自生。朝鮮半島、中国、インドに分布。

名前の由来:滋賀県の伊吹山に多く自生し、麝香のような香りがあるのでこの名がついた。伊吹麝香草と書く。名に草がつくが、背の低い小さな木である。わが国では、香りが百里の遠くまで届 くという意味で、別名百里香と呼ぶが、百里はあまりにも誇大。 十里香(中国でミカン科、ハイノキ科、セリ科のものにつけら れた名)に対して、百里香としたのであろう。飯沼慾斎は「草木図説」(1856年)の中で、ヨーロッパの文献を参照して、学名にチー ムス・セルピルームを併記している。

多い変種、亜種:1000mぐらいの山岳地帯から、平地、さらに海岸にまで分布するので、ハマクサの方言もあるが、生育環境に左右 されて、形態のうえに差異が出ていると考えられる。現に毛の多少、葉の挟さや広さなどによって、変種にしたり、亜種になったりしており、飯沼慾斎がとったイブキジャコウソウも、中国大陸のものと同じに扱われていたが、現在は、中国大陸原産のものを 母種とし、わが国のものは、その変種と言れている。

類似植物:わが国では、南ヨーロッパ原産のタチジャコウが薬草園などで見本的に栽培されているが、これはイブキジャコウソウ と類縁関係のもの。スペイン、南フランスなどの農村で栽培され、開花期の茎葉がタイム、チミアンなどと呼ばれて百日ぜき、鎮痛などの薬用に用いられるほか、ソース類、ハム、カレーなど のスパイスにもなるので、ヨーロッパから輸入されている。

調整法:6〜7月の開花期、地上部をとって水洗い後陰干しに。

成分:芳香成分は発汗作用のあるパラ、シメン、カルバクロール、チモールなどの精油。

薬効と用い方:
かぜに:
乾燥したものを1回量3〜6g、カップに入れて、熱湯を注いで飲む(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8198 ダイコンソウとは(水揚梅、すいようばい) 北海道、本州、四国、九州に自生。朝鮮半島、中国にも分布。

名前の由来:地上すれすれの所から出る根生葉がダイコンの葉に似ているので、この名ができた。「大和本草」(1708年)に水楊梅の名は出ているが、ダイコンソウの名はない。「和漢三才図会」(1713年)も同様で、水楊梅の記載文は「本草綱目」(1590年)の引用である。  
「用薬須知続編」(1757年)は狼牙(ろうげ)の項目中、花肆(はなや)で大根草と言うは 水楊梅のことだと記し、「本草綱目啓蒙」(1803年)もダイコンソウの和名をあげている。さらに小野蘭山は、ノダイコン、ダイコンナ の別名をあげている。

特色ある花柱:一つの花の中に多数の雌しべがあるが、それぞれの花柱に腺毛が生え、先端がかぎ状に曲がっている。その先に一 つの関節があり、白い毛のある柱頭がついていて、この柱頭は のちに落下する。このような仕組みの雌しべは珍しい。

類似植物:ダイコンソウによく似た種類に、オオダイコンソウがあるが、開花後、花柱が斜め横か下向きになり、花柱に腺毛はな い。ダイコンソウよりやや大型で、山地や高山に見られ、北海道 や本州に自生するほか、中国、朝鮮半島、シベリア、東アジア、 東ヨーロッパと、広い地域に分布する。さらに北海道、本州の北部や中部の高山の岩場、四国の石鎚山には、花が鮮黄色で大き く、美しいミヤマダイコンソウが見られる。これは花柱に関節がなく、まっすぐに伸びている点が、ダイコンソウやオオダイコン ソウと異なるので、ときに別属、ミヤマダイコンソウ属を設けて 区別する。ただし、薬用はダイコンソウのみ。

調整法:夏から秋、なるべく開花期の全草をとり、日干しに。

成分:ゲインが含まれ、オイゲノールやブドウ糖に分解される。

薬効と用い方:
利尿に:
10〜15gを1日量とし、水400ccから約1/3量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8199 オオグルマとは(土木香、どもっこう) ヨーロッパ原産。松岡玄遠の「用薬須知」(1726年)に、「和産も処処これ有り。真物なり。然れども気味劣れり。とぼしき時通用すべし。和名をオオグルマ、また大モッコウと言う・・・・・」とあるところから、享保年代には処々で栽培されていたのであろう。

本物の木香の代用に:本物の木香はインドのカシミール地方原産 のキク科の根をさし、わが国で栽培された記録はなく、根から調整された生薬木香を中国から輸入していた。「用薬須知」に「とぼしき時通用すべし」とあるのは、この木香が不足か、手元にないときにだけ用いるという意味で、わが国では古くから、オオグルマが本物木香の代用とされてきた。  
木香は特有の芳香が強く、なめると苦いが、オオグルマの根は土木香の生薬名で呼ばれ、芳香は木香より弱い。

江戸時代の薬売り:享保のころ、丸に三つ鱗の紋を青貝で塗り出 した小さな挾み箱に「木香丸」と印した木札を先につけた棒を通 してかつぎ、「はらいっさいの妙薬、はらいっとう木香丸木香丸」 の呼び声高く、街中を売り歩く薬売りが長くつづいた。  
腹痛や食あたり、虫下しなどが主な効能で、木香丸の処方は、香附子、黄柏、胡黄連、木香であるが、この木香を土木香で代用 していた。土木香は当時、処々に栽培されていたようであるが、 のちに、大和・信濃地方で、まとまった栽培が行われるようにな った。

採取時期と調整法:初冬のころ、根を掘りとって水洗いし、輪切 りにしてから、陰干しにする。

成分:芳香はアラントラクトンなどの精油による。

薬効と用い方:
ヨーロッパでは、民間薬として発汗、利尿、 去痰に用いるが、我が国では製薬会社が、薬を飲みやすくするために、ときに賦香料として用いる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8200 ウラジロガシとは 本州(新潟、宮城両県を結ぶ線より南の地域)、四国、九州、 沖縄に自生するほか、韓国の済州島にも分布する。

結石症の民間療法に:徳島県地方で、早くからこの薬や小枝が胆石、腎石、尿路結石症などの民間治療薬に用いられてきたことが 「生薬学雑誌」20巻1号(1966年)に紹介され、大きな話題となった。 その後、拙著「効く効かない・健康食」(1975年)でこのウラジロガシを紹介したところ、葉の鑑定を頼んできた人が何人かあったが、いずれもまちがいなくウラジロガシであった。ただ、関東地方の農村地帯に多い、かしの生け垣はシラカシを用いたものであり、これがウラジロガシとまちがいやすいので、表を参考に して区別するとよい(画像はこちら)。なお表の中の中肋とは、葉の中央を通る太い線のことである。

採取時期と調整法:必要時に小枝を含めた葉、または葉のみをとり、こまかく切って日干しにする。

成分:タンニンとリグニンのほかは米精査である。

薬効と用い方:
尿路結石に:
こまかく刻んだもの約50〜70gを1日量として、水600〜1000ccで約1/3量に煎じて服用する。他の結石症にもすすめたい(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8201 タバコとは 熱帯アメリカ原産。15世紀末(1492年)、コロンブスが西インド諸島を発見した際、原住民がタバコの薬汁を外科用に、また喫煙を麻酔作用に利用しているのを知った。

マニラからわが国へ:薬草、生薬類の多くは、従来、中国や朝鮮半島を経由して伝来するというのが普通だったが、このタバコはそれまてと違った逆コースで入ってきた。慶長5年(1600年)、スペイン人のフランシスコ派宣教師ヒエロニムスデ・カストロが、 マニラから来航し、徳川家康に各種の薬剤を献上した。その中に、当時フィリピンで用いられていたタバコが原料の、外用剤の軟膏があった。彼はマニラに戻って翌年に再来日し、タバコの種子を献上したが、これは随員の手記に記ざれている。このことは、「本朝食鑑」(1697年)に、煙草は南蛮国から来たもので、わが国に移植して、まだ60〜70年にすぎないとあるのに符合する。そ の後、慶長14〜19年(1609〜1614)に、わが国から喫煙の風習が朝鮮に伝えられ、まもなく、中国へと伝わっていった。

喫煙用タバコが先:「和漢三才図会」(1713年)に、「天正年中南蛮商船はじめて此種を貢ぐ」と記してあるのは、喫煙用のタバコを さしたもので、植物としてのタバコが渡来する前に乾燥薬、喫煙用のタバコが入っていたことが知られる。

調整法:吸いがらを利用するので、あき缶などに適当量の吸いがらと水を入れて煮出し、その煮汁を用いる。

成分:アルカロイドの殺虫効果のあるニコチン、ノルニコチンを 主成分とする。ニコチンは副交感神経末梢興奮作用のある毒薬で、その硫酸塩は農用殺虫剤に用いる。  

薬効と用い方:
蟯虫に:
煮出し汁を少量、 脱脂綿につけて肛門の周辺を洗う。
足のまめに:煮汁を飯粒とねって、患部にはる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8202 ツルナとは(蕃杏、ばんきょう) 北海道(西海岸)、本州、四国、九州、沖縄に自生。北海道西海岸が北限地。台湾、中国南部、南アジア、ニュージーランド、 オーストラリア、ポリネシア、南アメリカなど各地海岸に分布。

本草書の解説:「大和本草」(1708年)の中で、貝原益軒はわが国で 初めてツルナについてふれている。浜藜(ハマアカザ)の漢字のもとに、「葉アカザの如く繁衍(はんえん)す。ワカ葉を食す。五月に小黄花を葉間に開く。実は大豆の如し、大頭は五角があって刺の如し」と記している。大頭は果実のことであろう。のちに小野蘭山は、「大和本章会議」 (1783年)で浜藜を、「海浜に自生あり、和名ツルナと言う。いまは人家に植えて食用とす。葉三角にして厚く、ざらつきあり・・・・・実は五角と言うは非なり。二角または三角なることあり」としているので、これがツルナであることと、このころすでに人家で栽培し、野菜として利用していたことが明らかになった。

英名と漢名:イギリスの探検家キャプテン・クックは、ニュージーランドの海岸でツルナをとり、1772年にロンドンのキュー植物園に送った。これが栽培され、ニュージーランド・スピナッチ(ニ ュージーランドほうれんそう)の英名がついた。漢名の蕃杏は、番杏とも書き、最近の中国では番杏になっているのが多い。

海水に浮く果実:果実はひしの実を小型にしたような形で、とげが鋭い。よく熟したものは海水に浮くので、遠方に流れつき、砂 浜に打ち上げられると、とげによってとどまり、発芽する。  
太平洋の各地に広まったのは、この性質によるものであろう。

調整法:夏から秋、花のあるときに全草をとり、日干しにする。

成分:未精査。カロチノイド、カロチン類を含む報告がある。

薬効と用い方:
胃炎に:
よく乾燥した全草1回10〜15gを水300〜400ccで煎じて服用する。
★胃ガン、食道ガンに効くという話かあるが、信用できない(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8203 ツルニンジンとは(羊乳、ようにゅう) 北海道、本州、四国、九州に自生。朝鮮半島、中国北部、アム−ル地方にも分布する。

名前の由来:「物類品シツ」(1763年)は、羊乳の漢名に対して和名をツルニンジン、またはキキョウカラクサとし、江戸方言としてツリガネカズラ、木曽山中の方言はチソブと言うと記している。チソブとあるが、これはヂソブ、爺ソブの意であろう。

沙参(しゃじん)と羊乳:明の李時珍の「本草綱目」(1590年)は、ツリガネニンジンの沙塵の中に羊乳を含めて説明しているが、これについて、 江戸時代の本草学者がおかしいと指摘している。貝原益軒もそう指摘した一人で、「大和本草」(1708年)の沙塵の中で、羊乳と沙塵は別のもので、ツルニンジンが羊乳であるとした。     
また、松岡玄達は「用薬須知」(1726年)で、益軒の説を入れてくわしく述べている。羊乳はツルニンジンのことで、ツリガネニン ジンと違ってつる性であり、茎葉にすこぶる異なる臭気がある。
根の大きいものはこぶしのようで表面にイボがあり、浜防風の根に似ていて中は白い。茎、葉、根ともに白汁を出して、味は甘 く、俗医(一般開業医のことか)は沙参に代用するとしている。

羊乳と広東人参:平家の谷として、また鈴本牧之の「秋山記行」 で有名な上信越の秘境・秋山郷で、大正10年(1921年)ごろ、発電所の工事関係者が集まっていたとき、工事の合間に盛んにツルニン ジンの根を集めた男があったという。これは広東人塵のにせものを作る目的だったらしいというのが、古老の話であった。

調整法:8〜9月に根をとり、水洗い後輪切りにして日干しに。

成分:去痰作用のあるサポニンの一種を含むほかは、精査されて いない。

薬効と用い方:
去痰に:
―回量として乾燥根5〜8gを水300ccで1/3量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8204 豆鼓とは(とうち) 豆鼓は蒸した大豆に小麦粉や塩、麹などを混ぜ、発酵させて塩漬けにして作られる調味料です。 黒い色をしていて味は塩辛く、これを細かく刻んで料理 に使う。日本では「麻婆豆腐に使う」というのが一般的ですが、 実は煮物にも炒め物にも蒸し物にも使える上、肉・魚・ 野菜のいずれとも相性の良い風味がある便利な調味料です。
8205 むかご とは 「むかご」とは、茎や葉のつけねなどにできる、養分をためた小さなかたまりのこと。 地面に落ちてから発芽するので、その性質を利用 したのが「むかご繁殖」という方法。 自然薯(じねんじょ)などで利用される。 なお、「むかご」は漢字では「零余子」または 「珠芽」と書く(画像はこちら)。
8206 タチアオイとは(蜀葵、しょくき) 中国原産。古い時代にわが国に渡来したものと見られる。

名前の由来:「本草和名」(918年)では蜀葵の漢名をあげ、和名を 加良阿布比(からあふひ)としている。唐の葵の意味であろう。貝原益軒は蜀葵 を単にアフヒと読ませ、寺島良安はカラアフヒと読ませている。 江戸後期の小野蘭山は、ハナアフヒ、ツユアフヒ、タチアフヒなどの和名をあげ、書画、詩文などに葵花とあるのはこの蜀葵をさすと述べている。タチアフヒが現在のタチアオイになった。

省エネに:「大和本草」(1708年)は、茎を水に2日ひたし、皮をとって縄か布にし、また枯れた茎を焼いて灰にして、その灰に火だねを入れておくと、火は久しく消えないと記している。今日の省エネ時代にふさわしい話ではないか。

美しい花:花は美しいので、欧米各国で栽培され、改良されて新 しい品種が入ってきている。在来種は二年草で、春に種子をま き、翌年夏に花が咲くが、改良種は春にまいて、その夏に開花するので、一年草として栽培される。移植できないので、栽培する 地点に種子をまく。また、水揚げが悪いので、切り花には不適。

類似植物:ヨーロッパ原産のビロードアオイは、別名ウスベニタ チアオイと言い、全草に綿毛が多いのが特徴。ヨーロッパではこの根をアルテア根と呼び、水で煮て出る粘液を、のどか痛むときのうがい薬に使用する。その際、葉を用いてもかまわないが、蜀葵根をアルテア根の代用にするのは無理である。

採取時期と調整法:夏から秋の開花期に、花をとって日干しに。 根も開花期にとり、手早く水洗いして日干しにする。

成分:粘液質を含むほかは精査されていない。

薬効と用い方:
利尿に:花は
4〜8gを水300ccで半量に煎じて服用する。根は10〜15を1回量 して、水300ccで1/2量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら
8207 ゼニアオイとは(錦葵、きんき) 南ヨーロッパの原産で、わが国には古い時代に入った。

名前の由来:「和漢三才図会」(1713年)には、この図と解説がのせてあり、漢名の錦葵をあててコアフヒと読ませている。また「大和本草」(1708年)では錦葵をゼニアフヒと読ませ、漢名が「本草網目」(1590年)の蜀葵の項に出ていることを示している。  
小野蘭山は「本草網目啓蒙」(1803年)で小アフヒとし、一名ゼニアフヒとした。ゼニアオイは銭葵(ぜにあおい)のことで、「本草綱目」による と花の大きさが五銖銭ほどであることからきており、それがそのまま和名になった。ただし、正しい漢名は錦葵で、正しい日本名はゼニアオイ。銭葵は漢名ではなく、和製漢名である。

タチアオイとの区別点:上段のタチアオイは、平安のころには、すでに各地で栽培されていたと見られるが、このゼニアオイが栽培されるのは江戸期の元禄のころからではないか。ゼニアオイはゼニアオイ属で、タチアオイと同じアオイ科なので、互いに似て いるが、ゼニアオイは5個の花弁の外側に5片に切れ込んだ緑色のがく片があり、またその外側に小さい苞が3枚ついている。いっぽうタチアオイのほうは、この小さい苞が先端7〜8個に裂け、下のほうが合生している点が違っている。この苞のつきぐあいが区別する要点になる。

第3版日本薬局方に:植物各部に粘液質を含むので、「錦葵花」の名と、フロレス・マルバのラテン名で、ゼニアオイの乾燥花が第3版日本薬局方に収載されたことがある。

採取時期と調整法:5〜6月、花と葉をつみとり、日干しに。

成分:葉、花に多量の粘液質(炎症部分を保護する)を含み、花弁中にはマルビンという色素を含む。

薬効と用い方:
のどの痛みに:
乾燥葉、または花10〜15gを水200ccで約1/2量に煎じ、これでうがいする(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8208 ヨツバヒヨドリバナとは 北海道、本州(近畿以東)に自生。フジバカマ属に属し、平地よりも山間部の草地など、日のよく当たる場所に群生する。

ヒヨドリバナの亜種:ヒヨドリバナという、茎に葉が対生する別の種類があり、ヨツバヒョドリバナは、その亜種になっている。 ヨツバの名は、茎の一つの節から葉が4枚出ているのでついたが、ときには3枚のこともある。ただし、葉が輪生するのはこのヨツバヒヨドリバナだけで、他種と区別しやすい。  
ヒヨドリバナやヨツバヒヨドリバナの母種は、中国にのみ自生する。学名オイパトリウム・シネンゼ、中国名は華沢蘭(ふぁぜらん)。別名を大沢蘭(だぜらん)と呼び、わが国のヒヨドリバナによく似ており、全草をかぜや解熱などに用いている。

ヒヨドリバナも利用:ヨツバヒヨドリバナは近畿以東に分布が限られているが、ヒヨドリバナは全国各地に普遍的に自生し、薬効に変わりはないので、これを用いてもよい。ヒヨドリバナは、一 つの節から左右に2枚の葉を対生する。葉の質は薄く、長さ10〜 16cmで幅3〜8cm。卵状長楕円形で短い柄がある。また縁に鋸歯があり、両面にまばらに綿毛があって、下面にのみ腺点がある。

調整法:夏の開花期に地上部をとり、風通しのよい所で陰干しに する。

成分:最近、ヨツバヒョドリバナやヒヨドリバナに腫瘍抑制作用のあるセスキテルペン・ラクトン類が含まれているとの研究発表が相次いでいる。その一つにヨツバヒヨドリバナに合まれる抗腫瘍性ゲルマクラノライド、ヒヨドリラクトンがある。  

薬効と用い方:
発汗・解熱に:
1回10〜15gを水300ccで約1/2量に煎じて服用する。
糖尿病の予防・はれものに:湯飲み茶わんに軽く1杯ぐらいを1日量としてアルマイトやかんで煮出し、お茶がわりに飲む(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8209 ニガグサとは(穂花香科、ほかこうか) 北海道、本州、四国、九州、沖縄に自生、朝鮮半島、中国にも分布する。北海道から沖縄まで、広い地域にわたって自生しているが、大群落をつくる性質がなく、散在しているので、たまたまめぐりあったときに採取するしか方法がない。

名前の由来:ニガクサは苦草の意味でつけられたと思われるが、 葉や茎をなめても苦くない。中国ではこれを穂花香料と呼び、味ではなく、香りを意味する名称になっている。

民間療法:ニガクサの民間療法を述べた参考書の多くは、全草に苦味質を含むので、なめると苦く、苦味健胃薬に用いるとして、 その煎じ方まで事こまかに書いているが、これは全くの誤りである。ニガクサには胃の薬としての効果はない。  
苦味健胃薬として有名なのはニガキで、これを漢字で苦木と書くことから、苦草もきっと苦いに違いないと、 確かめもせずに解釈したのであろうが、こっけいというよりも、無責任である。  
民間薬としては、農山村でかぜ薬のほか耳だれに使われる。耳だれに用いるときには、全章をしぼって、しぼり汁に脱脂綿を浸 し、綿ごと耳の穴に入れる。  
中国では、乾燥したものを煎じ、はれものの解毒や吐血を止め るときに、煎服している。

採取時期と調整法:7〜8月ごろの開花期に、全章をとり、水洗いしてから日干しにする。

成分:フェノール類を含むほかは、まだ精査されていない。

薬効と用い方:
かぜに:
1日量として、10〜15gを水300ccで1/2量に煎じて服用する。(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8210 ニチニチソウとは(日日草、にちにちそう) 熱帯アメリカ原産。現在、熱帯各地の路傍に野草のように繁茂 している。わが国では江戸時代のころから栽培されるようになった。山岡恭安著「本草正正譌(ほんぞうせいせいか)」(1778年)に初めて登場する。その後 飯沼慾斎が「草木図説」(1856〜1862年)に、ニチニチカの和名と雁来紅の漢字をあて、みごとな図をのせている。 雁来紅の出典はよくわからないが、「本草正正譌」に「日日有」の漢字があるのは、毎日花があるという意味であろう。ニチニチソウ、ニチニチ花も同じ意の和名と解される。

類似植物:これに似たツルニチニチソウは、ヨーロッパ原産のつる性多年草で、明治以後に観賞用として輸入された。耐寒性が強く、新潟、長野などの豪雪地帯を夏に歩くと、雑草のように生い茂っているのを見かけることがある。

成分研究から青汁療法へ:1958年、ニチニチソウの葉から抽出され たアルカロイドに、抗白血病作用があることが確認され、話題になった。その後、名古屋市立大学薬学部の稲垣教授らもこの研究にとり組み、動物実験の結果、抽出アルカロイドが毒性を示さず、ガンの増殖を抑制し、延命効果が認められると発表した。これがきっかけとなり、岐阜県下に突如、ニチニチソウ青汁療法が出現して、注目を浴びた。

栽培メモ:移植がきかないのでじかまきにする。播種は4〜5月ごろに行い、発芽後、数回間引きして、株間20cmぐらいにする。

成分:1958年以来、多くのニチニチソウアルカロイドが発表された。最初に発表されたアルカロイドの結晶、ヴィンカリューコブラスチンには腫瘍抑制作用があり、ほかにタンニンも含む。

薬効と用い方:
胃潰瘍・便通・消化促進に:
―回に生の葉3〜5枚をすりつぶし、水を加えてガーゼでこして飲む。アルカロイドを含むので、量をふやさないこと(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8211 ツルレイシとは(苦瓜、にがうり) 熱帯アジア原産。グアム島などでは路傍に、野草のように自生している。中国の明時代に編纂された「本草綱目」(1590年)に、ツルレイシは苦瓜として記載されているので、当時すでに、一般に栽培されていたのであろうと思われる。わが国では貝原益軒著「花譜」(1694年)に、錦茘枝(つるれいし)、苦瓜とも言うと出ており、江戸初期に入ったとされている。また、種子の外側の赤い肉が甘く、子どもが好んで食べると書いてあるところからみて、元禄以前から広く栽培されていたのであろう。

名前の由来:ツルレイシは、ツルのレイシの意。ムクロジ科の茘枝がいぼの多い果実で、それに似ていることからきたもの。漢名の苦瓜は果皮が苦いこと、錦茘枝の錦は熟した果皮の色から。

九州地方の方言:「物類称呼」(1775年)では、ツルレイシを長崎にてニガゴウリと言うのは、苦瓜の転語であろうとした。また「本草綱目啓蒙」(1803年)にもゴウリカズラ=長崎、トウゴオリ=島原など、ゴウリやゴオリという古い方言が紹介してあるが、こうした名は九州地方に限られているので、ツルレイシはこのあたりで古くから栽培されていたのだろう。この地方の現在の方言はニ ゴイ=宮崎、ニガゴーリ=久留米、ニガゴーイ=福岡などで、江戸時代の流れをくんている。

料理に:青い果実の果皮のみをとり、ほろ苦い皮を煮たり、漬け物にする。種子を包む赤い部分は甘くて、子どもが食べる。

採取時期と調整法:秋に熟した果実を、種子とともに輪切りにして、日干しにする。

成分:果汁中にアミノ酸のシトルリン、種子には配糖体のモモルジコサイドA・Bのほか、ビシンという物質も報告されている。

薬効と用い方:
解熱・解毒・充血による眼病・下痢に:
1回6〜10gを水300ccで1/3量に煎じて服用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8212 ナタマメとは(刀豆、とうず) アジアの熱帯原産。中国南部、インド、東南アジアなどに広く 栽培されている。わが国にいつごろ渡来したかはっきりしないが、林道春の「新刊多識編」(1631年)にあるので、江戸時代初めごろであろうか。関東南部、神奈川県以西の温暖な所でなければ栽培しにくい。現在、若いさやを福神漬に用いるため、四国、特に 徳島県で栽培が盛ん。また、この大型の淡紅色や白い花を料理の添え物にすることが流行し、酢漬けにして用いている。

名前の由来:「農業全書」(1697年)では刀豆の漢名をナタマメと読ませ、これは剣の形に似ているからだと述べている。同じ年に刊行された「本朝食鑑」も「わが国では刀の字をなたと読む。木を伐る刀をなたと言うが、それがこの豆の形に似ているので、名づけるのであろうか」としている。豆とあるのはさやのこと。英名でも、スオードビーン(剣の豆)と名づけており、学名のう ち、種名は剣状という意味のグランジアタを用いている。洋の東西、人の見る目は同じということか。

類似植物:関東地方以西の四国、九州、沖縄などの海岸に自生するハマナタマメは、茎が伸びて砂地をはい、ほかのものに巻きついたりする。花は淡いピンクで、さやはナタマメより小さく、薬用や食用にはしない。また西インド諸島原産のタチナタマメは1mぐらい直立して伸び、わが国の暖地でまれに栽培される。種子は煮豆に用いるが、タンパク毒があるので、水煮のあと、2〜3 時間は水にさらしておかなければならない。

調整法:8〜10月ごろ、種子を刻み、風通しのよい所で日干し。

成分:タンパクの大部分はグロブリン系のもので、カナバリン、 コンカナバリンA・Bなどが主である。

薬効と用い方:
せき・病後の栄養料に:
1回5〜10gを水300ccで1/3量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8213 ミゾカクシとは(半辺蓮、はんぺんれん、アゼムシロ) 別名アゼムシロ。わが国全土に自生。朝鮮半島、中国、台湾、インドなど、東南アジアにも分布する。たんぼのあぜ道や溝の縁などにはびこるのでアゼムシロの名もあり、溝が隠れるように繁殖するので、この ミゾカクシの名がついた。近年は減少の傾向にあるが、これは春先に空中散布する農薬に関係があるのではないだろうか。
中国では広く利用:昭和55年春、東京で聞かれた「今日の中薬展」に、多くの中国産生薬の標本が展示された。その中に、ミゾ カクシの押し葉が「半辺蓮」の名札とともに飾られていた。  
中国では、ミゾカクシの全草を乾燥し、半辺蓮の生薬名で用いてきたが、特に最近、住血吸虫病による肝硬変腹水に用いて効果 をあげている。その際、大人の場合は、1日30〜48gを水400ccで 煎じて3回に分け服用する。また清熱解毒、つまりはれものなどで化膿や痛み、発熱を伴う症状に、1回量9〜15gを水300ccで煎服したり、化膿によるはれものを利尿作用を助けて治す利尿消腫や、おできがはれて痛むときの瘡セツ痛腫にも同様に服用する。  
ほかに住血吸虫病とは限らない肝硬変腹水にも、住血吸虫のと きと同じように用いるとされている。

今後の研究課題:
このミゾカクシ、わが国では雑草として無視されてきた。中国では前述のように広く利用しているので、中国産のものを押し葉にして、額に入れて出品したのは、一つにはわれわれを啓蒙するねらいもあったのだろうか。しかし、ミゾカクシにこのような治療効果があるとは意外で、化学成分や、その薬理作用は、これからの大きな研究課題となろう。

採取時期と調整法:7〜8月ごろ全草をとり、水洗後日干しに。

成分:アルカロイドのロベリン。特殊成分はまだわからない。

薬効と用い方:
利尿・はれものに:
1日2〜5gを水300ccで1/2量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8214 ヤマゴボウとは(商陸、しょうりく) 中国原産で、古い時代に薬草として渡来し、栽培されているう ちに畑から逸出したものが、現在、人里近くに野生化している。

名前の由来:平安期に出た「延喜式」(918年)や「本草和名」(918年) には、商陸の漢名に和名イオスキをあてているが、この語源は不明。「用薬須知続編」(1757年)は商陸の和名を山ゴボウとし、実はこれは俗名であって、正しくはイオスキであると記している。ヤマ ゴボウの名は、これより先、「大和本草」(1708年)、「和漢三才図会」 (1713年)にものっているので、江戸時代前半から用いられていることがわかり、江戸後期の「本草綱目啓蒙」(1803年)や「古方薬品考」 (1841年)では、商陸の和名として、ヤマゴボウが通名になった。

類似植物:これによく似たマルミノヤマゴボウは、関東以西、四国、九州の山地に自生し、果実がヤマゴボウのように8個に分かれず、ほぼ球形なのでこの名がある。種子の表面には同心状の筋 があるが、これはヤマゴボウにはなく、花が淡紅色に咲く点も異なる。わが国自生種で、根を生薬にし、商陸として用いる。  
いっぽうョウシュヤマゴボウ(アメリカヤマゴボウ)は、前述 の2種類よりも普通に見られる。北米原産で明治初年に渡来し、各地に雑草のように繁殖している帰化植物で、果軸が下向きにたれている点と、枝や茎が紅色になる点が、前の2種と異なる。しかし、根にはほぼ同じ成分が含まれているので、生薬商陸の代用にはなるであろうと考えられるが、まだ実用化していない。

採取時期と調整法:秋の彼岸ごろ、根を掘りとり、水洗いしてか ら輪切りにして、日干しにする。

成分:硝酸カリがあり利尿作用が強い。また血圧下降成分のヒスタミンを含むことが、日本生薬学会第26回年会で発表された。

薬効と用い方:
利尿に:
1回3〜6gを水300ccで1/3量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8215 ヤブランとは(大葉麦門冬、だいようばくもんどう) 本州(関東以西)、四国、九州、沖縄に自生。中国、台湾にも分布する。古くはヤマスゲと呼んでいた。

名前の由来:「農業全書」(1697年)の薬種類の中の麦門冬を見ると、 ヤブランの名はないが、「大小二種あり。大きなるはやぶの中に多し。紫花をひらく。性もっともよし」と記してある。また、 「和漢三才図会」(1713年)では、麦門冬の古名ショウガノヒゲをあげ ている。麦門冬に対してヤブランの名が出てくるのは松岡玄達著の「用薬須知」(1726年)からのようだ。玄達は「大葉のもの其根最 も肥えて味甘し、ヤブランと呼ぶ。小乗のもの蛇の鬚と名づく。根また細小、功用相同じ」としている。「和漢三才図会」であげた古名ショウガノヒゲは、このジャノヒゲをさしたもの。

ヤブランとジャノヒゲの区別
:ヤブランとジャノヒゲは同じユリ科に属するが、ヤブランはヤブラン属、ジャノヒゲはジャノヒゲ属で、植物学的に追っている。葉の幅の広さや狭さより大きい違いは、花の部分にある。ヤブラン属の雄しべの先端についている 花粉の入る袋状の葯は、先端が丸みを帯びているが、ジャノヒゲ属の葯はとがっている。種子はヤブラン属のものはどれも紫黒色、ジャノヒゲ属のものはみな碧色になる。  
ジャノヒゲ属には、ジャノヒゲ以外にノシラン、ナガバジャノ ヒゲ、オオバジャノヒゲなど、ヤブラン属にはヤブランのほか、 コヤブラン(リュウキュウヤブラン)、ヒメヤブランがある。わが国や中国では麦門冬(中国では麦冬の名を使用)にジャノヒゲをあて、ヤブランはその代用として、大葉麦門冬の名で呼ぶ。

調整法:秋に根の肥大部だけをとり、水洗いして日干しに。

成分:べータジトステロール、粘液質のほかは未精査。

薬効と用い方:
滋養・強壮・催乳・せきに:
1回6〜10gを水300ccで約1/3量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8216 カナムグラとは(葎草、りつそう) わが国全土に自生、朝鮮半島、中国、シベリア、台湾に分布。

名前の由来と効用:葎草の漢名をモクラと読ませたのは「本草和名」(918年)、「和名抄」 (932年)で、「和漢三才図会」(1713年)ではムグラをあてている。また「用薬須知」は続編(1757年)で葎草をカナムグラと言うとし、「其葉を瘰癧(るいれき)によし、あるいは無名腫物、乳腫を治す。五瓜龍と功同じ」と述べている。瘰癧は頸部リンパ腺炎、五瓜龍はヤブガラシのこと。  
薬効については、「本草綱目」(1590年)は、「五淋に主効あり。小便を利し、水痢を止め、瘧(おこり)を除く」としている。五淋は排尿時に痛みのある病。水痢を止める、は下痢によいということで、おこりはマラリアのような熱があるものの意。

きらわれものから抗腫瘍薬に?:「思う人 来むと知りせば  ハ重むぐら 覆へる庭に玉敷かましを」と「万葉集」にうたわれているハ重むぐらはカナムグラのこと。恋しいあなたが来られることがわかっていたら、雑草のむぐらを除いて、きれいな玉でも敷いておいたのに・・・・・との意で、万葉の昔からカナムグラは雑草としてきらわれていた。ところが、最近、カナムグラの地上部を化学的に究明してトリテルペンやベータジトステロールなどの成分を確認し、抗腫瘍活性試験に明るい見通しであることが研究発表された(日本薬学会第99年会生薬学部会)。

採取時期と調整法:夏から秋に地上部を刈りとり、日干しに。

成分:タンニンのほか、利尿作用のあるフラボノイドのグルコ テオリン、ビテキシンなどを含む。

薬効と用い方:
はれものの解毒に:
かたく握って鶏卵大2個分くらいのカナムグラをアルミ箔に包んでフライパンで焼き、黒焼きにしたものを食酢でねり、患部にはる。
利尿・解熱に:1日10〜15gを水300ccで1/2に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8217 ミツバとは(鴨児芹、かもこぜり) わが国全土に自生し、朝鮮半島、中国、台湾、南千島にも分布する。 「大和本草諸品図」(1715年)はミツバの図をのせ、「三葉芹」としている。「農業全書」 (1697年)も図とともに「野蜀葵(やしょっき)」をミツバゼリと読ませ、さらに三葉芹、うえ様芹も同じと記している。

元禄ごろから栽培:古くは野生のミツバを採取し、山菜として利用してきたが、元禄10年刊行の「農業全書」がわが国で初めてミ ツバの栽培を奨励し、「うえたものの方がさらによし」と記した。 その結果、江戸の葛飾でミツバの栽培が行われるようになり、のちには、この地方で軟化栽培に発展していった。近年、栽培法が進歩して、いつでも入手できるようになったが、江戸時代には塩漬けにしていた記録があり、一般には、ひたし物、なます、魚鳥の汁煮物に加えていた。「大和本草」(1708年)には、わが国では、古くはミツバを食べることを知らず、食べるようになったのは近年だとしているが、「農業全書」のことも考えると、おそらく、江戸時代になってからだと推察できる。

古くは薬草に:酒に浸して、痰をとるのに用いたり、小児の夜泣 きに葉汁を飲ませたり、二日酔いに生ミツバを酢みそで食べるとよいというような民間療法が古くから行われてきた。

採取時期と調整法:6〜7月の花のあるときの全草をとり、水洗いしてから陰干しにする。また生のものをそのまま使う。

成分:特有の芳香は精油中に、クリプトテーネンと、ミツバエンという物質があるからである。

薬効と用い方:
はれものに:
生の葉のみを集め、塩少々加えてもみ、もんだ葉を患部にはる。
消炎解毒(はれものなど)・血行促進に:1日量として乾燥した全草10〜15gを水300〜400ccから1/3量に煎じ、3回に分服する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8218 ミョウガとは(茗荷、みょうが)) 中国東南部が原産地。古い時代に渡来したもので、帰化植物と して本州、四国、九州、沖縄などに自生の状態になっている。

名前の由来:古名はメカで、この名は「和名抄」(932年)に見えるが、谷川士清の「和訓栞」(1777年)によると、「メカは芽香の義なるべし、ミョウ(クサかんむりに襄)荷の字音にはあらじ、俗に芽をミョウガタケと言い、 花をミョウガノコと言えり」と記してある。中国のミョウガは、 かつてわが国のものと別種のようにされていた時代もあったが、 現在は同じものとされ、学名も同じで、そのうちの種名は日本名のミョウガを用い、ジンギベル・ミョウガになっている。

料理に:花穂はミョウガの子の名で知られ、辛み、芳香かあるため、汁の実や酢の物、揚げ物、つまや薬味に広く用いる。「正倉院文書」や「延喜式」の大膳、内膳の宮中料理に用いられていた記録から見ると、かなり古い時代から、食用にされていたことがわかる。当時の大宮人たちは、外来植物の珍しさと、香りをことのほか賞味し、芽香と呼んだのであろう。

落語「茗荷宿」:ミョウガを食べると物忘れがひどくなるという俗説は、落語の「茗荷宿」から広まった。泊まり客にミョウガ料理を食べさせて大金の入った財布を忘れていくように仕組んだ宿の主人が、結局は財布をとり戻され、自分は「アレ、宿賃をもらうのを忘れた」ということになる。物忘れするというのは迷信である。

採取時期と調整法:花茎(ミョウガの子)は夏か秋にとり、生のまま用いる。根茎は必要時にとり、水洗いして陰干しに。

成分:アルファ・ピネンなどの精油を含む。

薬効と用い方:
凍傷のかゆみに:
根茎20〜30gを、水400ccで1/2量に煎じ、その煎汁で洗う。 消化促進に:ミョウガの子を食べる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8219 ハナミョウガとは(伊豆縮砂、いずしゅくしゃ) 本州(関東以西)、四国、九州に自生、台湾、中国南部に分布。葉がミョウガに似ていることと、花がミョウガより目立つというのでこの名がある。

生薬縮砂の代用:ベトナム北部、タイ、インド産の生薬に縮砂があり、早くから薬用のため輸入され、今日なお用いられている。これはショウガ科の熱帯植物の種子を乾燥したものて、芳香が強い。江戸時代の本草学者はそろって、縮砂の代用になる生薬 について、次のように解説している。  
「大和本草」(1708年)は、「砂仁は日本になく、伊豆縮砂というは 杜若の実なり、縮砂と異なれり用うべからず」としている。砂仁は縮砂をさしている。香月牛山は「薬籠本草」(1734年)で、「本邦の薬舗では伊豆縮砂を縮砂にかえ販売しているが誤りなり」と述べている。また「用薬須知」(1726年)では「漢ただ一種のみにて偽物なし、和に伊豆縮砂と称するものあり、これ良姜の実にして縮砂にあらず」と述べている。杜若、良姜はハナミョウガではないが、ここではそれをさしたものであろう。江戸時代から現在まで、伊豆縮砂は縮砂の代用品とされてきた。

腫瘍抑制作用:わが国の研究では、生薬伊豆縮砂、またハナ ミョウガの根茎を材料に、腫瘍抑制作用との関係に着目しているとの報告があった(日本生薬学会第24回年会)。

採取時期と調整法:10〜11月、赤く熟した果実を手で押し破り、種子だけをとり出して、風通しのよい所で陰干しに。種子には白い薄い膜(仮種皮)がついているから、これを除く。

成分:芳香成分はシネオール、ベータ・ピネン、樟脳、セスキテルペンなどのほか、フラボノイドのアルピノンを含む。

薬効と用い方:
芳香性健胃薬・腹痛・下痢に:
1日量として3〜6gを粉末にして2〜3回に分服する (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8220 シャクとは(峨参、がさん) 北海道、本州、四国、九州に自生。サハリン、干島、中国、朝鮮半島、シベリア、中央アジア、東ヨーロッパにも分布する。

名前の由来:シヤクを、ときにコシャク、コジャクと言うのは、 シヤクの別名で、別種をあらわすものではない。シヤクの語源については不明。石戸谷勉は「北支那の薬草」(1934年)の前胡という 生薬の項で、「朝鮮の薬局にある欝陵島産の前胡は、シヤクの根部である」としている。  
最近の中国では、シヤクを峨参と呼び、その根を同名の峨参の名で生薬にし、滋養強壮剤、老人夜尿、せきの薬などに用いてい る。ここでシヤクに漢名の峨参をあてたのは、中国でこの漢名を用いているのに従って、採用した。

強壮のもちに:わが国では、山地の陰地に多く、山人参の方言がある。5〜6月ごろの開花時に根をとり、小川の流れにつけてアク抜きし、乾燥後、粉末にして、米、もち米、トチの実などともちにし、強壮のもち、力もちとして食べる風習がある。

盛んな成分研究:最近、わが国でシャクの根の成分研究が相次いで発表された。大阪薬科大学では根にリグナン(樹脂アルコー ル類)を多量に含むことに注目して研究し、アンスリチン(デス・オキシ・ポドフィロトキシン)、イソアンスリチンを確認したとしている。また、東北薬科大学では、主に精油について検討 し、アルファ・ピネン、ペータ・ミルセイン、デー・リモーネ ン、パラシメン、その他を検出したとしている。

採取時期と調整法:春の開花期、また秋に地上部が枯れかかったとき、根をとり、水洗いして陰干しにする。

成分:前述のほかリグナン類と消化促進作用のある精油を含む。

薬効と用い方:
消化促進・強壮・老人の頻尿に:
1回10〜15gを水400ccで約1/3量に煎じて3回に分服(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8221 ハゼノキとは 本州(関東南部以西)、四国、九州、沖縄に自生、また栽培も される。中国、台湾、マレーシア、インドにも分布する。ハゼノ キを単にハゼ、またはリュウキュウハゼとも言う。

筑前で栽培開始:天正19年(1591)に筑前(福岡県)の貿易商、高井宗室や神谷宗湛が、種子を中国から伝えたのが始まりとされ、 蝋をとるために筑前に栽培、その後九州一円に広まった。  
またそれとは別に、江戸中期に中国から沖縄を経由して、薩摩(鹿児島県)にも栽培が始まる。薩摩半島の開聞岳の山麓を歩く と、巨木があちこちに見られるが、そのころのものであろう。  
薩摩藩は慶応3年(1867)、パリ万国博覧会にハゼノキからとった木蝋を出品している。

名前の由来:白井光太郎著「樹木和名考」(1932年)に、「我邦古代にありてはリュウキュウハゼを産せず、古代より中古にハゼと称せし木は、今日のヤマウルシを指す」とある。  
古代のハゼ、今日のヤマウルシに、「和名抄」(932年)は黄櫨(こうろ)の漢名をあげ、和名をハニシとした。ハニシは埴輪を作る工人、埴師のことで、転じて埴土(埴輪を作る粘土)の色からきたとする説がある。ヤマウルシは秋の紅葉が美しく、これが埴輪の色に似ているのでハニシになり、ハジ、さらにハゼヘと変化したのであろう。今日の中国ではハゼノキに野漆樹や木蝋樹をあてている。

採取時期と調整法:根皮は必要なときにとり、水洗い後日干しに。種子は秋にとるが、製蝋工場用で、一般民間薬にはしない。

成分:根皮成分は未精査。種子は脂肪油約30%を含み、中にパル ミチン酸、オレイン酸、また日本酸と呼ばれるものを含む。

薬効と用い方:
止血・はれものの解毒に:
根皮20〜30gを水 約300ccで煮て、この汁で洗う。
軟膏原料に:木蝋は専門工場で製造されたものが使われる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8222 シュロソウとは(藜蘆、りろ) わが国特産で、北海道、本州、四国に自生。根元を見ると、古い葉柄がシュロの毛に似た黒褐色の繊維状になっているので、この名がある。

名前の由来:「花彙」には図があり、藜蘆(りろ)はシュロソウ、または日光蘭とも言うと記している。小野蘭山は「本草網目啓蒙」(1803年) で、「江州(滋賀県)伊吹山に多し。また野州(栃木県)日光山中殊に多し。故に種樹家(園芸家)は日光蘭と言う」としている。飯沼慾斎は「草木図説」(1856年)のシュロソウの記載文の中で、 この花部の様子がバイケイソウと同じであると述べ、ベラトルー ム・ニグルームのラテン学名を記している。明の李時珍は「本草網目」(1590年)で、「黒色を黎(り)と言う。蘆頭(根の上方をさす)を黒い皮が包んでいるので、この名がある。根元が葱に似ているの で、俗に葱管藜蘆(そうかんりろ)とも言う」と述べている。  
「大和本草」(1708年)が藜蘆をオモトとするのは誤りとしたのに対して、小野蘭山は、斜めに切って、干して売っているオモトの 根にも殺虫の効あり、漢名は万年青(まんねんせい)であると述べている。

中国産の亜種:中国産の毛穂藜蘆はシュロソウに近く、わが国の シュロソウは、この亜種または変種になっている。オオシュロソウに近いのは、中国で藜蘆、または黒藜蘆と言われる種類で、中国ではこれら数種の根茎を乾燥した生薬を藜蘆と称している。

採取時期と調整法:5〜6月ごろ、開花前のつぼみのときに地下の根茎を掘り、水洗いして刻み、日干しにする。

成分:毒成分のベラトルーム・アルカロイドのジェルビンが含まれる。

薬効と用い方:
殺虫用・便壷などのうじ虫殺しに:
乾燥した根茎を適当量、便壷に投入する。
★毒成分が強いので、内服はしない (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8223 ビャクブとは(百部、びゃくぶ) 中国原産。江戸時代、享保年間(1716〜1735年)に中国から薬草として渡来した。「本草綱目啓蒙」(1803年)に、「百部は草本(くさだち)、藤本(つるだち)の二種あり。共に享保年間に漢種を伝う」とあることから、ビャクブ とタチビャクブの2種が同時に入ったものと考えられる。

種類:平賀源内は「物類品シツ」(1763年)に、蔓性、特性、一種特性 の漢種百部三種をあげ、図と解説を記している。蔓性はビャクブ で、特性がタチビャクブ。一種特性は、源内は図を見ればわかるとしているが、タチビャクブに似ているものの、葉はビャクブのように先が細くとがっており、一見つる性のようにも見えるのでよくわからない。

類似植物:ビャクブは花のつく花柄と葉柄とが合着しているので、葉の中央から花が出ているように見える特性がある。これに対し、葉が対生するタマビャクブは、花柄と葉柄が合着せず、離れて出る。これは熱帯アジア産で、わが国でも観賞用に、ときに栽培されて、ナンヨウビャクブとも呼ぶ。またトウビャクブ(唐百部)はつる性で、葉柄と花柄が合着。ビャクブのように葉柄が長く、葉の下部、葉柄のつけ根に、ハート形の切れ込みがある点 がビャクブと異なる。これは、奈良県下で多少栽培されている。  
ほかに、中国には2枚の葉が対生する対葉百部、綿花百部、雲南百部などがあり、ビャクブ、タテビャクブとともに、塊状の根を煮て毒成分を減らし、日干しにして生薬にしている。

採取時期と調整法:4月、芽の出る前か、秋11月に根をとり、水洗い後、日干しにする。

成分:有毒成分はアルカロイドのステモニン、ステモニジン。

薬効と用い方:
しらみなどの駆除に:
百部根を適当量の水で煮て、その汁で洗う。昔はこの茎をしらみひもと称し、下着類に縫い込んで、しらみ、のみを駆除した(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8224 ダイズとは 中国原産。原産地について諸説あるが、現在は中国説が多くなった。わが国には、中国から朝鮮を経由して渡来したとされているが、年代ははっきりしていない。「古事記」の伝説のほかに、「正倉院文書」になると、確実に大豆の名称が出てくる。このころはダイズと発音せず、大豆(おおまめ)と呼んでいた。「本草和名」(918)年に オホマメ、「和名抄」(932年)ではマメと読ませている。
日本人にとってタンパク源として重要な大豆は、大正9年 (1920年)の54.8万tを最高に、生産量が下り坂になり、現在は世界第一の生産国アメリカや、第二の生産国中国から輸入している。

種皮の色で区別:大豆の表面の種皮の色で、黄は黄豆、縁は青豆、褐色や黒は黒豆と区別することもあるが、薬になるのは、黒豆(黒大豆)。小野蘭山は「本草綱目啓蒙」(1803年)で、大豆はミソマメのことで、黄大豆。薬方の大豆は、みな黒大豆で、クロマメ のことだと述べている。

黒豆の解毒作用:正月に黒豆を煮て食べることや、黒豆をいって 熱湯で煮立て、黒豆茶としてお茶がわりに飲用する風習は、黒豆の解毒作用を期待したもの。お茶がわりにするのは、声帯をととのえ、のどをよくする効果もある。また解毒、利尿、鎮痛に、クロマメのもやしを乾燥したもの5〜10gを1回量として、水300ccで半量に煎じて服用する方法もある(大豆黄巻)。

成分:解毒作用のあるサポニンとしてソヤサポニンを含み、フラ ボン体としてゲニスチン、その他脂肪、デンプンなどを含む。

薬効と用い方:
かぜでせきと熱があるときに:
いった黒豆約 20gを、水300ccで半量に煎じて、これを1日量とし、何回かに分けて飲む。
利尿・解毒に:1日量として、いった黒豆20〜30gにほうじ茶を 適当量加え、お茶がわりに飲む(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8225 シロネとは(沢蘭、たくらん/地ジュン、ちじゅん/地瓜児苗、じがじびょう) 北海道、本州、四国、九州に自生、中国にも分布する。

漢名との関係:和名のシロネは、根が白いところからついた。また松岡玄達は「用薬須知」(1726年)で、漢名には沢蘭を用いるとして次のように述べている。「沢蘭、和名シロネ、蘭の名ありといえども、形状は蘭とは絶えて別なり。方茎にして葉長く、鋸歯あり。大小二種あり。大なる者真なり。小なる者を本草に益母草(やくもそう)と名づく。一物二種なり。薬用には大なるもののほうを佳とす」。沢蘭はキク科のサワヒヨドリの漢名であるとする説もあり、わが国の本草書も、これを多く採用しているが、石戸谷勉著「北支那の薬草」(1934年)では、自分が朝鮮と、南満州の営ロと公主嶺で 求めた沢蘭は、シロネであったことを述べている。

植物名 がくの先端 茎と毛 茎の高さ 開花期 葉と光沢
エゾシロネ 丸みあり、尖らない 全体に細毛 20〜40cm 8〜9月 表面なし
コシロネ 鋭く尖る 節のみ毛あり 10〜80cm 8〜111月 なし
シロネ 鋭く尖る 無毛 80〜120cm 8〜10月 光沢あり
ヒメシロネ 鋭く尖る 節のみ毛あり 30〜70cm 8〜10月 光沢あり

採取時期と調整法:開花期の全草をとり、水洗いして日干しに。

成分:エゾシロネには血行をよくする精油が含まれている。

薬効と用い方:
血行をよくし、月経不順に:
1日量10〜15gを水400ccで約1/3量に煎じて3回に分け服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8226 ツチアケビとは(土通草、どつうそう) 北海道(札幌以南)、本州、四国、九州に自生する。

名前の由来:秋に、紅色の肉質果実を、地上からあまり高くないところに下げる。この果実がアケビに似て、しかも上から生えていることからこの名になった。漢字で土通草とするのは和製漢名で、アケビの漢名木通の木を土に変えたもの。  
山珊瑚の別名もあるが、これはトウガラシにも用いられるので、ツチアケビにあてるのは好ましくない。このほか、赤い果実からヤマトウガラシの名がある。別種のヤマシャクジョウとかヤマノカミシャクジョウは、赤い果実がない、花の時期を見てつけられたもので、茎の上部が分枝して、総状花序をつける様子を錫杖に見立てたもの。  
ツチアケビ属の植物はほとんど亜熱帯や熱帯に分布するが、わが国のツチアケビだけは分布上特異な存在で、地球上いちばん北方に自生する。学名の種名は、それを意味するセプテントリオナ リス、つまり北半球の名がつけられている。

類似植物:同じツチアケビ属のツルツチアケビは、樹幹によじ登 るのでタカツルランとも呼ばれる。九州の大隅半島にまれにあるが、種子島、屋久島、沖縄などの西南暖地に自生するほか、台湾以南の亜熱帯に分布。果実は線形で、紅色にはならない。

強精薬は疑問:ツチアケビはわが国独特の薬草で、強精薬に用いられたりするが、これは外観が男根を連想させるからであろうが、強精薬になるというのは、疑問である。

採取時期と調整法:秋、果実をとり、日干しにする。

成分:まだ精査されていない。

薬効と用い方:
強壮・利尿に:
1日量10〜15gを水300ccで1/3量に煎じて服用する。
湿疹に:上記の煎汁で洗うとよい(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8227 ナツズイセンとは 原産地は不明。わが国各地の山地に自生したり、栽培されるが、これは古い時代に中国から渡来したナツズイセンの原種に、 この系統の何かと自然交配して、現在のナツズイセンになったの ではないかという見方もある。  ナツズイセンは夏水仙のことで、花が夏に咲くので、この名になった。中国には、わが国のようなナツズイセンはないようだ。

類似植物:ナツズイセンと同じヒガンバナ属でショウキランという黄色花の種類が、本州(和歌山県)、四国、九州、沖縄に自生するほか、朝鮮半島、中国、台湾に分布している。原産地は中国とされ、花が美しいので栽培される。また、中国雲南地方原産のリコリス・スプレンゲリーは、ナツズイセンに似てやや小さく、 花被片の上半が淡いコバルト色になり、庭先に栽培される。
スノードロップと小児マヒ後遺症治療:わが国でも栽培される∃ −ロッパ南部原産のヒガンバナ科のスノードロップは、和名をユキノハナと言う。この仲間のガランサス・ウオロノウイというヨ ーロッパ産の地下鱗茎から、1960年代の初めに、アルカロイドのガランタミンが発見された。小児マヒ後遺症の治療薬になったが、 これを契機に、わが国のヒガンバナ科の一群の植物も研究対象になり、ナツズイセン、ショウキランなどの鱗茎にもガランタミンを含むことがわかり、薬用植物に加えられた。

採取時期と調整法:秋に鱗茎をとり、外皮を捨てて水洗いし、おろし器ですりおろす。

成分:アルカロイドのガランタミン。

薬効と用い方:
関節炎・腰痛に:
おろしたものに小麦粉少々を加え軟膏状に練って患部にはる。1日に2〜3回とりかえる。
★ガランタミン製剤は小児マヒ後遺症に(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8228 ニシキギとは(衛矛、えいぼう) 北海道、本州、四国、九州に自生。朝鮮半島、中国に分布。

名前の由来:秋の紅葉が錦のようにみごとであることから、錦木となった。古名のクソマユミは、マユミよりその実がくさいことからと言われている。白井光太郎著「樹木和名考」(1932年)は、秩父地方ではこの実を砕き、頭髪油でねって、しらみ殺しに用いるので、シラミコロシの方言があると紹介している。

わが国独特の療法:「大和本草」(1708年)ではこの木を煎じて服用すると心痛を治すが、このことは「本草網目」(1590年)にはのっていないと述べている。貝原益軒も「花譜」(1694年)の中で「枝を煎 じ飲めば、能く心痛の甚しきをいやし妙薬なり」としているが、 これはわが国独特の療法である。また、江戸時代の本草書の多くは、「本草綱目」で枝に出る翼状の部分を集めて薬にするとしてこれを紹介している。「用薬須知続編」(1757年)も、これを錦木散という処方に用いてとげをとるのに使用するとし、心痛を治すことにもふれているが、とげ抜きの妙薬にすることもわが国だけの療法である。
現中国では通経薬に:「延喜式」(927年)に、ニシキギの枝にできる翼の部分を集めたものが、鬼箭(きせん)、または鬼箭羽(きせんう)として記され、当時、薬に用いられていたことがうかがえる。現在の中国では、鬼箭羽の名称で煎じて通経薬に用いている。

調整法:枝にできる翼状部のみを必要時にとり、日干しに。

成分:翼状部はコルク質で、特有成分は精査されていない。

薬効と用い方:
とげ抜きに:
鬼箭を黒焼きにしてごはん粒でねり、患部に貼る。
月経不順に:1日量15〜20gを水400ccで煎じて1/3量にし、空腹時に3回に分けて服用する。
★中国ではニシキギを衛矛(えいぼう)、翼状部の生薬名を鬼箭羽とする(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8229 ウチワサボテンとは(大形宝剣、おおがたほうけん) 原産地ははっきりしていないが、おそらくメキシコてはないかとの説もある。熱帯アメリカでは、昔から広く栽培されている。  

名前の由来:貝原益軒の「花譜」(1694年)には、覇王樹(はおうじゅ)をイロヘロと訓じ、西国ではこれをタウナツと言うとしている。「和漢三才図会」(1713年)も、これと同じ名称をあげたほかに、サンポテイ、 サチラサッポウなど、外国語のにおいがする和名をあげている。 しかし、サボテンの名はまだ見当たらない。「物類品シツ」(1763年)で は、覇王樹の別名として仙人掌(せんにんしょう)が出てくる。その後、小野蘭山は「大和本草会識」(1783年)でサボテンの名をあげ、「この木横に切りて油をすり落とす薬とす。よってシャボンの転言」だとした。

伝来の年代:諸説があってはっきりしていない。しかし、「花譜」 が元禄7年(1694)の刊行であるから、これより以前であることはまちがいない。

観賞用からアイディア食品まで:わが国では当時、珍奇なものと してもっぱら観賞用に栽培されてきたが、伝来してからおよそ300年の間に、ウチワサボテンの民間薬としての利用法を考え出したり、食品加工のアイディアを生み出したりしている。日本人の生活の知恵であろう。現在、九州の観光地では、ウチワサボテンの オプンテイア・マキシマという種類の果実や茎のピクルス漬けを 売っている。  
以前は、サボテン民間療法なるものが、結核特効薬として、静かなブームを起こしたこともあった。

採取時期と調整法:必要時に地上茎をとって生(なま)のまま使用する。

成分:アラバン、ガラクタンなどからなる粘液質を含む。

薬効と用い方:
せき・解熱に:
とげをとって刻み、ジューサーなどで汁をしぼるか、おろし器ですりおろし、1回10〜15gをそのまま服用する。1日3回(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8230 ウキクサとは(浮萍、ふひょう) わが国全土に自生。アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、イン ド、オーストラリア、アフリカと世界に広く分布する。

名前の由来:漢名の浮萍も、日本名のウキクサも、水面に浮くことからつけられた。「本草和名」(918年)は水萍の漢名に、「和名抄」(932年)は単に萍を漢名として、いずれも和名をウキクサにしている。ほかに、カガミグサ(鏡草)、タネナシ(種無)、ナキモ ノグサ(無者草)という古名もある。

本草書や中国での用法:中国最古の本草書「神農本草経」には水萍の名で記載され、「和漢三才図会」(1713年)はそれを受けて、「服用すると、皮膚に達して能く邪汗を発し、流行性の熱痛を治し・・・・・小便を利し、水腫を治す・・・・・吐血も防ぐ」としている。
「中華人民共和国葯典」(1977年)では、皮膚のかゆみ、むくみ、蕁麻疹に煎服、または煎汁で患部を洗うことが記載されている。

ウキクサを飼料に:ウキクサは10日間に10〜20倍にもふえる。この乾燥重量の4割弱が粗タンパクで、ダイズに匹敵するので、乳牛を飼い、排泄物をウキクサ培養に利用するとよいという論文が ニューヨークのブルックヘブン国立研究所のヒルマン氏によって発表されたと、太田行人前名古屋大学教授が紹介している。

採取時期と調整法:6〜9月、網でウキクサをすくい上げてよく 水洗いし、ざるに入れて日干しにする。

成分:まだよく精査されていない。
          
薬効と用い方:
利尿に:
村井チュン著の「和方一万方」(1888年)にむくみがあり尿の出がよくないときにウキクサ、ハコベの乾燥したものを等分量で煎じて服用するとある。両方合わせて1回量4〜8gを水300ccで半量に煎じて服用。
発汗・解熱に:1回量として、ウキクサの乾燥したもの4〜8g を水300ccで1/2量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8231 メグスリノキとは(目薬木、めぐすりのき) 本州(山形、宮城以南)、四国、九州に自生するわが国特産。

名前の由来:わが国にしか産しないので、漢名はない。目薬木は、和名を漢字であらわしただけのもの。別名としてテョウジャノキ(長者木)、ミツバナ(三つ花)、ハナカエデ(別種にハナカ エデがあるが、ここではメグスリノキの別名)などがある。

日本人が知らぬ日本の木:メグスリノキは深山に多く、秋の紅葉は美しいが、そのわりには人に知られていない。ところが、ロンドンの種苗会社の目録には、アーサー・ニッコインシスの横文字で、このメグスリノキがのっている。日本人ほど日本の植物を知らないものらしい。友人から電話で、樹皮を薬用にするハナカエデは図鑑を見てもわからないと問い合わせがあり、メグスリノキであると、答えたこともある。

目薬と肝臓薬に:福島県相馬地方の山で、この辺にはメグスリノキが多く、最近、樹皮を薬にするとの話を聞いた。目がかすむようなときに煎じて内服すると、遠方まではっきりするので、「千里眼の薬」の別称もある。また、肝臓疾患の薬としても用いられるとのことだが、「素問」「霊柩」などの中国古典には、「肝気は目に通ず、肝和すれば、目よく五色を弁ず」とあるように、目がよくなれば肝がよくなるのは、漢方の基礎の病理に符合するので、新発見というものではない。

採取時期と調整法:春から夏に、樹皮または小枝をとって水洗いし、日干しにする。

成分:樹皮には、ツツジ科のツツジ類に含まれる、ロードデンドリンによく似た成分のエピ・ロードデンドリンが合まれる。

薬効と用い方:
目薬に:
3〜5gを煎じた汁で洗う。また1日量15〜20gを水300ccで1/3に煎じて内服。
肝臓疾患に:上記と同じように内服する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8232 ヤマトリカブトとは(附子、ぶし) 本州の近畿、東海、関東、東北に自生する。トリカブト属の分布は広く、北半球のヨーロッパ、インド、ヒマラヤ、中央アジア、中国、朝鮮半島、シベリア、アメリカなどにも見られる。

猛毒を薬に:中国の「神農本草経」には、塊根の煎汁で毒矢を作 り禽獣を殺すとあり、アイヌもこの種の毒矢を熊狩りなどに用いて いた。広く北半球の諸民族の間では、この方法が共通して行われて おり、トリカブト属が猛毒植物であることは、それぞれの国でよく 知られていた。江戸時代初期の林 道春の「新刊多識編」(1631年)にはトリカブト属の根から得た生薬の附子、天雄(てんゆう)、草烏頭(そううず)などが毒草部に記載されている。 これらに猛毒成分を含むが、用い方によっては重要な薬になることが知られたために関心が集まり、一連の類似植物の検索、化学成分との関連のほか、薬理試験と平行して臨床上の知見などの発表が相次ぎ、多くの研究論文が見られるようになった。

多い種類:トリカブト属は日本列島の山野に普通に見られるが、変化が多く、トリカブト属の種類の区別がたいへんむずかしくなっ た。北海道のカラフトブシ、北海道の南部から東北地方にかけての エゾトリカブト、本州中央部に分布するヤマトリカブト、高山地帯にある、葉が細く切れ込んだホソバトリカブト、また北海道大雪山のタイセツトリカブト、利尻島のリシリブシ、本州近畿以西のサンョウブシと、かなり細分されている。化学成分からみて、このよう な分類が妥当ということになり、この狭い日本列島上にトリカブト属が30種、変種が22種、計52種という多くの種類が存在する。

名前の由来:「本草和名」(918年)は、烏頭、烏喙(うかい)、天雄、附子、側子(そくし)の5種の漢名をあげ、これらはみな、和名はオウと読むとしてい る。これによれば、一つの薬草から5種類の生薬が調裂されているのではないかと推察できるが、事実そのとおりで、このころはまだトリカブトの名はなかった。  
しかし、「大和本草」(1708年)で貝原益軒は、附子の項目に葉はタガラシおよびヨモギに似て紫碧花を開き、世間ではこの花をトリカブトと言うと記した。これ以後の本草書には、いずれもトリカブトの名称が出てくるようになる。

中国での利用法:中国薬物の最古典「神農本草経」には天雄、烏頭、附子が収載され、中国では古くから漢方処方に用いる重要な薬物だった。これらは日本名をハナトリカブト、またはカブトギクと呼ぶものの塊根から調製している。地下の塊根は1年ごとに新しくできる子根をとって附子、母根を烏頭とするという定義があったが、現代の中国ではこれがくずれている。烏頭は塊根を風乾したもの、附手は充実した塊根を種々の操作で、毒成分を少なくしたもので、塩附子、炮附手(ほうぶし)があり、これがわが国にも輸入されている。烏頭は減毒加工されないので毒性がはげしく、あまり用いられない。

日本の附子:「物類品シツ」(1763年)に、阿部将翁が幕府の命で、享保年間に蝦夷で附子を得たと記してある。これは、今日のエゾトリカ ブトであろう。のちに、福島県白河地方から、塊根を塩水に浸して生石灰で仕上げ、毒成分減少加工した白河附子が生産されるようになった。
漢方では鎮痛、強心、興奮、利尿に応用し、ハ味地黄丸、真武湯、甘草附子湯などに用いられるが、毒成分減量操作した附手で も、一抹の不安があった。しかし、大阪大学の高橋真太郎教授によ って、塊根を加熱加圧し、加水分解して、毒性がほとんどないようにまで附子を加工できるようになり、臨床治療上注目されている。

成分:アルカロイド多数が知られる。アコニチン、メサコニチンの ほか、強心成分としてヒゲナミンを含む。
★一般素人はけっして使用しないこと (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8233 カンアオイとは(土細辛、さいしん/
細辛葵、さいしんあおい)
関東地方南部の千葉、東京、神奈川以西に自生する。 江戸時代は観賞用に 今日ではカントウカンアオイとも言うが、江戸時代の元禄から享保のころには、サイシンアオイ(細辛葵)、トキワグサ(常磐草)と呼ばれ、カンアオイの葉に出る斑紋を観賞するため、栽培法の手引きや、名品宝鑑などの出版物まで出るほど栽培が盛んであった。  
小野蘭山は「本草綱目啓蒙」(1803年)で、「葉みな厚く、冬を経て枯れず、一株に葉が叢生す。茎は紫黒色、葉に白斑文あり。其斑、数品あり。葉の中左右相対して白きものあり。中央のみ白きものあり。葉の後白きものあり、中央一線白きものあり。満葉細白条網の如きものあり。また全く斑なきものあり」と、葉の斑様の出方を詳細に述べている。

名前の由来:わが国では杜衡(とこう)や土細辛(どさいしん)をカンアオイの漢名にするが、これは正しくない。中国のこの漢名で呼ばれる植物はわが国にはなく、別の種類である。土細辛の名を一応あげたのは、従来の慣用名としてで、むしろ、江戸時代の和製漢名「細辛葵」のほうがふ さわしいと思われる。ウスバサイシンの根茎と根を乾燥し、細辛の名の生薬にするので、細辛葵ではまぎらわしいという考えもあろうが、土細辛よりはよいのではないか。  
ウスバサイシンはその名のとおり、葉が薄くて冬には枯れるが、 カンアオイは寒中でも枯れず、葉の質は厚い。カンアオイは、3月の終わりごろに紫褐色の新葉が出始めるが、寒中にも葉があるので、この名になった。  
また、カンアオイの地下根茎と根は、ウスバサイシンにくらべる と、香気が弱いので細辛の代用にはならない。そこで細辛には及ばない下品との意も含めて、土細辛の名が出たのであろう。

類似植物:カンアオイによく似た変種に次のようなものがある。
スズカカンアオイは、近畿、北陸西部に分布し、壷状の花筒部よ りも花被片の長さがはるかに長く、葉の上面の葉脈がへこむ。カンアオイは花筒部と花被片の長さがほぼ同じで、葉面の脈はへこまな い。江戸時代には、これも細辛葵として栽培された。  
コウヤカンアオイは和歌山県などに分布し、花被片は短く、花筒部の1/2ぐらい。 アツミカンアオイは、近畿各地に見られ、葉が前に述べたものよ り厚く、葉脈の表面が著しく凹入するなどの点から、カンアオイの変種ではなく、独立種とする見方もある。

採取時期と調整法:秋から冬の開花期に、地下根茎と根を掘りとっ て水洗いし、陰干しにする。

成分:最近の研究では、地下部分の根茎と根にアミノ酸のピペコー ル酸を含むことが確認され、これには鎮咳作用があると発表された (生薬学雑誌・31巻2号、1977年による)。  
また従来、カンアオイの根茎、根の成分として知られていたのは精油約1.4%であり、この精油中に、メチルオイゲノール、サフロー ル、エレミシンなどが含まれていることがわかっている。このよう な芳香性のものを含むことは、ピペコール酸同様、鎮咳作用が期待 されるものである。  また、精油中にプロペニールベンゼン系の成分が含まれるとの報告もあって、まだ、動物実験の段階ではあるが、これが血圧降下や睡眠の作用もあるとして注目を集めている。元禄のころには山草愛好家にちやほやされ、それが下火になると、土細辛と軽蔑されてきたが、どうやら薬草として、再評価されそうな雲行きだ。

薬効と用い方:
せき止めに:
1回5〜10gを、水300ccで1/2量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8234 チャノキとは(茶葉、ちゃよう) 中国原産。九州に、もともと自生種があり、それからわが国各地に広がったという説には疑問がある。古い時代に中国から伝えられたものであろう。

名前の由来:「和名抄」(932年)に茶茗の漢名で出ており、「小樹でクチナシに似ている。その葉は煮て飲むとよい。いま早期に採むのを茶、晩くなって採むのを茗と言う」と記してある。茶の中国音は チャで、これがのちに和名となるが、九州の野生茶を古い時代から 飲んでいたとする説があるならば、その当時の人々はそれになにかの和名をつけて呼んでいたに違いない。しかし、「本草和名」(918年) にも、これに関連する和名は出ていないので、九州自生説を疑問とする根拠となる。  
中村俊斎著「訓蒙図彙(きんもうずい)」(1666年)には、チャノキの図と茶の漢名が 出ており、茶をタと読ませ、俗にチャまたはサと言うとしている。

薬用から喫茶の風習に:奈良、平安のころには飲用の目的ではな く、薬用としてわずかに用いられていたのであろう。当時は薬用と して製茶されたものが先に入り、種子なども入ってきたが、社寺などでわずかに栽培ざれていたのであろう。  
中国の唐時代、陸羽が著した有名な「茶経」によって、天下に 喫茶の風が起こされたが、これはわが国で言えば桓武天皇の平安遷都のあと、最澄(伝教大師)が遣唐使船で入唐する前後であった。 日本では延暦24年(805年)、最澄が茶の種子を唐から持ち帰ったのではないかとされている。さらに、鎌倉時代になって、宋に5年間の留学をした栄西が、建久2年(1191年)に帰国の際、「茶経」と種子を持ち帰り、のちに製茶法や喫茶法などの「喫茶養生記Lを著した。 これによって、わが国に急に茶樹の栽培が盛んになり、喫茶の風習 も広まっていったとされている。

九州地方から:初めは九州地方に栽培され、のちに四国に入り、本 州では関東地方を北限として、栽培地が広がっていった。  
チャノキの古木は、鹿児島や静岡によく見られるが、古木として 天然記念物に指定されているのは、佐賀県藤津郡嬉野町不動山にあ り、「嬉野の大チャノキ」の名で有名。樹齢は300年余という。

製法による違い
緑茶:
茶の葉をつんで、そのまま放置すると、ま もなく黒変する。これは葉の中の酸化酵素のためで、若葉を短時 間、せいろで強く蒸すと、酵素の作用が停止し、緑茶を黒変させずにすむ。その後さらに熱を加えながら、手でもんでよりをかけ、最後に火入れと称して加熱し、製品にする。酵素の働きが止まっているので、ビタミンCの損失が防止され、Cの含有量が多い。
玉露:
茶つみ前20日ぐらいからよしずをかけて栽培した若葉を製茶したもので、最高級品。抹茶はよしずの下で栽培した葉を、美濃紙の上で加熱し、よりをかけずに乾燥して粉末にしたもの。
紅茶:煎じた汁が赤褐色になるので、この名があるが、外観が黒色なので、英名ではブラックティーと呼ばれる。茶葉の酵素を発酵させて作るため、発酵熱でビタミンCは消失するが、そのおかげて逆に特有の芳香が生じる。使うのはタンニン質の多いアッサム茶。
烏龍茶:台湾、中国の製品。緑茶と紅茶の中間の発酵とみるべきものて、紅茶より低い発酵で製茶されたもの。

成分:発汗、興奮、利尿作用のあるカフェイン、テオフィリンなどのアルカロイド。下痢止めの効果があるチャタンニン。茶のうまみはアミノ酸のアルギニン、テアニンのおかげ。

薬効と用い方:
かぜ・頭痛に:
緑茶15g、陳皮(みかんの皮) 3〜5個以上を水400ccで1/2量に煎じて、熱いうちに1回に服用。
下痢に:緑茶の粉末、乾燥したショウガ粉末を各等分量に混合し、 1回量3〜6gを白湯で服用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8235 ヒヨドリジョウゴとは(白英、はくえい) 北海道、本州、四国、九州、沖縄に自生。朝鮮半島、中国、台湾、インドにも分布する。

名前の由来:「本草和名」(918年)や「和名抄」(932年)に白英の漢名をあげ、和名をホロシとしているが、これはヒヨドリジョウゴのー種を さしたものではなく、マルバノホロシ、ヤマホロシなどを含めたもののようである。  
「大和本草諸品図」(1715年)では、ヒヨドリジョウゴの和名と図をのせ、さらに「雪下紅(せっかこう)」と言うとしている。  
また「和漢三才図会」(1713年)はヒヨドリジョウゴの漢名を白英と し、その実が赤く熟するときに鵯(ひよどり)が喜んで食べるので、鵯上戸 と言うが、鶫(つぐみ)もこれを好むと記している。そのほか雪下紅ものせた が、貝原益軒が指摘したヒヨドリジョウゴの和名は記していない。 さらに「本草綱目啓蒙」(1803年)では、草木にからみつき、毛があって、アサガオのつるのようだと記している植物があり、これがヒヨドリジョウゴであることは確実である。ここでは漢名を蜀羊泉 (しょくようせん)とし、別名の一つとして雪下紅をあげている。飯沼慾斎も「草本図説」(1856年)で、これに従っている。  
以上を整理すると、和名ヒヨドリジョウゴ、古名ホロシ、漢名は白英である。  
和名のマルバノホロシはわが国特産のものて、漢名はない。雪下紅、蜀羊泉ともに、これらの漢名に該当する種類は、わが国産のものにはない。

福島地方の方言:従来、福島地方では、ツヅラゴの名でヒョドリジ ョウゴの全草を帯状庖疹(ヘルペス)の民間療法に用いてきた。同 じ福島県でも、会津の方言はチャラコと言うが、この語源は不明。 福島市の付近ではツヅラゴ。ツヅラはつるのことで、コは子で、その実をあらわしたものか、また語尾のコはツヅラの意味を強調するための強調語ともとれる。

本草書の薬効:「神農本草経」には「悪寒、胃、腎、肺などの疾患、のどの渇きなどによく、胃腸をよくし、心を鎮め、久しく服すれば身体を軽くし、長寿を保つ」と書かれている。  
そして「本草綱目」(1590年)では、さらにくわしく、この薬効をあげている。  
わが国の江戸期本草書には、これらの薬効を転載しているが、その基本は、解熱、利尿、解毒に全草の乾燥したものを煎じて服用するようになっているものが多い。ときに煎じた汁を外用し、皮膚病や神経痛などに用いることもあげている。

現代の用法:現在の中国では、わが国と同じヒヨドリジョウゴの全草の乾燥したものを「白毛藤(パイマオティン)」の生薬名で、解毒、解熱、利尿促進などに内服したり、解毒などには煎じた汁で洗ったり、葉汁を外用したりしている。  
また、わが国では近年、抗腫瘍作用があるとして注目されてきている。日本薬学会第100年会(1980年)の研究発表に、「ヒヨドリジョウゴについて」と題した徳島大学薬学部の報告があり、全章の水浸エキスから、2種のステロイド配糖体を分離し、それらの化学性状を明らかにした。

採取時期と調整法:夏から秋にかけて、果実がついている全草をと ってこまかく刻み、食酢に漬けておく。

成分:アルカロイドを含むとされているが、解明されていない。ほかに、前述の2種のステロイド配糖体が含まれていることがわかってきた。

薬効と用い方:
帯状庖疹:
果実ごと全草を酢漬けにしたものを取り出し、患部に直接、当てるとよい。内服用にはしない(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8236 シュウカイドウとは(秋海棠、しゅうかいどう) ベゴニアの仲間は耐寒性が弱いので、露地で越冬できるものはほとんどありませんが、シュウカイドウは唯一の例外で耐寒性があります。 中国原産で、各地に栽培される。白井光太郎著「改訂増補日本博物学年表」(1941年)によれば、寛永18年(1641年)にシュウカイドウを中国から輸入すとしている。

名前の由来:天明4年(1784年)、スウェーデンのツンベルク著「日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)」は、長崎で採集したシュウカイドウを日本名Sjukaidoと記している。和名のシュウ力イドウは、漢名の音読みによるが、島田充房著の「花彙・草部・ 巻2」(1763年)にのせてある図には、「八月春(はちがつしゅん)」と出ていて、秋海棠を別名のように記してある。

栃木県に野生化:江戸後期の本草学者小野蘭山は「大和本草会識」(1783年)の秋海棠の中で、「世上にあるは、これ唐種なり。然れども深山に往々あり、野州出流(いずる)山中にあるを目撃せり」としてい る。野州は栃木県で、現在も渓流に沿って野生化している。蘭山は、幕府の命で享和元年 (1801年)4月から1カ月余の日程で江戸をたち、常州筑波山から野州日光山の植物採集の旅に出ており、このとき出流山に寄ったと思われる。春なので、花のない株を見て判断したのであろう。

栽培メモ:水湿の日陰でよい。春に前年の塊根から発芽したのを分けて植えるが、むかごを植えてもよく、すぐ根をおろす。茎にシュウ酸を含み、酸味があって食用にするが、多食はよくない。

採取時期と調整法:8〜9月の開花期に、茎葉をとり、そのまま水洗いして用いるが、なるべく茎の太いものがよい。

成分:開花期の全草中に殺菌作用のあるシュウ酸1%を含み、新鮮葉には0.2〜0.3%含む。根にはサポニンに類似の物質を含む。

薬効と用い方:
皮膚病・たむしでかゆみを伴うものに:
茎葉を生のまますりつぶして、直接患部にすりこむようにして塗る(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8237 イラクサとは(蕁麻、じんま) 本州(関東以西)、四国、九州に自生。朝鮮半島にも分布。

名前の由来:茎葉に生える刺毛にふれると痛むことから、イタイタクサ、またイライラクサの名になった。  
漢名の蕁麻を慣用名としてイラクサにあてるが、中国のイラクサとわが国のものとは違っているので、蕁麻をあてるのは正確ではない。しかしここでは植物名でなく、生薬名として用いた。
林 道春の「新刊多識編」(1631年)には「蕁麻はいま考えるに、ヒトサシクサである」 とし、異名として毛シンの漢字をあてている。

ゆでて食用に:「本草網目啓蒙」(1803年)は、「葉は苧麻(まお)の葉に似て深緑色、対生し、茎葉ともに毛剃あり、人をさすこと甚だし。しかれども、煮るときは食うべし」としていて、毒草の部に入る野草であるが、食用になることを述べている。古くより毒草とされているが、さされて痛むのは、刺毛に含まれる蟻酸のせい。無色の液状物質の蟻酸が、皮膚をはげしく腐食する作用によるもので、若い苗をゆでてアクを抜き、水にさらすと、蟻酸は完全にな くなる。あえ物、ひたし物によい。  
イラクサより大きいミヤマイラクサは、東北地方では春先に、若苗をすまし汁、みそ汁、ひたし物、あえ物にするが、山菜の最高の昧で、アイコと呼ばれている。毒のあるふぐの料理がおいしいのと同じに、毒草のように言われるこのものがおいしいのはなぜだろうか。しかし、アイコもイラクサも、蟻酸を含んではいるか、命にかかわる毒というわけではない。

採取時期と調整法:夏から秋に手袋を使用し、刺毛に気をつけて全草をとり、日干しにする。

成分:蟻酸。その他のものは精査されていない。

薬効と用い方:
リウマチ・小児のひきつけに:
乾燥したもの 1回3〜6gを水300ccで約1/3量に煎じて服用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8238 イシミカワとは(杠板帰、こうばんき) わが国全土に自生。サハリン、朝鮮半島、中国、東南アジア、 インドにも分布する。

名前の由来:イシミカワの語源は不明。江戸時代の本草学者の多 くは、イシミカワの漢名を赤地利(しゃくちり)にあてた。しかし松岡玄達は 「用薬須知」(1726年)で、イシミカワの漢名を杠板帰とし、従来これを本草の赤地利にあてるのはいけないとしている。
小野蘭山は「本草網目啓蒙」(1803年)で、赤地利はツルソバであるとし、飯沼慾斎もこれにならったらしく、ツルソバを赤地利と している。また、慾斎は玄達の説も受けたらしく、イシミカワを 杠板帰としている。  
「牧野新日本植物図鑑」(1977年)では、イシミカワの漢名杠板帰は別の植物で、これをあてるのはよくないとしているが、これはあたっていない。また先年、血管強化や高血圧による脳卒中の予防薬とされるルチンの原料にシャクチリソバが利用された。これはソバの仲間のファゴピルウム・シモズウムという宿根性のソバで、正しい漢名は天薺麦(てんせいばく)。それをシャクチリゾバの和名で呼んだのはよくなかった。  
現在の中国ては赤地利をツルソバとしている、蘭山、慾斎ともに判断が正しかったということになろう。イシミカワを杠板帰と した松岡玄達の説も正しい。「中葯大辞典」や「中国高等植物図 鑑」(1972年)に出ている図、学名、記載文は、わが国のイシミカワと同じもので、杠板帰をあてている。

採取時期と調整法:秋に全草をとり、水洗いして日干しに。

成分:タンニン質を含むほかは、まだ精査されていない。

薬効と用い方:
下痢止め・利尿・解熱・はれものの解毒に:
1日量12〜20gを水400ccで1/3量に煎じて、3回に分けて服用する。はれものには煎汁で患部を洗ってもよい(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8239 ラッキョウとは(薤白、がいはく) 中国原産。中国の中部、東部に野生が見られるという。

名前の由来:平安初期の「本草和名」(918年)、「和名抄」(932年)には、薤の漢名に和名としてオオミラと呼ぶように記されている。
「農業全書」(1697年)には薤にラッケウのふりがながつけてあり、「成形図説」(1804年)では、ラッキョウは、辣韭(らっきょう)の唐音からなまったものであるとしている。

古くから薬用に:「延喜式」(927年)には、典薬寮の元日御薬の中に薤白が出てくるので、当時すでに薬用にされていたのであろう。 前出の「農業全書」では、「味少し辛く、さのみ臭からず。功能 ある物にて、人を補い温め、または学問する人つねに是を食すれば、神に通じ魂魄8たましい)を安んずる物なり」としている。また、「根を塩みそに漬け置き用い、また煮て食し、或はぬかに漬け、醋(す)に浸 し、また少しゆびき醋と醤油に漬けたるは久しく損せず、味よきものなりと記したあと、醋味噌につけて食するときのあの歯音の あるのは気味おもしろき物なり」とも述べている。

エシャロットは別種のもの:近年、春先から八百屋の店頭に、エシャロット(フランス名)、シャロット(英名)の名で生食用の ラッキョウの促成品(静岡や埼玉産)が並ぶ。みそや酢みそで食べると、歯音よくおいしいが、実は、これはタマネギの小型種の一つで、ラッキョウの血は流れていない。

調整法:6月ごろから八百屋の店頭に出るので、これを求める。

成分:精油や糖類を含むが、その本態は未精査。

薬効と用い方:
食欲促進に:
生のラッキョウを、みそなどをつけて、少量食べる。
腹の痛みに:ラッキョウを刻んで乾燥したもの5〜10gを、水300ccで1/3量に煎じて飲む。これは薤白湯と言うと、香月牛山が 「新増妙薬手引大成」(1857年)に記している (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8240 ヤブタバコとは(天名精、てんめいせい) わが国全土に自生。朝鮮半島、台湾、中国にも分布する。

名前の由来:天名精の漢名に対して、「本草和名」(918年)や「和名抄」(932年)は和名をハマタカナとし、一名ハマフクラとした。 時代が下って林道春の「新刊多識編」(1631年)になると、イトノシリやイノシリグサの名称が新たに加えられ、「大和本草」(1708年)になって初めて、近世は俗にヤブタバコと言うと出ている。  
江戸時代の本草学者は、ヤブタバコの実を鶴虱(かくしつ)と呼び、葉のほうが天名精だと区別したが、小野蘭山は「本草網目啓蒙」(1803年)で、区別するのは誤りであり、鶴虱は別のセリ科のヤブジラミの実、蛇床子(じゃしょうし)の別名であるとしている。  
ヤブタバコの茎の地面に接するところから出る葉は大きく、しわがあって、縁には浅い鋸歯があり、見方によっては、タバコの葉に似ている。このことからヤブタバコの名になったとみられるが、わが国でタバコの栽培が行われるようになったのは慶長以後であるから、この和名は貝原益軒が指摘したころからであろう。 「和漢三才図会」(1713年)には、イノシリグサの和名だけで、ヤブタバコの名はない。

採取時期と調整法:秋に果実を含めた全草をとり、茎、葉を適当 な長さに切り、陰干しにする。

成分:果実中にカルペシアラクトン、種子中にセリルアルコールが含まれるほか、中国の報告では、吉草酸、リノール酸、オ レイン酸などの脂肪酸も含むとしている。

薬効と用い方:
やけどや灸によるやけど傷に:
全草の粉末を少量のゴ油を加えて、かためにねり軟膏状 にして患部に塗る(村井チュン著「和方一万方」(1888年)。
★以前は果実を条虫駆除に煎服したが、現在は行われていない。
全草の煎液で打撲傷のはれを洗う方法はいまも行われている(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8241 マツブサとは(松藤、まつとう) 北海道、本州、四国、九州に自生。韓国の済州島にも分布。樹皮はアカマツの肌に似ている。

名前の由来:中国にはなく、わが国特産のもので、松藤(しょうとう)の生薬名は和製の漢名。小野蘭山は「大和本草会職」(1783年)で、「松房蔓(まつぶさづる) ははなはだふときあり。皮は松の如く厚くして、鱗甲ありて柔なり。ゆえに紀州にてワタカズラと云う。本心に松の臭あり」と述べている。「本草綱目啓蒙」(1803年)では、実(み)は熟して黒くなるゆえにウシブドウ、つるを切れば松の気あり、ゆえにマツブサとし、そのほかマツブドウ、ヤワラヅル、モチカズラの名をあげた。  
切れば松の気があるのでマツブサとあるが、幹がアカマツに似ていることから、名ができたのではないか。ブサはブドウの房のように、果実が房状にたれ下がることからつけられたもの。  
生薬名の松藤もわが国独自のもので、中国にも松藤の名の生薬があるが、マツブサとは全く別の植物である。      
花の様子:飯沼慾斎は「草本図説」(1856年)で、花について「形サネカズラの花の如くして小、弁の数、形、色などほぼ同じく、 花、花心に扁にして、鈍五稜なる一体あり、初め深黄緑白、後、黄色となり、稜角に白色の葯あり」と記し、図示している。

採取時期と調整法:秋の彼岸前後につるをとり、輪切りにして風通しのよい所で陰干しに。

成分:皮膚を剌激して血行を促進する精油には、ボルネオール、 べータ・ピネン、カジーネン、セスキテルペンなどがある。

薬効と用い方:
神経痛の薬湯料に:
こまかく輪切りにしたものを軽く一握り布袋に入れて、なるべく煮立て、入浴直前に湯ぶねに入れてはいる。東北地方の雪国では、特に冬期に湯冷めしないので松藤湯を利用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8242 フユザンショウとは(秦椒、しんしょう) 本州(関東以西)、四国、九州、沖縄に自生。韓国、中国にも分布する。 本草書の記録「大和本草」(1708年)は、「冬山椒あり。常の山椒よ り葉大にして厚く冬葉あり。実の形状気味は常のサンショウに同 じ。本草書にて未だこれを見ず」と記した。「和漢三才図会」 (1713年)は、冬山椒は俗称としながら、次のように記している。「按ずるに冬山椒なるものあり、其葉大にして冬実熟するものこれ秦椒(しんしょう)の別種なり。人以て珍となす。然れども夏山椒の気味佳なる ものに如かず」夏山椒は通常のサンショウのこと。  
小野蘭山の「花彙・木部」(1763年)では、フユザンショウの図に花椒の漢名をつけ、和名フユザンショウを併記して、「菜は小葉が五、七に排列。また三小葉のこともあるが、末端の小葉の先端 がとがって、大きく長い。この葉がササの葉に似ているので竹葉椒の名があり、枝葉の間に硬剌(はり)が多い。このはりは枝から左右に対生し、葉は冬になっても落ちず、夏に綿花を枝梢につけ、実はサンショウと異なることがないが、紅熟し、霜をこばむのが異なる」と詳細に述べている。その後、飯沼慾斎は「草木図説」(1856年) の中で、フユザンショウの漢名として竹葉淑をあげ、ほかにフダンサンショウ、オニザンショウの名もあげている。  
現在の中国では竹葉淑を用いている。

採取時期と調整法:7〜8月ころ果実をとり、水洗い後、風通しのよい所で陰干しにする。

成分:果実の精油にキサントプラニンを含むと、中国の文献にある。わが国では、根からアルカロイドのジクタミン、シキミアニ ン、マグノフロリンを検出したとの報告がある。

薬効と用い方:
胃痛・腹痛に
:5〜10gを1回量として、水 300ccで1/3量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8243 バクチノキとは(ばくち葉、ばくちよう) 本州(千葉、神奈川以西)、四国、九州、沖縄に自生。台湾にも分布する。

オランダのせき止め薬から:オランダ医学がわが国に入って珍しいものが紹介された中に、ラウロツェラズス水というせき止め薬があった。これはヨーロッパ産でバラ科の常緑樹であるプルヌス・ラウロツェラズスという学名の樹の新鮮葉を、水蒸気蒸留して作ったものであることがわが国の専門家にも知られ、このものはわが国のバクチノキに近いものであることがわかった。
飯沼慾斎は「草本図説」(1856年)で、ビラン、またはバクチノキ として図をかき、「果実のうちに仁一個あり。杏仁の如くして大、この葉は青酸を含むこと多さをもって、用途が多い。近世の諸書には大いに称賛して載せている」と述べた。学名をプルヌス・フ ウロツェラズスと横文字で記したのはさすがである。現在、この学名にはセイヨウバクテノキの和名がある。

名前の由来:樹木が古くなると、自然にサルスベリのように外皮がはがれ落ちてしまうが、これがちょうどバクチで負けてまる裸にされたのに似ているということから、この名ができた。ビランやビランジュは毘蘭樹で、誤ってインド産のものの名をつけたという。以前から、肥前(佐賀・長崎県)に、ネツサマシという方言があるのは、注目すべきであろう。

採取時期と調整法:必要時に新鮮葉をとり、生のまま用いる。

成分:配糖体のプルラウラシンを含む。

薬効と用い方:
あせもに:
新鮮葉をこまかく切り、水で煮て、その汁で洗う。細切りにしたものは軽く一 握りを1回分量にする。
せきに:バクチ水を内服するが、素人には作れない。
染料:樹皮を水で煮出し、黄色の染料に用いる(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8244 ナンバンギセルとは(野菰、やこ) 北海道から沖縄まで、わが国全土に自生。中国、朝鮮半島、台湾のほか、フィリピン、インドまで、広く東アジアに分布。
ススキ(尾花とも言う)のほかに、ミョウガ、オカボ、サトウキビなどに寄生する。

名前の由来:織田信長のころ、タバコとキセルがわが国に入ってきたが、この草の名はそれ以後につけられたものてあろう。それ以前は思草(おもいぐさ)と呼んでいたらしい。「道の辺の 尾花が下の思ひ草  今更々に 何か思はむ」という歌が「万葉集」にあるように、 花茎の先に、少々うなだれるように咲くのを、物思いをしている風情に見立てて、オモイグサと名づけたのであろう。  
中国では野菰の漢名で呼ぶが、「花彙」(1759年)では草ジュウ蓉として、これにナンバンギセルの和名をあてた。しかし、草ジュウ蓉はハマウツボに対する漢名なので、その後の本草家 は用いていない。

類似植物:ヒメナンバンギセルという小型の変種は、カヤツリグサ科のクロヒナスゲにのみ寄生し、栃木県の一部に自生する。オオナンバンギセルは大型種で、本州、四国、九州、沖縄に自生するほか、中国に分布し、カヤツリグサ科のヒカゲスゲにのみ寄生する。

栽培メモ:鉢植えの場合は、ヤクシマススキのような小型種を1〜3年栽培し、3〜4月に地下根茎が見える程度に土を除いて、粉末のような種子を根にふれるようにまいて、土をかける。

採取時期と調整法:9〜10月に全草をとり、水洗して日干しに。

成分:テルペン配糖体やフエニールプロパノイド配糖体を含む。

薬効と用い方:
強壮・のどがはれて痛むときに:
15〜20gを水400ccで1/3量に煎じて1日2から3回に分けて服用する。(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8245 ホウキギとは(地膚子、ちふし) ヨーロッパ原産。古い時代に中国経由て入ったのであろう。古くから強壮・強精に「延喜式」(927年)に武蔵国から地膚子(ちふし)一斗五合、下総国から地膚子一升を貢進する記録があるので、平安のころにはすでに、薬用に栽培していたとみられる。「神農本草経」には、「膀胱の熱をとり、小便を利し、中を補い、精気を益し、久しく服用すれば、耳目聡明となり、身を軽くし、老に耐える」とある。奈良、平安のころ、地膚子を物納させていたのは、「神農本草経」の薬効によって、大宮人が飲んでいたからであろう。

広い用途:「新刊多識編」(1631年)は地膚をハハキキとし、元禄9年 (1696)の「農業全書」では、同じように記したほかに、「ははきくさ、ほほき草、葉を食にもし、あえ物、あつ物種々料理に用ゆ」とし、7〜8月中に切って、外にさらしてのち、ほうきに用いること、種子は地膚子として薬に用いることも記している。  
現在、各地に栽培され、多くは観賞用にし、あとでほうきにする。また、秋に、茎葉が紫紅色に染まる園芸品種もある。

秋田・山形地方で栽培
:古くは東国で本格的に栽培されたが、今日では、秋田・山形地方の農家で作られている。9月中ごろ、小さな実を集めて、30分ほど煮てからざるに移し、きれいな小川に浸してもむと、果皮がとれて流れ去る。残った種子が地膚子で、 東北地方方言では「トンブリ」と言う。これを大根おろしかとろろを加えて、しょうゆ味で食べると独特の風味があっておいしい。もともと強壮強精薬であることを念頭に入れて食べること。

採取時期と調整法:9〜10月初め、種子のみとって日干しに。

成分:強壮効果のあるサポニンを含むとされるが、未精査。

薬効と用い方:強壮・利尿に:1回5〜10gを水300ccで1/2量に煎じて服用する(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8246 タマサキツヅラフジとは 中国南部、台湾に自生。わが国では昭和に入ってから、薬用の目的で栽培するようになった。中国、台湾では古くから民間薬として、地下の楕円形の白い塊根を解熱薬に煎じて飲んだり、毒蛇にかまれたときやはれものに、根の汁を外用してきた。

名前の由来:ツヅラフジ科に属するわが国自生のツヅラフジ(オオツヅラフジ)に似て、 一つの花は小さいが、たくさん集まって集散花序(同じ長さの花柄を出し、ほぼ球状に花が集まった状態)に花がつき、玉のようにつくように見えるので、タマサキの名になった。

類似植物:タマサキツヅラフジは、クスノハカズラ属ステファニアに属する。同じ属に、本州中部以西、四国、九州、沖縄などの暖地海岸に自生するハスノハカズラがある。台湾、中国南部にも分布し、中国ては千金藤の名で、根や茎を解熱薬として用いる。 ハスノハカズラが複合散形花序に花がつくのに対して、タマサキツヅラフジは頭状花序に花がつく点が異なる。 ハスノハカズラの変種の中で、葉の大きいオオバハスノハカズラは鹿児島県の桜島に、葉が小型で卵円形のコバノハスノハカズラは奄美群島から沖縄に自生する。

結核治療薬に:昭和初期、東京大学医学部薬学科の近藤平三郎教授らは、ツヅラフジ科植物の成分研究を行い、多くのアルカロイドを検出した。肺結核が不治の病とされていたこの時代に、タマサキスヅラフジから抽出されたセファランチンのアルカロイドが結核に効があるとされた。その後、百日ぜき、糖尿病、胃潰瘍、円形脱毛症などの治療薬として多用された。

白血球減少症に:最近、放射線障害、抗癌剤による白血球減少症に、この製剤「セファランチン」の1日量60mgの内服や1日1回50mgの注射液が用いられるようになった。素人療法は不可。 (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8247 ヤマジソとは(山紫蘇、やまじそ) わが国全土に自生する。韓国にも分布。シソに似て小さく、香りがあり、山野にだけ自生することから、この和名になった。

明治以降野草から薬草に:以前は単なる野草として顧みられなかったが、明治22年(1889)、羽田益吉が東京市ガ谷付近の土手で この草を見つけ、葉をもむと、特有の香りがあるところから、成分研究にとりかかった。その結果、精油中にチモールを確認し、当時としては、大きな話題になった。  
チモールは結晶性で、水に溶解し、十二指腸虫駆除に用いられるが、明治、大正の初期までは、一般消毒薬としても大いに使われ、主にドイツから輸入されていた。それが世界恐慌(1929〜1930)で、チモールをはじめ、すべての医薬品の輸入が止まり、以来、 埼玉県下でヤマジソを栽培してチモールを製造することになっ た。その後、チモールは化学工業の発達によって、合成され、安価に生産されるようになっている。

ヤマジソ油:ヤマジソの全草を秋に採取し、水蒸気蒸留して得た精油分をヤマジソ油と呼ぶ。黄褐色から赤褐色の透明な液体で、 刺激性の臭気があり、皮膚刺激薬に用いられる。また神経痛、リ ウマチ、筋肉の疲れなどによい。「日本薬局方」には、5〜7版 まで、この目的に「ヤマジソ油」を収載している。

成分:精油中にはチモールのほか、カルバクロール、パラ・シメ ン、キャリオフェレンなどを含んでいる。

薬効と用い方:
筋肉疲労に:
市販のヤマジソ油を求めて、痛むところに塗る。
★偶然の機会に、野草から化学成分がとり出され、それがヨーロ ッパで、筋肉痛や神経の薬に用いられているチミアン油とほぼ 同じ薬効であることから、薬草になった。野山に自生しているので、薬草に関心のある人々にはよく見ていただきたい。 (伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8248 ムクロジとは(無患子、むかんし/延命皮、えんめいひ) 本州の関東地方以西、四国、九州、沖縄に自生。韓国の済州島、中国、台湾、東南アジア、インド、ネパールにも分布する。

名前の由来:平安朝のころの「本草和名」(918年)はムクレシ、 「和名抄」(932年)はムクレニシノキという和名に、欒の漢名をあてたが、いずれもその子をもって数珠を作るとしている。これは中国原産で、わが国にも野生化している同じムクロジ科のモクゲンジとされるが、そのころはムクロジと混同されていた。松岡玄達は「用薬須知続編」(1757年)で、無患子はツブナリ、ムクロジは無患子の転語なりと述べている。ツブナリは、秋ムクロジが落葉するころ、樹上に鈴なりに下がる果実が目立ち、親指大の果実をツブと表現したのてあろう。

洗剤に:ムクロジは神社や寺院に植えられて、いまも巨木が残っているが、民家にも植えられた。これは果実の皮、延命皮を洗濯するときに使うためであった。
本草網目啓蒙(1803年)は、「果実の外皮を俗にシャボンと呼び、油汚の衣を洗うに用ゆ」と記したが、100年前まではこのような純植物性のものが、わが国の洗剤の主流であった。延命皮は果皮の生薬名だが、出典は不明。

黄疸妙薬に:白井光太郎著「樹木和名考」(1932年)に、中陸漫録に いうとして「備中高山の赤沢の民家にて製し売っている黄疸の妙薬は……無患子皮一味を極末にして、アオギリ種子大の丸薬に し、茶を末として衣となす。三十粒を三度に服す。およそ一七日 にして治ること妙なり」と紹介している。文中の地名は不明。

採取時期と調整法:秋に果皮のみをとり、日干しにする。

成分:果皮中にムクロジサポニン4%を含んでいる。

薬効と用い方:
洗剤に:
果皮を砕き、水とともに布に入れて、もむと泡を生じ、汚れが落ちる。 ★以前は、強壮、去痰薬に用いたが、いまは使用しない(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8249 イチイとは(一位、いちい/紫杉、しさん) 北海道、本州、四国、九州に自生。サハリン、南千島、朝鮮半島、中国、シベリアにも分布する。

笏(しゃく)に:「和名抄」(932年)では木へんに永をサクギと読ませ、この木をもって笏とすると記してある。笏は高官が儀式のときに持つ板きれで、平安朝以前は別のもので作っていたようだが、「延喜式」 (927年)からイチイの材で作られるようになったとされている。正一位、従一位などの位の名称からイチイ(一位)の名が生まれた。笏の材料は、飛騨の位山(くらいやま)産のイチイが主に用いられたという。この地方は特にイチイの巨木が多く、保護林とされていた時代もある。  
今日も飛騨の高山は一位細工が盛んで、家具や彫刻のほか、材質が緻密でややかたいので、桶や弁当箱なども作られている。

アイヌの弓に:別名にアララギ、オンコなどあり、アイヌ語からではないかとの見方もある。アイヌはこの木の木心を久しく枯らしてから熱を加えて曲げ、弓にするという。

染料にも:木心(心材)は暗赤色の色素を含むので、木心を砕いて水に浸し、暗赤色の染料にすることもあるため、スオウノキの別名もある。マメ科の熱帯産低木スオウの心材から赤色染料をとるが、これは蘇芳(すおう)、蘇芳木の名で輸入され、灰を媒染に紫赤色に染める有名なもので、これにならってスオウノキとつけられた。

採取時期と調整法:必要時に葉のみとって水洗いし、日干しに。

成分:葉にはアルカロイドのタキシン、フラボノイドのクエルセチン、スチアドピシチンを含む。

薬効と用い方:
利尿・通経に:
葉を乾燥したもの3〜6gを1回量として、水300ccから半量に煎じて服用。
糖尿病に:葉の乾燥したもの1日量5〜20gを、水400ccで1/2量に煎じて2回に分けて服用。
★アルカロイドを含むので、これ以上の量を用いないこと。(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。
8250 トクサとは(木賊、もくぞく) 本州(中部以北)、北海道に自生。朝鮮半島、中国、サハリン、 干鳥、シベリア、ヨーロッパ、北米など、北半球に広く分布。  
シダ植物の一種で、寒い地方の水分の多い所に見られる。深緑色で、枝分かれせず、高さ1m内外。古くから庭の陰湿地の植え込みに利用する。貝原益軒の「花譜」(1694年)は、「草の色みどりにして、目をよろこばしめ、観賞すべし。正月に旧茎をみな切るべし。新茎生じうるわし」と記している。

物を磨くのに使用:「和名抄」(932年)では、木賊の漢名にトクサの和名をあてているが、にかわ、漆具など、いまの木工具のよう な項目の中に木賊を記載している。また「和漢三才図会」(1713年)には、「物を磋(みがく)こと砥(といし)の如し、ゆえに砥草(とくさ)と称す」とある。
筆者の少年時代、トクサを1連、2連と買いに来る客がいた。 麦わらのような淡黄色で、長さ40〜50cmぐらい。ところどころに淡黒褐色の節があり、わらですだれのようにあんであった。木工細工などで、物を磨くのに使うが、塩を加えた熱湯で処理し、日光でさらして乾燥すると、麦わらのような黄色になる。「本草綱目啓蒙」(1803年)は、このように乾燥したものは薬用にはならないので、生のものを乾かして用いると記している。  
トクサで物を磨く作用があるのは、茎にさわるとざらつくように、表面にかたい無水ケイ酸質を含むためである。

採取時期と調整法:春4月ごろか、8〜10月ごろに地上部を刈りとり、水洗いして日干しにする。

成分:多量の無水ケイ酸、トクサの胞子中にブドウ糖、果糖、アルギニン、グルタミン酸などを含む。

薬効と用い方:
腸出血・痔出血の止血に:1日量15〜20gを水400ccで1/2量に煎じて服用。
かぜの解熱に:1回量2〜6gを水300ccで1/2量に煎じて服用(伊澤一男著:薬草カラー図鑑より引用)(画像はこちら)。